ドイツの反ナチスは続行中 | 群青

ドイツの反ナチスは続行中

この21世紀の日本国で、ネオナチズム(人種差別主義)が台頭している。
※ コメントにて「日本にネオナチは確認できない」と貰いましたが、インターネット検索すれば直ちにヒット します。故に、ネオナチ支持者で、いやがらせで書いてきたコメントだと判断します。


日本のネオナチ団体


それでは、本家のドイツではどうだろうか。

大日本帝国とともに枢軸国として、米英等連合国と第二次世界大戦を戦い、敗戦し、日本と同様に戦勝国による軍事裁判で相当数のナチス将校等が、死刑、無期懲役等の処罰を受けたので、自分は、それは歴史的な過去に区切りがつけられていたのだと思っていた。

ところが、2012年7月に、国外のハンガリーにてホロコーストの容疑者の身柄拘束。目を疑ってしまったが、つい2年前ではないか。しかも容疑者は97歳である。

自分は、充分な実感を得ていないのだが・・・

ドイツは、戦後60年を経た現在でも、実は、ナチズムを壊滅するための追及をやっている。驚嘆だが、過去の「歴史」では無く、「現在」のことである。 


○軍事裁判の概要

この話題の前置きであるため、詳しくはあげない。

戦勝国による敗戦国戦犯に対する軍事裁判は、国際関係上の一つの戦争終結の区切りである。

ドイツに対する戦犯裁判は、米英仏ソの4占領国によるものの他、それ以外のヨーロッパ諸国で行われたものがあるということである。4占領国による裁判は次のような概要。

 ※1 アメリカによる裁判

  ニュルンベルク国際軍事裁判が終了した後、同じ場所でアメリカ占領軍によるニュルンベル

  ク継続裁判。 SS隊員、国防軍将校、医師、外交官、裁判官、企業家など合計184名が被

  告。うち24名が死刑、20名が終身刑、98名が有期刑、35名が無罪、7名が病気その他で

  審理除外。

 ※2 アメリカによる裁判のうち、ダッハウ裁判(捕虜に対する生体実験の件)

  被告40名中、36名が死刑判決で、うち32名が執行された。関わった軍医も逮捕され死刑判

  決。

 ※3 イギリスによる裁判
  ヴェネツィア裁判、ハンブルク裁判、アウシュヴィッツ裁判、ベルゲンベルゼン裁判など。

  全体として、英軍事法廷では1085名の被告中240名が死刑。その他の量刑については不

  明。
 
※4 フランスによる裁判

  ノイエブレム裁判、ナッツヴァイラー裁判などがあり、2107名被告中、104名死刑。

  この他、フランス国内での戦犯裁判があった模様。その他の量刑については不明。

 ※5 ソビエト連邦による裁判

 ソ連占領地域、ソ連国内でどの程度の戦犯裁判が行われたのか不詳。

  1950年代初頭にソ連のジューコフ将軍が東ドイツ政府に対し1万名の有罪者を刑に服させ

  るため移送させると通告。同時期、3432名の抑留者が東ドイツに犯罪行為調査のため移

  送。

  東ドイツでは裁判の結果全員が有罪で、うち32名に死刑判決。

 ※6恩赦

  終身刑、有期刑になった人々はドイツの占領解除以後、恩赦などによりほとんど釈放。例え
ばアメリ
カによる裁判で有罪にされ収監されていたものは、1958年までにすべて釈放。


これらの占領国による裁判では、どうも、ドイツ国民たるユダヤ人虐殺は対象としていない模様である。

考えてみると、占領国は、自国に対する罰だけを裁いたので、裁かれるドイツ国の国民への犯罪は除外した模様だと受け取れば、納得できそうだ。

それは、よくは分からないが、大日本帝国でも、自国の日本臣民が大量に戦死したり沖縄戦において自決、身投げしたりしていることには、戦勝国はたぶん関知していないのかもしれない。

■「地の果てまで追われるナチス戦犯」

ナチス壊滅への現在進行形であり、以下のようなものである。

・・・ ナチス・ドイツによるホロコーストに加担したとして、反ユダヤ活動監視団体が最重要戦犯に指定しているラスロ・チャタリ容疑者が2012年7月18日、ハンガリーのブダペストで検察当局によって身柄を拘束された。拘束当時、容疑者は97歳。戦後60年以上が経った現在でも、その罪を問われ続けるナチス戦犯とは?


