小説 新昆類 (34) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】
推古女王・聖徳太子時代の執権であった曽我一族によって百済仏教は急激に取り入れら
れ、上からの革命を推進したの曽我入鹿であったが、天智と鎌足によるクーデータで、曽
我一族は抹殺されるのだが、曽我一族の政策は「大化の改新」としてより貫徹されたこと
は、明治維新が徳川幕府末期の「開国」政策を貫徹したのと同期である。
天智大王が六七一年に死亡すると、翌年すぐさま「壬甲乱」とよぶ、内戦が現出した。
王位継承をめぐる内戦である。王の兄弟や王の息子たちが、王位継承をぐって、王権内
権力闘争を現出するのは、ヨーロッパ史をみても同期している。ある王朝内部の権力闘争
こそが、その王朝の臣下にすぎない部族長を学習させ、その王朝内部権力の弱体をねらっ
て、王を殺す。王を殺した部族長はその王朝の血統を切断し、まったく異質な王として多
部族におのれを認めさせおのれの王朝をひらく。これが権力政治闘争の常識なのだ。ただ
しこの常識は血統が重要となる父権王朝の場合であるが、血の戦いが臨界点に達し極度の
不均衡になると女王が誕生する。それが天武大王死後の六九〇年、持統天皇である。持統
天皇女王の執権が、天武大王の魔手から、シャーマンたちに命を守られた鎌足の子、藤原
不比等であった。藤原とは藤が国土に広がるという意味であり、藤原一族は平城京から平
安京への支配貴族へとのし上がっていく。不比等とは不死鳥の意味。その一族は昭和の近
衛内閣であり、九三年の細川内閣まで、血統は継承してきた。まさに天皇制と同期してき
た。
「壬甲乱」の内戦において、新羅の王子であった大海人王子は、天智大王の息子である
大友王子を敗北させる。大海人王子は東へ開拓団として移住した戦闘部族を組織した。勝
利した彼は六七三年「天武」として大王の地位を剥奪する。天智大王が学習したことは、
王位継承をめぐる血のすざましい内部権力闘争を続けていけば、いずれわが王朝は滅亡す
るという危機意識である。彼は朝鮮半島における、唐・新羅同盟軍と百済・日本連合軍と
の総力戦を戦争指揮し、その敗北による打撃を経験した。その敗戦から、内部たる国家建
設に尽力し、おれの息子へ継承しようとしたが、天武によって転覆されてしまった。この
七世紀は、謎の四世紀、魏志倭人伝にある記述、壮絶な倭人による内戦を反復した。まさ
に騎馬民族部族による大王をめぐる内戦であった。天智大王は、これら血の闘争の歴史で
あった「倭」(やまと)の過去を消却し、あらたな「日本」を対外的に誕生させる方向感
覚に向かった。日本とは戦国時代が周期的に反復し、そこから女王が安定させていくので
ある。徳川家康は戦国の女たちの願いから誕生した。
ある政治共同体はおのれが参入し投企した政治闘争や戦争の、敗北・敗走の処理と総括
をめぐって分裂する。その反対に勝利した軍の政治共同体はより一層団結する。なぜなら
敵の敗北という表層空間によって、おのれの強い内部を力として確認でき、おのれの可能
としての空間が拡大するからである。しかし勝利した側のシステムが衰退期に没入してい
るのであれば、逆にその勝利によっておのれを自身を喪失してしまい、システムは固定化
していく。その結果、やがて政治共同体の内部は自壊し、現在から漂流していく。
七世紀の日本とは、まさに朝鮮半島の高句麗・新羅・百済による国家消滅をかけた三国
戦争に規定された戦国時代であった。ここから八世紀初頭に日本は誕生したのである。そ
れが「古事記」であり「日本書紀」である。官僚機構による日本文明と日本歴史の誕生で
ある。千二百年がたち、時間は千支臨界点である。ゆえに天皇制の時間は終わろうとし
ているのである。あらたなる日本文明と歴史が誕生するのかどうか、それが、二〇〇一年
に死者たちから問われている内容である。この革命たる維新に失敗すれば、日本はもはや
国家消滅という百済・新羅・高句麗の運命をたどることは間違いない。ゆえに民衆の文化
ではなく官僚機構の文明こそが、総括される必要があり、制度疲労として官僚機構の腐敗
が元文明の衰退として現出しているのである。
ヨーロッパに学ぶのは、近代の罪悪としての進歩制度ではなく、ウィルスなのである。
ウィルスとの死闘こそ学ぶ必要がある。それは近代人間を現出したルネサンスではなくル
ネサンスを準備したヨーロッパ中世におけるウィルスとの死闘からである。そこから人間
とは生き物であることが再度、あたらしい人間像として定性される。
そして、アメリカ合衆国USAは、その誕生から検討されなくてはならない。その解明
による自壊によって、おのれはUSAから離脱でき、世界イメージの再構築が可能的現在
となるのである。理論は制度によっておのれの内部と深層に刷り込まれ書きこまれた映像
と表層を自壊するためにある。理論はおのれを不自由に縛る奴隷の足かせを切断すること
にある。これが場所と実践である。理論とは時間の経験である。
現在の言説とは、宇宙に飛び立った人間が宇宙船内で、データー記録として、呼び出す
ことができる内容であるか、ということである。本物の力を内在した記録は、生き残るこ
とができるだろう。わたしは、そのために昨年の十二月末からタイピングしてきた。テキ
ストは一九九二年に手書きでファクス原稿用紙にかいたものである。さすがに、遅々とし
てすすまなっかた。それは手書きテキストがエネルギーがあったからである。九二年当時
はいつか、印刷して発行しようと思って書いたのだが、こうして、八年後に鬼怒一族と有
留一族のインターネット秘密サイト「ディアラ・原光景」に掲載になるとは予想していな
かった。これがテキストの力である。
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うわさによれば、天皇(孝明天皇)は天然痘にかかって死んだということだが、
数年後、その間の消息によく通じているある日本人がわたしに確言したところによれば、
天皇は毒殺されたのだという。
この天皇は、外国人にたいしていかなる譲歩をおこなうことにも、断固として反対して
きた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって朝廷がいやおうなしに西欧諸国と直接の関
係に入らざるをえなくなることを予見したひとびとによって、片付けられたというので
ある。
-------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】上
兵庫開港の攻防をめぐって、孝明天皇は暗殺されたのではないかと自分は思う。
イギリスが突きつけていたのは、日本列島の総開港であり市場開放であった。
資本主義の交易のためには、日本の幕藩体制は破壊される必要があった。
アーネスト・サトウは横浜で発行されていた英字新聞(ジャパン・タイムズ)に
幕府を廃棄し天皇を中心とした政治体制のシステム革命論を発表する。
これは日本語に訳され、日本の書店で売られていく。
イギリスは明治維新政治体制構想力に関わっている。
戦争とは交通関係でもある。
イギリスは薩摩と長州の戦争を通じて、薩摩人と長州人が好きなった。
世襲制度の末期にあった徳川幕府の政治家よりも、薩摩人と長州人に期待を寄せた。
イギリス人は魚を食べ、何でも食べるから世界帝国になった。
アーネスト・サトウも日本食を食べ日本酒を呑み、日本の作法を徹底的に実践で習得
する。各藩の人間と宴会をやり芸者を呼び、徹底して交流していく。芝居小屋にもい
く。
イギリスが幕府に突きつける要求は、現在日本が、米国政府から「年度要望改革書」で
突きつけられている情況と同じだ。
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日本の下層階級は支配されることを大いに好み、機能をもって臨む者には相手がだれで
あろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが
著しいのである。伊藤(伊藤博文)には、英語を話せるという大きな利点があった。こ
