このまえ、映画「永遠の0」を観てきました。。


「永遠の0」は、百田尚樹さん原作の同名小説の映画化ですが、ぼくは、昨年の終戦記念の日に、知覧にいたのですが、そのとき、ミヤネ屋の生放送があったのですが、百田さんは、ゲストで来られてましたね。


印象わ、背の高い、お坊さんみたいなひと、でしたねw(^ω^*)

ぼくは、この小説は、少し前に、話題になってからちょっと経って、読みました。

物語は、現代に生きる、いまどきの?モラトリアムなwww青年が、特攻隊員だった、本当の自分の御祖父さんのことを調べていくうちに。。。という話で、読み始めは (設定はありがちだな~) と、思っていました。


それわ、自分の御祖父さんのことを調べる各シーンで、いろいろな、当時の日本軍の作戦や、それにまつわるエピソードなどが、語られているのですが、ぼくは、これまでに、戦闘機の興味などから、さまざまな戦記もの などで読んで、ある程度、知っていたので、あまり目新しく感じなかったのです。。


しかし、読み進むうちに、だんだんと、惹きこまれていきました(^ω^*)


そして、読了したとき、ある種の戦慄というか、感動を禁じえませんでした・・・


ネタばれになるといけないので、深く言えないのですが、とくにラストのほう、個人の果たせなかった希望や夢を、その人間によって、人生の意味を変えられた人間や、生命を助けられた人間たちが、まるで、申し合わせでも、していたかのように、次々と、その本人が果たせなかった意思を継いで、実行していく、いえ、してしまう、という運命といったものの不可思議さ が描かれていて、それも、充分に練った複線と、それが怒涛の如く種明かし的に、しかし淡々と展開されていくミステリーっぽい仕立て方が、うけました。(^ω^*)


そこにわ、個人の「ある行為」が 契機となってその結果生じる、何か因縁めいた 「 見えないものからの力、 あるいわ意思」 といったものに突き動かされていく ひとびとの姿が描かれていました。


感覚的に、いうと、聖書のイエスキリストの物語などで、捕えられたイエスを、裏切って去っていった弟子たちが、その悔恨の念からか、おそらくイエスが生きていたら、したかったであろう、行動にと、己の命も厭わず、邁進していった、その姿の二重写しです。。(^ω^*)


まぁ、たぶん、ぼくの読み方は、少し、特殊なのかも知れませんが、わかりません。


そんなわけで、映画化ということで、すごく期待して、公開日あたりに、1度観てきました。。


したら、原作どおりの部分わ、良かったのですが、問題わ、かんとくや、脚本家の方が、物語の映画化のために、足した部分が、初見の際、すこし物足りなく違和感を感じたのでした。。


とりあえず、ゆうと、これまでの作品も、大好きな監督さん、と脚本家さんです。。


しかし、考えてみると、原作者の百田さんも、「600ページの長編を、2時間少々の尺にまとめるのは不可能」と思ってらしたのを、こんなきっちりした作品にしたのは、たしかにすごいな、と。。


あとなんといっても、緻密なCGモデルを使った 空撮と各VFXシーンにわ、すなおに驚きましたww

すごい、迫力と臨場感がはんぱないww(´∀`*)これだけでも、従来の戦争ものと一線を画している。

空母赤城がww(^ω^*) もう・・


それと、OPとEDが繋がるコンテの切り方など、何かのアニメ風かもしれないが、小洒落ていて、かっこよかったw 空戦のシーンなどわ、そういったアニメ的手法が、うかないように、記録映像などに、酷似したアングルやら、色調に抑えて、すごいリアリティを醸し出していて、繋げ方がすごくうまい。。


あと、びびったのわ、岡田准一さんの演技が、マジでめちゃくちゃ良かったんですが。。。


それで、年明けに家族が観にいきたい、というので、一緒にいって2度目を観ました。。


すると、家族は、戦争ものの、知識はないので、素直に感動していました。。あと会場にわ、若い女の子も多く、映画が終わると、皆、すすり泣きながら、一同退場wwww(なんと!)