それで、読み進めると、次のような箇所がある。

・・・ しかし終戦直後のドイツでは、責任者の処罰を求めることについては強い意志が示されていたが、自国民に対するホロコースト(ユダヤ人虐殺)などの 犯罪行為は戦争犯罪とみなされていなかった。

※その後のユダヤ人虐殺への謝罪経過: 1949年に建国された西ドイツの初代首相コンラート・アデナウアーは、所信表明演説の中でようやくドイツ人犠牲者への援助に触れたものの、ユダヤ人への賠償には触れていない。その後、1952年に同首相が「ルクセンブルク合意書」に調印し、ホロコーストの生存者約50万人が住んでいたイスラエルとイスラエル国外に住む被害者を代表する機関に対して賠償を開始。1970年、当時の西ドイツのヴィリー・ブラント首相がポーランドの首都ワルシャワのゲットーにあるユダヤ人追悼碑の前に膝まずいたことで、政治的な謝罪を大きくアピールするに至った。


○ドイツ国自身による裁判

・・・ そして、ドイツ人自らがナチスの行為を犯罪として、ドイツの裁判所で裁くことこそが、ドイツ民主主義の再生にとって意義があると考えられてきた。そして、ナチスの犯罪に対し、常に過去を償う姿勢を見せることによって、周辺諸国の信頼を回復してきたのである。

そしてまた別の箇所では、次のように、厳しく徹底的にナチスを壊滅させる動きをとり続け、そのための具体的措置をやっている事が分かった。

① 時効廃止: 西ドイツ政府は1979年、悪質な殺人に関しては時効を廃止した。そのため、ナチス戦犯は生きている限り捜査の対象となる。ここで言う悪質な殺人とは、周到な計画に基づき、悪意を持って実行する謀殺のことである。

② ナチスハンター: ドイツの検察庁は、ナチスの戦犯に関する情報収集を効率的に行うために、1958年に「ナチス犯罪追及センター」を設置した。この施設は2000年に閉鎖されたが、個々の検察庁は具体的な情報があれば捜査を行う。


やっと自分は、上に伝えられるラスロ・チャタリ容疑者の探索と身柄拘束の状況と歴史的背景を、アウトラインだけは理解できた。

それ以上に、戦勝国による裁判で決着した後も、ドイツ国自身が、ナチスのユダヤ人ホロコーストの総括を、現在でも続けているのだということを・・・。


○けじめのこと

こうしたドイツのけじめの仕方を見ると、敗戦後日本の「大東亜戦争」に対する日本国自身による総括は、極めて曖昧なように見える。

従軍慰安婦もその一部だが、累々たる屍を生み出した太平洋戦争は、アジアを解放する正義の戦いだったという思想が、脈々と、その手の国内リーダー達に受け継がれているそうで、最近、耳にする。

確か、戦争に入ってから、昭和17年だったか調子がよくなった?ところで、やおら、大東亜共栄圏をぶちあげたのは東条英機首相だったはず。

どこに伝えられているか分からないが、裕仁天皇が「アジアを鬼畜米英から解放せよ」と勅命を出したのだうか。

裕仁天皇は、占領軍マッカーサー司令官に「自分が戦争の責任者である。自分の命を差し出す」という意味のことを告げ、臣民には責任が無いような事をいったそうである。

それは、敗戦国の天皇が戦勝国たる占領軍に言う言葉として、おかしいものでは無い。

ただ、臣民たる者、新しい国づくりをするに当たって、内閣や国会の枢要な者は、天皇の清い言葉に甘えず、自らの責務として自国の歴史的総括を、より強固にすべきではなかったか・・と。

当時の天皇制は、2.26青年将校の反乱の経緯等、色んな事件を嗅ぎ取ってみると、「天皇」というものを利用し、その下に位置する実際的指導者が、問答無用(俺が言う言葉は神人天皇の勅命である・・)で、実権を振りかざすカラクリであろうかと思う。

また、敗戦後すぐさまの朝鮮戦争の勃発により、自らを総括する機会を失ったのかもとも、思う時がある。