れは当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合には、きわめてまれにし
か見られなかった教養であった。もしも両刀階級(武士)の者をこの日本から追い払う
ことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の
統治はさして困難ではなかったろう。
だが外国人が日本を統治するとなれば、外国人はみな日本語を話し、また日本語を書か
なくてはならぬ。
------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】下
アーネスト・サトウ
【一外交官が見た明治維新】【上・下】 訳/ 坂田精一 岩波文庫 1960年発行
二十一世紀現在の日本と明治維新はリンクしている。アーネスト・サトウはイギリス
帝国の情報機関工作員であった。アーネスト・サトウがつくりあげた日本近代のWINDOWS
OS、基本プログラムによって、クーデター明治維新の革命は成就した。アーネスト・
サトウこそ恐るべきアングロサクソンの他者学習能力の具現プログラム起動を体現して
いる。アヘン戦争によって中国はイギリスの半植民地となった。日本はプログラムによ
ってイギリス帝国の代理機関、東アジア侵略戦争立国へと変貌していった。その代償は、
アングロサクソン二重帝国、アメリカよりの、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下だった。
わたしは、七十年代、八十年代、九十年代、現在の上部機構システム成員による、現場
歴史たる事実の消却を、けしてうのみにはしない。そう、わたしたちはアンダーグランド
の蝦夷なのだ。鬼怒一族は古代、大和朝廷軍によって高原山を追われて以来、各地の地下
人として生存してきた。水田稲作造作の奴隷として西国に流された鬼怒一族は、北条鎌倉
幕府炎上後、勃発した後醍醐天皇と足利尊氏の内戦、朝廷が分裂した南北朝時代、流民と
なって、故郷である高原山をめざした。選び抜かれた者のみを山の民として高原山に送り、
多くの者は、箒川西側にある豊田村へ住み着き、水田稲作開墾をしていった。豊田村には
わが一族が誇る、大和朝廷蝦夷侵略軍将軍坂上田村麻呂を暗殺した所がある。わが一族は
そこを坂上田村麻呂が宿泊した将軍塚として偽装保存することに成功した。坂上田村麻呂
が創建したという木幡神社も実は鬼怒一族が建てた社だった。そしてわが聖地高原山は、
今でも、生命を誕生させた古代地球のエネルギーをそのまま温存しているかのような神秘
に満ちた山である。
寺山修司寺は古来、役小角(えんのおづね)の教えを継承した修験道の聖地寺だった。
「野に伏し、山に伏し、我、役小角とともに在り」修行を司る根拠地こそ寺山修司寺だっ
た。山岳の高原山で修行し、修験で得た「実修実証の世界」である霊応と験力は「たとえ
親、兄弟といえども、一切他言をしてはならない」ことが掟とされた。それゆえ高原山の
修験道は綱領なき密教となった。さらに高原山の修験道と蝦夷の聖地である青森県の恐山
は通低していた。言語なき身体の歴史こそ野と山に山岳密教にあった。
幕末、孝明天皇と睦仁皇太子を暗殺したのが、長州のテロリスト伊藤博文と山県有朋だ
った。伊藤博文と山県有朋は長州の大室寅之祐を明治天皇にすり替えたのである。伊藤博
文と山県有朋はイギリスの工作員として、同じく、イギリスの工作員であった坂本龍馬と
ともに徳川幕藩体制を転覆した。
いにしえの日本を破壊することこそ西欧侵略軍の代理機関明治維新政府の役割だった。
明治元年に出された「神仏分離令」は、山岳修験道を弾圧し、山岳密教を崩壊させ変質さ
せていった。
寺山修司寺は真言宗智山派に所属することにより、明治維新政府の日本破壊、宗教弾圧
の暗黒時代を生き延びることができた。古来からの神社も明治政府の強権弾圧によって、
四割が消滅させられていった。なにもかも大室寅之祐明治天皇を神とするためだった。
最後に塩田純一氏の論文「異界の人──日本のアウトサイダー」から抜粋引用したい。
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古来、日本人にとって「狂気」とは、社会的規範からの免脱として排除される一方で、
超自然的存在の憑依によって生じる聖なるものとして崇められるという両義性を有する
ものだった。精神に異常をきたした者は日常の生活空間とは異なる「異界」へと入って
いく。この「異界」は、日本の民俗信仰では超越的、観念的な世界ではなく、現実に存
在する【女比】(ハハ)の国として海や山であり、実際に日常世界=里を捨て、「異界」
=山に入っていく人々、おそらくは精神病者の例は、「神隠し」の伝承などとして柳田
国男ら民俗学者によって報告されている。
しかも、注目すべきは、異界と現世の交通が双方向性であり、里への突然の帰還がし
ばしば伝えられている点である。こうした連続性、可逆性を有する異界=外部と現世=
内部との関係は、アウトサイダー/インサイダーという空間的な位置関係を明確に示す
概念とは微妙にニュアンスが異なる。その意味では、「アウトサイダー」という用語を
敢(あ)えて日本語に置き換えるなら、むしろ民俗学的色彩を込めた、たとえば「異界
の人」といった言葉こそふさわしいかもしれない。
日本における前近代的な「狂気」の様態として特徴的なのは、「動物憑依」である。
ヨーロッパ中世においても、精神病は悪魔が取りついたものと信じられていたが、日本
ではそれはしばしば狐、狸、犬神、蛇、猿、天狗などの動物、ないしは妖怪が憑依する
ことによって引き起こされるものと考えられた。そして祈祷、その他の方法によってこ
れらの憑きものを追い出すことで治療は可能とされ、共同体が再びその人物を迎え入れ
ることもよくあることだった。
<略>
今日、私たち日本人にとって「外部」と「内部」の関係は再び揺らいでいる。「外部」
を構成するのはかつてのように欧米=近代という単一の価値基準ではない。アジア、アフ
リカ、さらに伝統的な「日本」ですら、私たちの眼に「外部」として映り始めている。
「外部」が多様な価値を提示する一方で、「内部」は依然として主体性を欠いたままであ
る。これは一面では危険な状態だ。何ら明確なクリテリアを持たないまま「外部」=異
文化のいたずらな消費に陥ってしまうからである。私たちの課題は、確固たる「内部」を
構築し、「外部」とのふさわしい関係を見出すことである。その意味で、打ち棄てて来た
周縁、「異界の人」の造形表現に眼を向けることは、真の「内部」を構築する契機となる
はずだ。
【異界の人──日本のアウトサイダー】 塩田純一 (美術批評家)
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──ウィルス・イデオロギー・完──
渡辺寛之
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
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- 太田 龍
- 長州の天皇征伐
- 宮崎 学, 近代の深層研究会
- 安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介
- 久保木 修己, 久保木修己遺稿集刊行委員会
- 美しい国 日本の使命―久保木修己遺稿集
- 有田 芳生
- 「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録
- 田井 友季子
- 神の代弁者
- 加治 将一
- 石の扉―フリーメーソンで読み解く世界
- A.B. フリーマン・ミットフォード, A.B. Freeman‐Mitford, 長岡 祥三
- 英国外交官の見た幕末維新―リーズデイル卿回想録
- アーネスト サトウ, Ernest Mason Satow, 坂田 精一
- 一外交官の見た明治維新 下 岩波文庫 青 425-2
- アーネスト・サトウ
- 一外交官の見た明治維新―A diplomat in Japan
