リハーサル終わりで電気屋Macコーナーへ
各Macの画面にはスティーブジョブスへの追悼の意
僕が初めて手にしたパソコンはMacでした
20歳でした
師匠のすゝめでした
当然のように手にして、のめり込みました
この
僕たちが当然のように手にしているものは
作者にとって特別なんです
この特別が、僕みたいな誰かの特別になること
これがすなわち願いだとしたら
自分が音楽をつくったり、演奏したりすることも
やはり、誰かへの特別なんです
自分の思想も意思もカルマも、願いでさえも
自分にしか理解しがたいもんです
ずうずうしく理解ってくれなんて思いません
が
その願いがどんな姿であれ形になって(目に映らなくても)
誰かの歓びと戯れることになったら
自分が今ここで生きている意味であると
少し歓びます、ほんとです
特別には自分だけの意味があるんです
皆そうだと思います
だから「スペシャル」
ひとはひとりじゃないです
僕はそう信じたいです
なぜなら
僕が本当につらかったとき
ジョブス氏の言葉達は
力を、希望を
光をくれました
今度は僕が光をつくる番
ぼくだけじゃなくて
生きてる皆がつくる番
頑張ろうって言葉は時に無責任かもしんない
考えてばかりじゃいけない、動かなきゃ
生きましょう、らしく、せいいっぱい
合掌。R.I.P。
よし