中村哲さん訃報01 ペシャワール会中村哲さん・銃撃により死亡
速報で流れてきたニュースに、愕然。
この世の希望を示す北斗七星のような日本人、中村哲さん。
73歳。
■ アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡 NHKNEWSWEB 2019年12月4日
(一部抜粋)
アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さんが4日、東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され、病院で手当てを受けていましたが、死亡しました。病院の担当者はNHKの取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった」と明らかにしました。
アフガニスタン東部ナンガルハル州の警察などによりますと、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が現地時間の4日午前、日本時間の4日午後、ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃されました。
中村さんはけがをして病院で手当てを受けていましたが、病院関係者や地元の当局者によりますと、その後、死亡が確認されたということです。
地元の当局者はNHKの取材に対し、中村さんは治療を受けるため、ナンガルハル州の病院から首都カブール近郊にあるアメリカ軍のバグラム空軍基地に搬送される途中で死亡が確認されたことを明らかにしました。
また中村さんが手当てを受けていたナンガルハル州の病院の広報担当者はNHKの電話取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった。腹部には銃弾2発が撃ち込まれていた。担当した医師によると、集中治療室で治療を行い、容体はいったん安定したものの、その後、地元の空港に搬送される途中で亡くなった」と話しています。
地元の警察などによりますと、同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです。
中村さんはアフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきました。
現場となったアフガニスタン東部はイスラム過激派の活動が活発な地域で、最近では反政府武装勢力タリバンに加え、過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織が台頭し、治安が悪化していました。
事件の発生を受けて、タリバンは声明を出し、「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」として、犯行への関与を否定しました。
「軍事作戦よりも農業復興」
平成28年、福岡市の西南学院大学で開かれた報告会ではアフガニスタンの用水路の建設に、江戸時代に筑後川で築かれた「山田堰」の治水技術が用いられていることを紹介しました。
そのうえで「軍事作戦よりも農業復興を進めていくべきだ。日本で現地の活動をサポートする人材を育てていく必要がある」と訴えていました。
去年、山田堰のある福岡県朝倉市をアフガニスタンの現地スタッフとともに訪問した際には取材に対し、「昔の日本の農業が生産性の改善につながることを期待したい」と話していました。
また平成28年、福岡市中央区で企業の社員や自治体の職員らに講演を行った際にはアメリカによるアフガニスタンへの攻撃で多くの子どもや女性が犠牲になったと批判するとともに、「アフガニスタンの多くの人が願っているのは1日3回の食事を取ることと、ふるさとに家族と住めるようになることです」と指摘していました。
アフガニスタン東部の酷い干ばつ地域で、「いのち」を救うため、井戸掘りから大用水路建設へと転じ、地域の村の首長・住民と共に、見間違うばかりの田園と緑の土地へと変貌させた日本人です。
小柄なあの身体で、35年間もの長い歳月を、よくやり続けられました。
「これは平和運動では無い」・・・と言っておられた中村哲さんの心中は「生命を救う」の一言でありました。
悲しいです。
ただ、これまでの灌漑事業を、地域住民が自力で継続していけるように、次の引き継ぎ手を養成されていました。
アフガニスタン政府もまた、中村哲さんを「名誉国民」とし、さらに、現地で使える日本の筑後川山田堰の造成技術・「中間技術」を尊敬し、アフガニスタン全土に広げるよう、決意していたところでした。
現代日本人の誇りとでも言える方です。
ペシャワール会の偉業に敬意を表するとともに、安らかに眠られるよう祈りたいと存じます。