- デーヴィッド アイク, David Icke, 本多 繁邦
- 究極の大陰謀―“九・一一”テロの最終審判〈上〉
- 太田 龍
- 天皇破壊史
- フリッツ スプリングマイヤー, Fritz Springmeier, 太田 龍
- イルミナティ 悪魔の13血流―世界を収奪支配する巨大名家の素顔
- シスター・マリ エメリー, Sister Marie Amerie, 林 陽
- 悪魔に愛された女
- 馬野 周二
- 経済裏陰謀の常識―日本人は何も知らないのか
- ジョージ ジョンソン, 高樹 明
- ユダヤを超えるイルミナティの世界謀略
- ネスタ・H. ウェブスター, 馬野 周二
- 世界革命とイルミナティ
- W・クレオン・スクーセン, 太田 龍
- 世界の歴史をカネで動かす男たち
- ウィリアム・G.カー, 太田 竜
- 闇の世界史―教科書が絶対に教えない
- 陳 舜臣
- 阿片戦争〈下〉
- イスラエル エプスタイン, 能智 修弥
- アヘン戦争から解放まで―新中国誕生の歴史
- 広瀬 隆
- 赤い楯―ロスチャイルドの謎〈3〉
- クリス・ミレガン, アントニー・サットン, 北田 浩一
- 闇の超世界権力 スカル&ボーンズ
- マイケル ロスチャイルド, Michael Rothschild, 石関 一夫
- バイオノミックス―進化する生態系としての経済
- 波多野 忠夫, 青木 庸
- 世界の歴史 (12) アヘン戦争とシパーヒーの反乱 : 清帝国と列強のアジア侵略 集英社版・学習漫画
- 村山 公三
- 西蔵―英帝国の侵略過程 (1943年)
- 永積 昭
- オランダ東インド会社
- 浅田 実
- 東インド会社―巨大商業資本の盛衰
- 浅田 実
- イギリス東インド会社とインド成り金
- 田辺 雅文, 旅名人編集室, 藤塚 晴夫
- オランダ―栄光の“17世紀”を行く
- 南洋経済研究所
- 南洋資料(蘭領東印度総督略伝)
- ハンス・クルト シュルツェ, Hans Kurt Schulze, 五十嵐 修, 小倉 欣一, 浅野 啓子, 佐久間 弘展
- 西欧中世史事典〈2〉皇帝と帝国
- ダヴィダ・ウィルス ハーウィン, Davida Wills Hurwin, 近藤 麻里子
- ラスト・ダンス
- 船瀬 俊介
- SARS―キラーウィルスの恐怖
- ヴィクター ソーン, Victor Thorn, 副島 隆彦
- 次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた〈上〉技術・諜報篇
- ヴィクター ソーン, Victor Thorn, 副島 隆彦
- 次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた〈下〉謀略・金融篇
- 原島 嵩
- 誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実
- ジョン・コールマン, 太田 龍
- タヴィストック洗脳研究所
小説 新昆類 (35) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】
渡辺寛之は昭和二十八年一月十七日、雪が深夜にかけて降った朝、高原山の寺山修司
寺本堂扉の前に置かれていた捨て子だった。寺の住職である渡辺日義が赤ん坊の泣き声
を聞き本堂に行ってみると綿入れのはんてんに囲まれていた男の子の赤ん坊が置かれて
いた。住職はすぐ捨て子であることに気づいた。住職は妻の恭子と相談し、まだ子供がいな
かったので育てることにした。名前を渡辺寛之と命名し日義の長男として出生登録をして戸
籍に入れた。四年後、住職の妻、恭子に女の子が産まれた。恵子と名づけた。
渡辺日義は寺山修司寺の住職をしながら泉中学校の教師でもあった。そして塩原町に接
する矢板市泉地域社会福祉などの相談役でもあった。寛之と妹の恵子は寺山修司寺で日義
と恭子の愛情に守られ仲良く育った。その後、日義と恭子には子供ができなかった。
東京オリンピックの翌年、渡辺寛之は泉中学校に通い一年生になり十二月末の冬休みに
なった。妹の恵子は小学三年生だった。恵子と寛之が寺の境内で石蹴りをして遊んでいる
と、下から山門の石段を登ってくる中年の男が見えた。ネクタイをして黒いコートを着た
男は、境内までやってきて、じっと寛之を見ていた。
「お坊さんはいらっしゃいますか?」と男は寛之に聞いた。
寛之は母屋の玄関を指差した。ありがとう、そう言って男は母屋の玄関前にたち、ごめ
んくださいと中に声をかけた。母屋の台所からエプロンで手を拭きながら恭子が、はいと
答えながら男の前に立った。
「住職にご相談があってまいりました。有留源一郎と云う者です」
男は名刺と塩原饅頭の菓子箱を恭子に渡した。名刺には有限会社有留鉄工取締役の肩書
きがあり、住所は広島県広島市安佐北区白木町大字有留125番地と印刷されていた。
「まぁ、わざわざ広島から」と恭子は名刺を見て驚いた。そして有留源一郎を土間に入れ、
どうぞと囲炉裏に腰をかけさせた。そして奥座敷で仕事をしていた渡辺日義の所に行った。
「あなた、広島からお客様です」恭子は名刺を日義に渡しながら、何の用かしらと不安な
顔をした。日義は恭子の不安を「きっと寺の歴史を聞きにやってきた人だよ」と打ち消し
た。
有留源一郎の名刺を持ち作務衣を着た日義が土間の囲炉裏に姿を現すと、源一郎はてい
ねいにおじぎをした。源一郎は最初自分が住んでいる有留村の鎌倉寺山は高原山の寺山修
司寺と縁があるのかもしれないなどと話をしていたが、この寺に捨てられていた寛之のこ
とで相談があると切り出した。日義は子供たち聞かれてはまずいと、源一郎を奥座敷に上
がらせた。恭子は湯を沸かすとお茶を奥座敷に持っていった。そして土間に戻ると外に出
て、境内で遊んでいる寛之と恵子を確認した。寛之と恵子に、お客様が来ているので、外
で遊んでいるようにと言った。そして恭子は有留源一郎の話を聞きに奥座敷に入った。
有留源一郎の話によると、寛之が産まれたのは、高原山の北側だった。高原山の北側は
塩原町である。高原山の中腹で、寛之の親は炭焼きを職業とし、炭焼き小屋で暮らしてい
た。寛之が産まれたのは昭和二十七(一九五二)年十二月だったが、寛之の両親は悪い病
気にかかり小屋で死んでしまった。寛之の両親を弔った炭焼きの仲間は貧しさゆえ、寛之
を育てることができない、それで寺山修司寺なら育ててくれるだろうと判断し、この寺の
本堂に翌年の一月十七日に、捨て子として置いていったとのことだった。
有留源一郎と寛之の両親は遠い親戚であったが、交流はほとんどなく、高原山の炭焼き
の連中からも寛之の両親が死んだことは知らせてもらえなかった。塩原温泉に旅行で来た
ので、昨日、親戚である寛之の両親の炭焼き小屋を訪ねたら、廃屋になっていた。高原山
で炭焼きをしている人の小屋を探して、寛之の両親のことを聞いたら、すでに死んだとの
ことだった。高原山の炭焼き人から寛之の行方を聞いたの内容を有留源一郎は日義と恭
子に話した。
高原山の山の民サンカが住民登録をしたのは昭和二十七年であった。それまで山の民サ
ンカは日本国民として戸籍に編入されていない。子供たちも義務教育を受けていず山の民
サンカは日本国民とは別の独自な世界で暮らしていた。有留源一郎は自分のところに寛之
の両親が死んだ知らせがこないのも理解できると話した。
日義はありそうな話だ、うーんと唸った。でも寛之がその死んだ炭焼きの子供だという
証拠は……疑問を恭子は有留源一郎に投げかけた。右太股にやけどの跡があると炭焼き仲
間の人が話していましたが……有留源一郎は答えた。確かに……恭子がつぶやいた。寛之
の右太股にはやけどの跡があった。
「親戚の義務として、私のところで育てたいのですが……」
有留源一郎は本題を切り出した。日義も恭子も将来は恵子が真言宗智山派総本山で修行
した僧を婿としてもらい、寺を継いでもらいたかった。寛之は高校までめんどうをみて、
東京に就職させるつもりでいた。
「いきなりそう言われましても……」
日義は妻とよく相談をするから結論は待ってくれと有留源一郎に言った。
「もちろんです。今日、どうのこうのという話ではありません。私はただあの子の親が誰