それで、ぼくは、考えを改めました。。(ははぁ。。この映画はこれわ、これで、成功してるな)(^ω^*)


よくよく観てみると、もともとこの映画版の持つメッセージは、とても明確なので、それについて、やや、説明臭いと思った、追加オリジナルシーン、あと原作改変シーンも、それを伝える(多くのさまざまな世代のひとに)には、とても適切に考えられているな、と。。。


このくらい、説明しといたほうが、まぁ、間違いなく、すっきり伝わるだろう、とおもいました。。


すると、三浦春馬くんが、飲み会で、ひとりぶち切れるシーンも、逆に、いまどきの表現ならこっちのほうがいいんじゃね?wと改心しました。。(´∀`*)あの、初見の際、「ええ?」と思った、春馬くんと、宮部機邂逅シーンも・・・まいいか。。と。

それに、物語のラストを「語り」でまとめる、主人公の「いまのお祖父さん」(夏八木勲さん)ですが、それわ、とても良い演技なのですが、初見でわ、そのラストの「語り」の部分が、どうも今一歩、受け入れ難かったのですが、2回目は、これで、良いwwのだwwと。。。


この映画は、別に、戦争映画好き向けに作られているわけでわないw これくらいでないと、さっき泣いて出ていった女の子たちは観ないwww(^ω^*)


ぼくわ、特攻を扱った映画を、これまでにいくつか観たのですが、すごく史実に忠実たらんとして、めっさ陰惨なものか、安易に反戦メッセージやら、不用意に現代感覚wを持ってくるため、ほぼ荒唐無稽になった空想もの とかしか、お目にかかりませんでしたが、しかし、「永遠の0」は、そのどれともひと味違う作品になってます。。


山崎監督も、「小説」のダイジェスト版にならないように気をつけた、とおっしゃっていますので、オリジナリティにこだわり、映画としての独立性を考えられたのでしょうし、まさに映像でしか伝わらないこともあり、ならばこれわ、これで大成功でしょう。。(^ω^*)


おもえば、小説版の「宮部久蔵」も、大きな時代の波に翻弄されながらも、愛する家族の元に戻りたいという、「普遍的な家族愛」を持った、いわば何処にでもいる人物でした。


ただ、彼は卓越した空戦テクニックの持ち主であったことと、その目的の実現の為に、たとえ、卑怯ものと蔑まれようと、冷静に状況を捉え、行動してきたにも関わらず、最後の土壇場で 「まったく間逆な選択をした」という 2点の違いさがあります。


とくに「まったく間逆な選択をした」このことを、巷でわ、ふつう「自己犠牲」というw(^ω^*)


映画版は、その行為をとった「宮部という人物の持つ意味」を、あとに残された「生者の側からの理屈」で各シーンが構成され、彼の最後の行為を、小説版と違う部分を作って説明したことで、妙にすっきり辻褄が合い、納得のいく「生命賛歌もの」になったわけですが。。


宮部自身に視点を当てた場合、このことは避けて通れないことなのでしょうが、映画版から伝わるメッセージはこれを巧妙にずらしているのかな?と思います。。


これと類似した題材で、思い出すのわ、少し前に観た杉井ギサブローかんとくのアニメ「グスコーブドリの伝記」ですが、これも、宮沢賢治せんせいの原作では、かんぺきに、「自己犠牲の精神」をテーマにしているのですが、アニメ版のラストは、ちゅうい深く、ぼかしてあった。。


「自己犠牲の精神」を深めていくと、靖国神社の「英霊」信仰にも、突き当たることになるし、そうなると、2時間少々の時間制約などや、ほかにも、いろいろあるので、これわ、これでよいのでしょうね(^ω^*)


でも、この映画や、原作を 契機として、この時代の真の姿を勉強し、従来支配的だった自虐史観から、その歴史の意味を捉え直そうとする若い世代の人々も出てくるでしょうし、あるいは、生命や平和の尊さを感じるひともいるでしょう。。それわ、それでどちらも意義深いですね(^ω^*)



映画を観て、原作を読んでいないひとは、ぜひ一読されると良いでしょう(^ω^*) 。。



けっさく(^ω^*)




知覧の平和観音。。(^ω^*)