諸君、ご壮健かな。
私がやってきたのは。
鶴岡八幡宮。
鎌倉殿の13人でも登場した、最後の鎌倉源氏将軍、源実朝が夜露と消えた大階段がある地だ。
かつては多くの武士たちが通ったのであろうか。
敷地の中央部を縦断するこの太鼓橋は閉鎖されている。ここの上から見るこの参道は、どんな光景であったのか興味深い。
これを挟んで左側。
平家池。
源氏ゆかりの神社に何故に平家?そう思ったが、よく聞くとこれは四つの島を浮かべて「死」を表現、そして息苦しくなるくらいのこじんまりさ。
何とも皮肉。
そして、その反対側が。
広大な源氏池。
真ん中には祠も配置し、広々とした開放空間。平家と比して、源氏の強大さを表している。
しかし、その源氏も北条氏による陰湿な計により、滅亡となる。そして彼らも、源氏から連なる足利家に根絶やしに…。
正に盛者必衰のことわり。
この池の傍らにある石がある。それは。
さざれ石。
国家「君が代」にも登場するこの石は、小さな小石が固まり、巨大な岩へとなったもの。まさに多くの人が集まり、一枚岩となる国体を表したかのようだ。
このような、アンチテーゼのような見所がある。それがまた面白い。
この先に見えてくるのが。
そう、あの。
大階段だ。
ここで源実朝は、北条義時と代わって随した源仲章と共に命を落とす。その凶行に及んだ公暁の隠れてきた大銀杏は。
嵐で倒れてしまった。
今はそれよりも大階段に近いところに若木が植えられていたが、そこから少し距離を置いてその株が残っている。
当時はここまで太くはなかったろう。
静まり返る暗闇の中、一人きりで白い息を吐きながら、実朝一行を待っていた公暁の哀しい孤独さを思い。そして文人であるのに武家の統領に祭り上げられた実朝が、ゆっくりと上っていく大階段を想像する。
源氏や武家の業を担わされた2人の若者が、ここで自らと一族の幕を引く哀しさ。心が痛くなる。
この若木が巨木になった頃。
枝葉が伸びゆく空が、平穏な世の中であることを祈る。願いを彼方の社会まで連れて行ってくれる存在、垂らされた一条の蜘蛛の糸のように思われた。
この鶴岡八幡宮の帰り道。鎌倉駅へ伸びるのが。
新緑に覆われた参道。
これは北条政子の安産祈願で、産道とかけて作られたもの。冷たい世の中に存在した、わずかな温もりである。