であったかを知らせにまいり、私があの子の親戚であることをお伝えにきたのです。今ま
で育てていただき誠にありがとうございました。私の怠慢ゆえ、今まで来られなかったこ
とをどうかお許しください」
有留源一郎は畳に額をこすりつけ謝り、日義と恭子に詫びた。
「突然来て、いきなりあの子をこちらで預かるなどと無礼な願いを言いまして……
そちらさまのお気持ちも考えず誠に申し訳ございません」
有留源一郎の声と詫びる身体には真剣に裏打ちされた迫力がみなぎり、日義と恭子は圧倒
されていた。そのとき日義も恭子もこの人に寛之を託すしかないと判断した。
その日、有留源一郎は深々と土間の玄関で頭を下げ、寺から去っていった。日義と恭子
の夫婦は寛之にどう説明していいかという重い課題を背負った。何よりも寛之を兄として
したっている恵子の反応が心配だった。兄と妹の関係を引き裂くことになる運命、しかし
子供たちは耐えるしかないだろうと日義は思った。
昭和四十一(一九六六)年三月二十八日、寛之は有留源一郎に連れられ、寺山修司寺か
ら有留源一郎が住む鎌倉寺山、広島県広島市安佐北区白木町大字有留へと旅立つことにな
った。運命に翻弄され寺の山門を降りる寛之の中学生服姿は痛々しかった。肩から中学生
の布カバンをかけ、左手には旅行カバンを持っていた。有留源一郎も旅行カバンを持って
いた。寛之のこれまでの衣服や私物、勉強道具やこれまでの教科書、本類は、後から日本
通運で広島県へ、送る段取りとなった。山門の石段の両側は高い杉並だった。見送る日義
と恭子、恵子はお兄ちゃんと叫びながら山門を駆け下り、寛之の右腕を行かないでとつか
んだ。寛之は立ち止まった。寛之も肩をふるわせ泣いている。有留源一郎はそのまま山門
の階段を下りたところで待っていた。寛之は泣き叫ぶ恵子のしがみつく手を離しながら、
云った。
「恵子、しかたがないんだ。しかたがないんだ。これがおれたちの運命なんだ」
寛之は自分にも必死に言い聞かせていた。
恭子は山門の上から下に降りてきて、恵子を抱きしまた。
「恵子、お兄ちゃんとの別れはつらいけど、耐えるのよ。しっかりとお兄ちゃんの旅たち
を見送ってあげるのよ、寛之、つらくなったらいつでも帰ってきなさい。ごめんさい、寛
之、お母さんは、何もしてあげられなくて……」
そして恭子は嗚咽をあげた。
寛之に身体の底から慟哭が突き上げてきた。これ以上、恵子と恭子の前に立ち尽くすこ
とはできなかった。
「恵子、これを読め、おれがいなくなった後は、本を読むんだ。負けないで生きるんだ」
寛之は中学用の布カバンからト壺井栄「二十四の瞳」を取り出し、恵子の手に渡した。
恵子はその本を動物的に強く握った。自分がいなくなった後の恵子が心配だった。
寛之は涙を右腕を拭きながら、黙って山門を駆け下りた。四十八段ある山門の石段、
その第一段目に寛之の足が下りたのを見届け、有留源一郎は、山門の上で見守る寺山修
司寺住職渡辺日義に深々と頭を下げた。そして山門階段の真ん中で泣いている恵子を抱
きしめながら嗚咽を上げている恭子にていねいに頭を下げた。右手は拝礼し顔の下にあ
った。
「さあ、行くけんね」
有留源一郎は、優しさの中に断固した意思と決意を寛之に波動させながら広島弁で云っ
た。
「寛之お兄ちゃーーーーーん、帰ってきてーーーーえ」
そのとき、恵子のかん高い叫び声が、寺山修司寺を囲む山の空気に裂け目をつくった。
恵子の叫び声に鳥が一斉に空に飛び立つ。その羽音はさらに裂け目を増幅させていった。
有留源一郎は驚き樹木の枝に囲まれた空を見上げる。枝と枝の間を何匹の黒いむささびが
飛んでいる。有留源一郎は鳥肌がたった。動物としての危険信号を空気に感じた。身体よ
りの危機感と防衛本能を作動させながら、有留源一郎は山を降りていく。寛之は有留源一
郎の後に続き、寺山を降りていく。寺山修司寺が遠くになっていく、寺山に入る山道の入
り口まで来たときだった。猿の群れがふたりを待っていた。まだその場所は高原山の中腹
だった。周囲はひたすら山の森と林だった。
有留源一郎は立ち止まった。寛之は源一郎の背中の後ろにいた。猿の群れの前にいる
大きな躯体をした猿王が一歩二歩と源一郎に近づいた。有留源一郎と猿王はしばらく動
かず相対していた。目線を相手からはずしたら終わりだと、源一郎はまっすぐに猿王の
眼を見ていた。
「おれは高原山の猿王トネリ。お前はその子をどこへ連れて行く」
有留源一郎の意識下の意識に声が聞こえた。
「我は、広島、鎌倉寺山の有留一族の棟梁、源一郎なり。この子、寛之はわが有留一族の
古来よりの同盟軍、鬼怒一族の最後の人間なり。我は、高原山の鬼怒一族を再建せよとい
う先祖の霊声を鎌倉寺山で聞き、寛之を立派に鎌倉寺山で育てるために、ここにやってき
た」
有留源一郎は意識下の意識、阿頼耶識で猿王トネリに返答した。
「その子は高原山にとって必要な者、返してもらわねばならぬ。その子を遠くへ連れて行
くことは、我ら高原山ばかりでなく、八溝山の怨霊、岩獄丸も許さぬと云っている。その
子をただちに返してもらうことは、高原山と八溝山の総意なり」
「返す、必ず高原山に返す。我は、この子、寛之を修行のために鎌倉寺山に預かっていく。
山県有朋一族に支配された高原山を奪い返すためには、この子の修行が必要なのだ」
阿頼耶識で高原山猿王トネリと有留源一郎は真剣勝負の応答をしていた。
そのとき、猿王トネリと有留源一郎の直線軸に対して、三角錐の地点に、新たなる猿が高
い木から降り立った。
「我は鎌倉寺山の猿王ウガンセンなり。有留一族の源一郎は必ず約束を守る。有留源一郎に
襲い掛かることは、鎌倉寺山の猿が許さぬ」
ウガンセンの顔は幼少時にくらった、ヒロシマ原爆投下放射能の被爆風によって、頬の肉
が崩れ骨が見えていた。広島市安佐の鎌倉寺山に暮らしていた猿族は原爆投下によって、多
くの仲間が死んでいった。ウガンセンの姿態は高原山の猿に恐怖をもたらした。
周りを囲む高い樹木の枝に、広島県の鎌倉寺山からやってきた猿の群れがいた。一斉に高
原山の猿は防衛体制に入った。一気誘発の緊張が森に波動する。
「鬼怒一族と有留一族の合言葉を言え」
高原山猿王トネリは有留源一郎に迫った。
「ひえだみくりや、ひえだみくりや」
有留源一郎は目を閉じ、両手で結界を験し、合言葉の呪文を唱えた。
「これにて疑いは晴れた。我ら、その子の高原山帰還を、ひたすら待っている」
有留源一郎が指の結界と呪文をとき、眼を開いたとき、猿の群れは目の前から消えていた。
樹木の枝からも猿の群れは消えていた。山の空気は穏やかな静寂な森林へと転換されていた。
寛之は有留源一郎の後ろ、いつのまにか、草の上で眠っていた。有留源一郎は眠ったまま
の寛之を背におぶり、後ろに回した両手で、寛之の体を支えながら、高原山を降りていっ
た。道は寺山修司寺に登ってきた山道といつのまにか違っていた。迷ったのかもしれない。
寛之を背負う後ろの両手には、自分の旅行カバンと寛之の旅行カバンを持っていた。力が必
要だった。額と全身から汗が流れる。有留源一郎の背骨を感じ、眠っている寛之の肩には中
学生の布カバンが掛かっている。南方向に下界が見えてきた。矢板の町だった。有留源一郎
は高原山の麓の里、矢板市と塩原町の境界にある伊佐野村まで降りてくると、菓子屋の店先
にある公衆電話から、矢板駅前にあるタクシー会社に電話をかけ、タクシーを呼んだ。
寛之は眠りから目覚め意識を回復させていた。覚えていたのは、有留源一郎の前に猿がい
たことだけだった。ふたりが矢板駅から上野行きの列車に乗ったのは、午後四時半だった。
広島県までは列車の旅だった。
恵子は小学四年生へ、寛之は中学二年生へと進む矢先の出来事だった。早春の兄と妹の別れだった。
高原山の猿と鎌倉寺山の猿は、これを機に固い同盟を結んだ。トネリの娘デイアは、同盟
契りの証として、ウガンセンの嫁となることになった。トネリは鎌倉寺山の猿が、原爆投下
による放射能によって、遺伝子が破壊され、子供が産まれてもすぐ死んでしまうことを、ウ
ガンセンから聞き、高原山と八溝山から選ばれた娘猿を十猿、ウガンセンに託すことにした。
鎌倉寺山の猿は子孫生存のため新しい血が必要だった。
「すまぬ、おれたち一族は何のお返しもできぬ」
