学徒出陣壮行会 1943年10月21日から75年 | 群青

学徒出陣壮行会 1943年10月21日から75年

75年前の1943(昭和18)年10月21日、神宮外苑において、学徒出陣壮行会。
1941年12月8日真珠湾攻撃からたったの1年10カ月です。


● 学徒出陣壮行会のこと Wikipedia辞典より

戦局悪化により翌1943年(昭和18年)10月1日、当時の東條内閣は在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものである。この特例の公布・施行と同時に昭和十八年臨時徴兵検査規則(昭和18年陸軍省令第40号)が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者(開放性結核患者を除く)までを12月に入隊させることとした。

この第1回学徒兵入隊を前にした1943年(昭和18年)10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。出陣学徒壮行会は、各地でも開かれた。しかし翌年の第2回出陣以降、壮行会は行われなかった。


文化系大学生、専門学校生等の動員でした。各学校に在籍したまま休学扱い。東京だけで無く、台北、京城、新京・ハルピン、大阪、仙台、神戸、京都、上海、札幌でも壮行会をやったとのことです。
出陣学生数は、なぜか政府が秘匿。約3万人という説があるそうです。
出陣した学徒は高学歴のため、軍隊の中で下士官として配属されたり特攻隊隊長となったりで、前線の隊長等責任者として住民虐待・残虐行為の犯罪者として告発されることが多かった。
ちなみに、元首相の村山富市さんも学徒出陣のうちの一人。

 

 



 


 





 


 

 

 

●東條英機首相の演説の一部

「茲(ここ)に明治神宮外苑の声域におきまして、征途に上がらんとする学徒諸君の装容に接し、所懐を申し述ぶる機会を得ましたることは私の最も欣幸(きんこう)とする所であります。(中略)諸君は胸中深く決する所あり、腕をして国難に赴く烈々たる気迫、将に勇敢なるものがあることを、私はその諸君の輝く眸(ひとみ)に十分これをお察しし得るのであります・・・」

 

【この東條説を聞いた学生の感想】

「忠君愛国を叩き込む話で、またかという感じだった。毎度同じ事を聞かされてうんざりですね」

「国の考え方が正しいという前提に立っていますから、頼むよという首相の言葉に対し、死を持って報いようと思いましたね」

「『生還を期せず』をことさら高く読み上げたのは、個人としては違和感がありました。戦争だから死ぬことはあるが、だからといって、死ぬことにこだわるのはおかしいと思いましたね」

 

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