ウガンセンがトネリに恐縮してわびた。
「いや、あの子を、鬼怒一族の最後の人間を、鎌倉寺山にて守ってくれればそれでいい」
トネリがウガンセンの心に応えた。
「我ら、トネリ殿のデイア姫と高原山と八溝山の娘猿を守り、無事、広島の鎌倉寺山に帰還
した後、鬼怒一族の最後の人間を守り、山県有朋一族から高原山を奪還するトネリ一族の悲
願達成を終生援軍するであろう」
ウガンセンは鎌倉寺山の猿と高原山の猿、同盟軍の前で誓った。
鎌倉寺山の猿はトネリの好意により、高原山裏、奥塩原の湯につかり、さらにそのルート
から奥那須の湯まで案内してもらい、原爆病にやられた遺伝子躯体を温泉で癒した。しばら
く高原山と那須山にウガンセン一族は逗留し、そしてディア、娘猿を守りながら鎌倉寺山へ
と帰還した。一年後、ウガンセンとデイアの息子ラフォーが産まれた。鎌倉寺山からのラフ
ォー誕生の報告を聞き、トネリは同盟契りの証に喜んだ。ラフォーは鎌倉寺山猿族の頭とな
るべくこの世に誕生した。ラフォーは青年になり、同盟契りの証として、高原山の娘猿アマ
テを嫁にもらった。アマテはラフォーの息子を産んだ。ラフォーは息子をディアラフォーと
名づけた。
ディアラフォーが産まれた年の冬、ウガンセンは原爆の猿としてこの世から去った。死ぬ
前にラフォーに言った。
「鎌倉寺山の猿、原爆による生存継承の危機は、高原山の猿によって救われた。高原山から
来た女猿がわれらの子を産んでくれた。高原山との同盟契りは永遠に守るべし。我ら、後鳥
羽上皇、後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、帝を密かにお守りした猿の一族なり、その誇り
をけして絶やしてはならぬ。我らの神は猿田彦なり。高原山が山県有朋によって支配された
ように、ここ鎌倉寺山は明治の大帝へと成り上がった長州の大室寅之祐王朝によって絶対強
権によって支配された。そして広島に原爆が投下された。それを大室寅之祐王朝昭和ヒロヒ
トは、是認した。我ら鎌倉寺山猿の怨念はしかたがなかったではすまされぬ。我が亡き後、
かならず原爆を投下したアメリカに復讐するのだ。そのためには高原山の猿、トネリ一族の
協力を仰ぐのだ。わが遺言、トネリ殿に伝えよ。わが一族の復讐、必ず理解してくれるはず
だ」
ウガンセンは日本猿として死んでいった。ウガンセンのなきがらを鎌倉寺山に埋めると、
たたちにラフォーは、妻アマテと産まれたばかりのディアラフォーを連れ、高原山へと向か
った。トネリはウガンセンの遺言をラフォーから聞き、「ウガンセン殿の無念、何代かかろ
うが、晴らそうぞ」と言った。人間離れした日本猿の復讐こそに、日本の神々、猿田彦の系
譜、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の御心があった。ラフォーは同盟誓いの証として、わが子ディ
アラフォーをトネリにさしだした。
ディアラフォーはトネリの元で修行し、やがて高原山猿の棟梁になる運命となった。その
猿徳は八溝山にまで波及した。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
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- 小林 友雄
- あの山この里―下野伝説集 (1976年)
- 室井 正松, 上杉 純夫, 東 和之, 小島 守夫, 仙石 富英
- 栃木県の山
- 下野新聞社, 下野新聞=, 小杉 国夫
- とちぎとっておきの山48
- 室井 正松, 蓮実 淳夫, 仙石 富英, 小島 守夫, 上杉 純夫, 東 和之
- 栃木県の山
- 浜野 清
- 栃木県農民運動史
- 下野新聞「鹿沼事件」取材班
- 狙われた自治体 ゴミ行政の闇に消えた命
- 瀬尾 幸雄, 上中 俊治, 野間 弘
- 広島県の山
- 農林水産長期金融協会
- 全国市町村地域農業活力図鑑 (7)
- 真田 恭司
- 広島のブナ林 四季を歩く59山
- 五木 寛之
- サンカの民と被差別の世界―日本人のこころ中国・関東
- 沖浦 和光
- 幻の漂泊民・サンカ
- 歴史の中のサンカ・被差別民―謎と真相
- 沖浦 和光
- 幻の漂泊民・サンカ
- 礫川 全次
- サンカと三角寛(みすみかん) 消えた漂泊民をめぐる謎
- 大林 太良
- 山の民水辺の神々―六朝小説にもとづく民族誌
- 渡辺 伸夫, 渡辺 良正
- 椎葉神楽―山の民の祈りと舞い
- 信州智里東国民学校昭和21年度卒同級会, 熊谷 元一
- 一年生のとき戦争が始まった―われら国民学校奮戦記
- 吉田 敏浩
- 森の回廊〈下〉山の民と精霊の道を辿る
- サンカ -幻の漂泊民を探して
- 浅野 孝一
- 関東霊山紀行
- 飯尾 恭之
- サンカ・廻游する職能民たち―尾張サンカの研究 考察編
- 戸井 昌造
- 秩父困民軍の戦いと最期―秩父事件を歩く〈第3部〉
- 井出 孫六
- 秩父困民党群像
- 井出 孫六
- 峠の廃道―秩父困民党紀行
- 筒井 功
- 漂泊の民サンカを追って
- 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会
- 原爆災害―ヒロシマ・ナガサキ
- 諏訪 澄
- 広島原爆―8時15分投下の意味
- 安斎 育郎
- 語り伝えるヒロシマ・ナガサキ―ビジュアルブック (第3巻)
- 新田 光子
- 原爆と寺院―ある真宗寺院の社会史
- 大道 あや
- ヒロシマに原爆がおとされたとき
- NHK出版
- ヒロシマはどう記録されたか~NHKと中国新聞の原爆報道
- 清水 博義, 黒古 一夫
- 原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】
- 那須 正幹, 西村 繁男
- 絵で読む 広島の原爆
- 「対話ノート」編集委員会, 藤田 明史, アンソニー ガイスト, 安斎 育郎, 広島平和記念資料館, 原爆資料館=
- ヒロシマから問う―平和記念資料館の「対話ノート」
- 朝日新聞広島支局
- 原爆ドーム
- 那須 正幹, King Joanna, ジョアンナ キング, 田中 利幸, 西村 繁男
- 英語版 絵で読む広島の原爆
- NHK『原爆』プロジェクト
- 地球核汚染―ヒロシマからの警告
- NHK広島「核平和」プロジェクト
- 原爆投下・10秒の衝撃
- 安斎 育郎
- 天主堂も友達も消えた!―長崎への原爆投下
- 安斎 育郎
- あの日、家族が消えた!―広島への原爆投下
- 沢田 昭二
- 共同研究 広島・長崎原爆被害の実相
- 津島 佑子
- 火の山―山猿記〈上〉
- 青木 慧
- 山猿流自給自足
- 千葉 康由
- 雪猿乃湯
- 渡辺 眸
- てつがくのさる
- 平田 由紀子
- やさしい時間
- 万象学研究所, 辰宮 太一
- 森羅万象―新六甲法占術
- 飯田 亨
- 陰陽自然法則学〈1〉
小説 新昆類 (36) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】
5
昭和四十二(一九六七)年四月、関塚茂は矢板中学校の三年生になった。三年になって
急にクラス替えがあった。一年、二年と同じクラス、友達も多かったので、それがバラバ
ラになってしまい茂は淋しかった。それほど前のクラスは居心地がよかった。クラス替え
になってさっそく茂は背が小さかったので、川崎村の二人組みから目をつけられた。
ひとりは親分格の斉藤武とその子分格の山口一郎だった。妙な話だが背が一番小さいの
が茂で次に一郎そして三番目が武だった。校庭での朝礼は、学級委員を先頭に、次に縦に
並ぶのが茂、次に一郎、次に武だった。武は左目の網膜に白いものがあり、川崎小学校で
は、「メッカチ」と言われいじめられていた。矢板中学校に来てからは暴力でクラスメートを威嚇
するようになった。武は茂を自分の子分にしようとしていた。茂は、休み時間になると、
武と一郎に呼び出された。
「話があるから、ちょっと、いくべ」
子分の一郎が茂に伝え、茂は武と一郎に挟まれながら廊下を歩き、校舎のはずれにある
物置小部屋に入った。
「おらの子分になれ、ならなげれば、殴るぞ!」
武が恫喝した。
「おらは、そういうのは嫌いだ、殴りたければ殴ったらよがんべ」
茂は決然と応えた。調子こくんでねぇ、このやろうと武と一郎に茂は、二発、頬を殴
られた。それから休み時間のたびに武と一郎につきまとわれた。1年、2年の時のクラス
に暴力的な人間はいなかったので、茂の新しい環境は暗くなった。耐えるしかなかった。
茂は中学校よりも朝刊夕刊の新聞配達の方にやりがいを持っていた。
茂は全国紙の毎日新聞を配達していた。受け持ちは国道四号線沿いの本通り商店街だっ
た。朝はいつもスポーツ紙に掲載されていた富島健男のすけべな連載小説を読みながら配
達するのが楽しみだった。茂は貸本屋から借りてきた富島健夫のクラスノートという高校
生が卒業するときの恋愛小説を読んでいたので、富島健夫の純愛小説とエロ小説との落差
がわからなかった。早朝の街で、読売新聞の配達をしている泥荒に出会った。泥荒は末広
町方面を配達していた。中学校で泥荒とは別のクラスだったが、行き会うたびにオッスと
あいさつをした。あいつも家は貧乏で苦労していんだんべと茂は泥荒に強い仲間意識をも
った。ある朝、校長が校庭での朝礼で、新聞配達をしている生徒がある家に配達された牛
乳を盗んで飲んでいるという通報があった、そうゆうことをしてはいけないと、全生徒の
前で訓示をたれた。茂はそのとき、歯をくいじばりながら、校長を真正面からにらみつけ
た。下を向いたら敗北でおれは終わりだと思った。もしかしたら泥荒かもしれないと思い
三組の列に並んでいる泥荒を見た。泥荒も歯をくいしばり眼光に燃え、校長を真正面から
見つめていた。あいつじゃない、あいつもおれと同じ、新聞配達少年が校長に侮辱された
と、たぎる怒りに胸は煮えくり返っている。何が市民からの通報だ、ちくしょう、暇なク
ソジイイの嫌がらせだ。そのとき、泥荒が茂を見た。ふたりは、眼光で「オッス」と挨拶
をした。負けてたまるか! とふたりは同時に顔をうなずき無言で、新聞配達少年の闘志
を確認した。
矢板中学校の生徒は、毎朝、暇なクソジイイに監視されていた。登校する朝の定刻には
「君が代」が校舎のスピーカーから大音響のうなりを上げる。生徒は登校途中であっても
道路に止まり、「君が代」の大音響が聞こえたら、歩きを制止し、あるいは自転車から降
り、直立不動になり校舎の国家国旗掲揚に向かい拝礼するのだ。山県有朋一族に支配され
てきた矢板中学校の伝統だった。朝の「君が代」拝礼のとき、会話したり姿勢が崩れてい
る生徒がいたならば、山県有朋一族を敬服する「汚れ勢力」の暇なクソジイイが校長に毎
朝、電話で通報するシステムが完成していた。そして校長が、今朝の「君が代」拝礼には
きちんとやっていなかった生徒がいたと、朝礼で全生徒の前で訓示をたれる監視恫喝制度
が起動していた。さすが、長州テロリスト山県有朋支配地の伝統だった。山県有朋は、同
じく長州テロリスト伊藤博文とともに、幕末の孝明天皇と睦仁皇太子を暗殺し、長州の大
室寅之祐を明治天皇として祀り上げた人間であった。大室寅之祐明治天皇を神として貫徹
するために明治維新政府は強権となって、さまざまなものを壊滅した。日本近代は欺瞞に
よって成立した。大室寅之祐王朝の欺瞞と戦争による民衆虐殺の伝統こそ、明治、大正、
昭和の強権だった。その基礎をつくりあげたのがテロリスト山県有朋だった。日本の近代
とは、欺瞞と「嘘の神」の貫徹史でもあった。ゆえに「君が代」は大音響でうなりを上げ
る。
中学校では相変わらず、武と一郎が、休み時間になるとしつこく、つきまとってきたの
で、武と決闘をして、現状を打開しようと茂は決意した。決闘は土曜日の放課後、中学校
から荒井村にいく道沿いにある牛馬市場ということになった。そこは牛と馬が売られる日
以外は誰もいない広い場所だった。クラスメート二人が立会人でついてきた。
茂と武は取っ組み合いのケンカをしたが、ふたりとも背も力も同じ位なので、なかなか
決着がつかなかった。立会人が一息入れろと中断した。ふたりはひと時ケンカをやめた。
茂が立会人とこれからどうずるか、最後までやるのか話していたところ、武が茂の肩を手
で話があると後ろからチョンチョンとたたいた。茂がなんだと振り返った時、武のパンチ
が茂の左目に入った。このやろう、汚い手をつかいやがってと茂は動物のようなでかい
声を出し、猛然と武に向かっていった。武はヨロヨロとうろたえた。茂は何発も武の胸と
腹にパンチを浴びせ、ぶちのめした。自分でもこれほど暴力が発動できる人間であること
を、瞬間に茂は自分自身を発見していた。そのとき立会人が危険を感じ、やめろそこまで
だと仲裁に入った。ケンカはここまでだと立会人がふたりに言った。じゃぁ、おれは帰る
ぞ、夕刊の新聞配達があるかならと茂は肩掛け布製のカバンを拾い、牛馬市場の建物を後
にした。後ろから、逃げるか、このやろうと武が声を出したが茂は相手にしなかった。一
郎は最初から最後まで黙って見ていた。
月曜、茂は眼帯をして登校した。後ろから武に殴られた左目が腫上がっていたが、それ
はケンカの勲章でもあった。おれはケンカができる人間だと茂は自信に満ちていた。その
日から武と一郎は、茂に休み時間まとわりつくのを止めた。一郎も武から距離を置くよう
になった。武のケンカゲーム相手は、他の人間に向かった。授業が終わった掃除の時間、
武は、川崎村の隣にある木幡村から登校している成績が良い山田秀雄を挑発し、ぶちのめ
した。クラスメートは誰も止めに入らなかった。茂も黙って見ていた。中学一年、二年の
時と違って、新しい環境は殺伐としていた。それとも三年になり大人になったのだろうか
と茂は思った。掃除が終わり、毎日のクラス討論の反省会が始まる時、秀雄は机に両手で
頭をふせ泣いていた。周りの女子もそれを見ないようにしていた。男子は沈黙のなか、暴
力で調子に乗り、威張っている武をいつかぶちのめすと暗黙の了解を空気のなかで感じて
いた。すでに中学三年になると、表ざたにせず、隠しながら進行する政治的人間になって
いた。
六月のある日、雨が降っていた。保健体育の授業は体育館だった。九人制のバレーボー
ルの試合を男子と女子、二組づつに分かれてやる事になった。最初に男子が二組に分かれ
て試合をやり、女子はコートの周りを囲んで観戦することになった。茂は選手からはずれ
観戦となった。選手となり得意げに武はコートの後方にいた。武の対戦組のサーブとな
った。ボールを打つのはバレーボール部に所属している岡田純一だった。岡田は強いサー
ブを武めがけて打った。武は取れなかった。次のサーブも武めがけて打つ。ふたたび武は
受けたが後ろにはじき返した。武が対戦する相手の組の全員が武をめがけて打った。武こ
そがチームの弱点であることが女子生徒の前でクラス全員の前でさらされた。武は蒼ざめ
た顔になり、ますます身体は羞恥と恐怖に硬直していった。その日から武はクラスで目立
たない人間へと変貌した。集団の暗黙による政治的報復を恐れる人間となった。十五の季
節を迎える少年少女たちは、陰部に陰毛が生えて、隠すことを知り、体が大人へと脱皮を
とげていく過程の思春期にあり、それは距離をとるというニヒリズムへの知覚が芽ばえる
季節でもあった。
茂は武の挑発から解放されて、クラスの中で友達をつくっていった。最初の友達は牛乳
配達をしている石田実だった。石田に誘われたのは七月はじめの土曜日だった。土曜日は
半ドンで、昼1時前には学校が終了していた。
「今日、冒険に行くべよ、汚れてもいいズボンと上着を持ってこいよ、あと新聞紙ももっ
てこい」
待ち合わせは矢板駅だった。茂は夕刊の新聞配達もしていたので、遊べるのは土曜の午
後の夕刊配達するまでの時刻と、夕刊配達がない日曜だった。茂の家族住むアパートから
駅までは歩いて十分ほどだった。新聞紙の束を布製の手提げに入れて駅に行くと、すでに
紙袋を腕にかかえた石田が待っていた。石田は目が三角で、ねじれた印象がある男だった。
よし、いくべ、ついてこいと石田は駅の公衆トイレに向かった。茂は石田の後からついて
いった。公衆トイレは男女共有だった。水洗式ではなく汲み取り式便所だった。
トイレの入り口に入ると、左側が小便用便器が三個あり、右側に大便用男女共用個室ト
イレが二っつあった。ベニヤのドアには薄緑色のペンキが塗ってある。石田と茂は端のト
イレに入った。木の板壁にはのぞき見るためのちいさな穴があり、そこに紙がねじこまれ
ている。石田はそれを取ると、ここからとなりが見えるべ、のぞいて見ろと茂を促した。
そして石田はドアを少し開け、誰も来ないことを確認すると、隣のドアに入り、隣のトイ
レの穴からもねじ込まれていたチューインガムを取った。
茂はしゃがんでその穴を見ると、となりのトイレが見えた。石田が隣トイレから帰って
きた。
「この穴をみて、女かどうか確認するんだっぺ」
石田はドアにあるちいさな二つの穴を指差して言った。茂は立ち上がってドアの穴をみ
るとトイレ入り口方向の外が確認できた。
「きっと、高校生がのぞきにつくった穴だんべな」
石田はそう言うと、紙袋から新聞紙を出し、白い陶器製の便器を拭き始めた。何故、そ
んなことをするのか茂にはわかならなかった。どうやら便器に体を潜りこませ便溜め槽に
まで降りるらしい。石田は紙袋から古い長袖シャッツを取り出し、半袖シャッツの上に着
た。おまえも着替えろと石田が指示をしたので茂も紙袋から汚れた長袖シャッツを取り出
し、それを着た。ていねいに石田は便器を新聞紙でふき取ると、さらにボロ布で便器をき
れいにした。石田は紙袋から軍手二組を出すと、一組を茂に、これをはめろと渡した。
隣からトイレドアが開き閉まる音がした。誰か入ったなと石田が小声で言った、そして
しゃがんで、左目を強く閉じながら右目をぱかっと開き、のぞき穴を見る。おんなだと石
田は小声で言った。よし、おれは潜るからなと、軍手をはめ、両足を便器に入れ、徐々に
体を沈ませていく。石田の両足はやがてコンクリートで出来ている便槽についた。そして
便器から手を離し、便槽へと潜り込んだ。だいじょうぶかと茂は声をかけた。下からニヤ
っと笑う石田の顔が見えた。
茂ははじめての体験に興奮していた。茂がのぞき穴から見ると女子高校生がパンツを下
げているところだった。陰部から恥骨へと毛が生えているのが見えた。やがて女子高校生
は腰を下ろし、用を足していった。のぞき穴からは女子高校生の髪が下に垂れているのが
見える。やがて女子高校生は顔を上げた、そして不思議そうに目の前のちいさな穴を見て
いる。好奇心で女子高校生はその穴に瞳を近づけてきた。茂はあわてた。ここで穴から目
をはなせばバレてしまうと思い、そのまま見続けた。光が女子高校生の瞳に遮られ、穴は
真っ暗になった。やがて女子高校生は穴から目を離して、光が見えてきた。女子高校生は
立ち上がってパンツをはきはじめた。用を足した女子高校生はトイレのドアを閉め出て行
った。美人だったと茂は思った。
石田が便器に手をかけ、顔を出し肩から上半身を出し、はいずり上がってきた。
「いまのおんなが捨てたモノだっぺ」と石田は紐がついた茶色の生理用具を茂にみせた。
そして便槽へと落とした。
「ション便をへっていたよ、今度はおめえが中にもぐれ、足、滑らないように気をつけろ
よ」
ドアの穴から外を見ていた石田が、来たっぺ、おんなだ、潜れと小声で指示した。茂は
両足を便器に入れ、両腕で体を支えた。腰まで便器に入れ、両足の着地点をまさぐった。
やがて左足の運動靴が便槽に着いた。その左足を基点に今度は右足を着き、便槽を大きく
開脚した両足でまたぐ格好になる。足が滑れば便槽の底まで落ちるはめになる。両足を踏
ん張りながら、茂は肩から顔を便器の下に沈めた。上から石田が、隣はきれいな女子高校
生だんべ、下からよくおがめよと真剣な顔でいった。石田の眼は危険な遊びの情熱に燃え
そして炎は歪んでいた。その石田の眼を便器の下から見ながら茂はうなづいた。
「あまり近くまで行くとバレるから、気をつけろよ」
石田が小声で注意した。
便槽の中の便溜めには蛆虫が蠢いていた。紙、そして糞、ション便の匂いに圧倒された。
両足で踏ん張っているコンクリートの便槽壁は農茶色でぬるぬるしている。茂は軍手をは
めた右手を便槽の壁を押し指に力を入れた。これで体を支える三点が確保されたことにな
る。向こうの便器から光が差してくる。茂は慎重に前進していった。濃紺のスカートそし
て女子高校生の両足が見えた。女子高校生は、ゆっくりと白いパンツを下ろし、やがて下
半身を丸出しにしてしゃがんだ。茂は便槽の下から女子高校生の中心を仰ぎ見た。暗くて
性器はよく見えなかった。茶色い生物体のようだった。やがてその生物体の口からション
便が発射された。次に大便が爆弾のように茶色の生物体の黄門から落とされてきた。茂は
あわてて体を後退させた。女子高校生のション便と糞爆弾投下が終了し、今度はチリ紙が
ひらひらと落ちてきた。茂は初めておんなのおまんこを仰ぎ見たことになるのだが、それ
は憧れの美しいおまんこというより、茶色いシワと溝がある怪物の排泄生物体だった。茂
にとっては革命的な出来事になってしまった。暗い便槽の世界で、茂の少年期は終焉した。
茂は便器に手をかけ、顔から肩そして腰を便器の外に出していった。はぁはぁと新鮮な空
気を吸った。小声で静かにしろと石田が真剣な顔で注意した。
「なにか下のほうで見えた、気持ち悪かったよ」
トイレから出た女子高校生が外で待っていた女子高校生に話す声が聞こえた。
月曜日、茂は中学校へ登校したが、すでに、おれは恥ずかしい事をしたという罪悪感を
心の底に内包していた。クラスメートの女子中学生や女教師がスカートの下に怪物のよう
な生物体を宿していることが信じられなかった。その日から茂は赤面恐怖症になってしま
った。授業で教師に指され椅子から立ち上げると顔は真っ赤になっていた。またいくか?
と石田は土曜日に誘ったが、用があるからと茂は断った。
「おめぇ、おっかなぐなってしまたんだんべ」
石田は歪んだ眼で笑った。
夏休みになった。茂は朝の朝刊配達が終わると、箒川へ自転車で水浴びに行ったりして
過ごした。夕方になると夕刊配達をした。勉強はしなかった。夜はマンガを描いたり、テ
レビをみて過ごした。お盆が過ぎると宿題の絵を長屋の前にある大きな木を描くことに決
め、昼間から木の前で絵を描いて過ごした。その木は長屋の前の道路の向こう側にあった。
砂利が敷かれた空き地だった。茂はひとりで絵を描いているときが一番幸せだった。夏休
みが終わりその絵は体育館に張り出され銀賞をとった。茂は嬉しかった。
二学期になると、高校進学の模擬テストがあった。そして黒板の横の机には就職案内の
パンフレットが置かれるようになった。クラスメートはひとりひとりが進路を問われるよ
うになった。授業が終わると高校進学のための課外授業が行われるようになった。茂は夕
刊配達があるので、課外授業の申し込みをしなかった。自然に茂は高校進学しないグルー
プとより付き合うようになった。高校進学しないグループはほとんど氏家町にある職業訓
練所へ入るつもりでいた。茂は那須工業高校の土木科を希望していた。自分の進路を選択
していくという社会の重みをクラスメートの誰もが感じていた。天真爛漫だった中学一年
や二年の時と違って、それぞれが内向化していった。未来への不安と心を隠し秘密を持っ
た茂はインキンタムシに犯されてしまった。体を動かすたびにきんたまが痛かった。つい
に茂は、きんたまを圧迫できる水泳パンツを履いて登校した。後ろの女子生徒に水泳パン
ツの線を見られるのが怖かった。茂は夢精をするようになっていた。夢の相手は長屋の二
軒隣のおばさんだった。夢の中で茂は発射した。起きるとパンツが精液で水濡れしていた。
先行し大人になっていく体の革新に、意識は置きざれにされ不安と動揺の日々だった。
家ではテレビを見ながら国語辞書を開き、性に関する語句を読み、ひとり興奮していた。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
- 高藤 晴俊
- 日光東照宮の謎
- 垣添 忠生
- 空と水の間に―奥日光をめぐる十五章
- 下野新聞社
- 日光の社寺 悠久の杜の中で世界遺産写真集
- 大関 篤英
- 英語と日本語で楽しむ日光―日光-その歴史と美-
- 昭文社編集部
- あっちこっち日光〈2002年版〉
- 森 勝蔵, 石川 健, 山県 睦子, 石川 明範
- 伊佐野農場図稿
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小説 新昆類 (37) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】
6
大船駅西口から横浜市立場に行く神奈川中央交通のバスに乗ると、原宿交差点を過ぎ、
バスは米軍深谷通信基地沿いの道路を走っていく。深谷通信基地にはいくつもの電磁波塔
が林のごとく樹立していた。この基地の機能は、米海軍第七艦隊の艦船や、厚木海軍航空
機と横須賀の海軍司令部を結ぶことで、三十基のアンテナと五十五基の送信機で艦船に中
継送信をおこなっていた。その周りには畑であった。ふちのある丸い帽子を被った有留源
一郎は深谷通信基地手前のバス停で降りると、深谷小学校の方向に歩いていった。左手に
深谷小学校、右手には深谷通信基地のいくつも樹立している電磁波塔が見えた。
平成十八(二〇〇六)年八月六日広島原爆記念日の早朝だった。そして今日は日曜日だ
った。道路にはまだ車も走っていなければ人も歩いていなかった。有留源一郎は畑のあぜ
道を歩いていった。面前に電磁波塔がそびえている。彼は黒い肩掛けバックから虫カゴを
取り出すと、草のあぜ道にしゃがんだ。虫カゴを開けると中から茶色い昆虫が四匹飛び出
してきた。その昆虫はゴキブリとクモが合体したちいさな電磁波新昆類だった。電磁波を
体内から外に発生させる生物だった。電磁波に放射されながら飼育されたので、電磁波を
発生させる場所こそおのれが生存できる場所であると本能が起動して、草のあぜ道を新昆
類は勢いよく跳ねながら深谷通信基地の方向へと姿が消えていった。有留源一郎は八十五
歳になっていたが、意思的な後姿だった。空となった虫カゴを黒いバックのなかに戻し、
畑のあぜ道から道路に戻ると、彼は深谷小学校を過ぎ住宅地のなかを歩いていった。坂を
上り今度は左折して坂を下りていく路地を歩いていった。やがて廃墟となったドリームラ
ンドタワーが見えてきた。大きな道路に出ると下手にバス停が見えた。そのバス停の手前
に三菱ふそうの幌がある青い二トントラックが止まっていた。有留源一郎がそのトラック
まで歩いていくと、助手席のドアが開いた。有留源一郎は黙って乗り込む。運転席に座っ
ていたのはタオルを頭にまいた関塚茂だった。トラックは瀬谷の方向へと走り、相鉄線の
三ツ境駅で男をひろった。三ツ境駅から乗り込んで来たのは渡辺寛之だった。野球帽を被
りハイキングに行くかのようなの姿をしていた。渡辺寛之と関塚茂は五十三歳になってい
た。渡辺寛之はNECの早期退職に応じ、現在は高齢者相手にパソコンやインターネット
のやり方などを教える商売をしていた。
トラックは三ツ境駅から厚木街道に入り大和駅方向へと走っていった。幌に覆われた荷
台の後ろには、大き目のハイキング用ザック五個とひとつのダンボール箱のなかに一眼レ
フのデジタルカメラが五個、毛布に包まれて入っていた。荷台の前には三個のダンボール
箱が黒いゴムバンドによって、動かないように固定されていた。
大和警察署を過ぎると交差点の右側にファミリーレストランのガストが見えてきた。ト
ラックは交差点を右折してガストの駐車場に入った。時刻は朝八時前だったが、すでに真
夏の太陽はぎらついていた。渡辺寛之は運転助手席のドアを開けると、すぐさまトラック
の後ろに行き、幌を閉めているゴムバンドをはずしていった。運転をしていた関塚茂も幌
のゴムバンドをはずす。そして荷台に乗り込み、渡辺寛之に一つのハイクング用ザックと
一つのデシカメを渡した。渡辺寛之は後からトラックの後ろに歩いてきた有留源一郎にそ
れを渡した。そして自分が背負い身に付けるザックとデジタルカメラを受け取った。関塚
茂は荷台で自分のザックを背負い、デジタルカメラを首にかけると荷台の幌の中から外に
降りた。そして幌を閉めるゴムバンドを関塚茂と渡辺寛之はトラックにかけた。三人は店
のドアへと歩いていった。
ガストのドアから出てきたのは、めぐみ、渡辺寛之の妻である真知子、泥荒の三人だっ
た。めぐみは有留源一郎、渡辺寛之、関塚茂に眼を合わすことなく、先ほど関塚茂が運転
していたトラックへと歩いていった。真知子はすれ違うとき、夫の手に自分たちが乗って
きたワゴンのカギを渡した。
めぐみはトラックの運転席に乗り、渡辺真知子と泥荒は助手席に乗った。助手席には有
留源一郎が残していった黒い肩掛けバックがあった。それを真知子は座席の後ろに入れた。
めぐみが運転するトラックは大和警察署方向へと走り、厚木街道と四六七号線の交差点を
右折し四六七号線藤沢方向へと走っていった。すでに泥荒も関塚茂も鬼怒一族と有留一族
の秘密結社同盟の一員となっていた。
ガストで朝食を注文したのは有留源一郎、関塚茂だった。渡辺寛之はドリンクを注文し
た。三十分ほどくつろいで、三人はガストを出ると大和駅方向へと歩いていった。大和駅
のタクシー乗り場からタクシーに乗った。
「引地台公園までお願いします」
関塚茂が運転手に告げた。近距離は金にならないと、運転手はしかめ面で車を動かした。
朝から公園で趣味の写真とりかよ、公民館の写真サークルだなと運転手は思った。運転手
は鏡で後ろの客席の有留源一郎の顔をチラっと見ながら、この老人が写真サークルの先生
だと判断した。まったく元気で景気がいいのは年寄りばっかりだよと思った。続いて運転
手は鏡で渡辺寛之と関塚茂の顔をチラっとみた。五十歳代のこいつらは写真サークルの会
員だなと運転手は判断した。ケっ、趣味の写真かよ、日曜の撮影場所が公園かよ、まった
く金がかからない趣味だわ、こいつらケチケチしている五十歳代のサラリーマンが、夜の
街で飲まなくなってしまったので、本当に不景気だわと運転手は後ろの客を呪詛した。
引地台公園でタクシーから降りた三人は、それぞれがデジタルカメラをかまえ違う方向
へと散っていった。誰から見ても自然が好きな公園を散策する趣味を楽しむカメラマンだ
った。渡辺寛之は一時間ほど公園の樹木などをカメラで撮り、「やまと冒険の森」の方向
へ歩いていった。「やまと冒険の森」で、また彼は1時間ほど写真を撮った。それから米
軍厚木海軍飛行場の境の木陰で腰をおろし、ザックの中からビニール袋に入ったおにぎり
二個と冷茶のペットボトル取り出した。
ザックは開けたまま腰の後ろに置いた。渡辺寛之の後ろには広大な米軍厚木飛行場があ
った。ザックの中からちいさなゴキブリの群れが外に飛び出してきた。電磁波に反応し昆
虫ウィルスを体内に宿した新昆類だった。電磁波に放射されながら、日本人の精液をエサ
に飼育されてきた新昆類は渡辺寛之の子供たちでもあった。新昆類は日本人遺伝子には無
害だが白人の遺伝子をもった米国人には害悪になるだろうことを新昆類プログラム設計者
の渡辺寛之は知っていた。新昆類が宿す昆虫ウィルスは鳥インフルエンザよりも破壊力が
あった。米軍厚木飛行場の草むらで繁殖した新昆類昆虫ウィルスが米軍兵士に寄生し、新
インフルエンザとして破壊力を起動させるのは九年後の二〇一五年だった。それを鬼怒一
族と有留一族の秘密結社は2015年体制プログラムと命名していた。
渡辺寛之のザックから外に出た新昆類は米軍厚木飛行場から出す電磁波に反応し、草む
らの茂みに入っていった。夜に活動する新昆類は羽を広げ飛び、広大な米軍厚木飛行場の
あちこちに飛んでいき、ここは新昆類が生存する最高の領域になるだろうと渡辺寛之は思い、
夏草の匂いを嗅ぎながら令茶を飲みながらおにぎりを食べている。食べ終わると腰の後ろに
あったザックの中身を見たがもはや新昆類は一匹もいなかった。寛之はおにぎりを包んであ
ったラップをまるめ、ゴミ袋となったビニール袋に入れると、それをザックの中に入れた。
そして令茶のペットボトルを飲み干した。飲み干したペットボトルをザックのなかに入れ
ると、寛之はザックのチャクを閉めた。そして立ち上がった。向こうに有留源一郎が散策
しながら時折止まり写真を撮っている姿が見えた。
渡辺寛之が「やまと冒険の森」から外の道路に出ると、引地台公園方向から関塚茂が歩
いてくるのが見えた。空を見上げると真夏の太陽は頂点に位置していた。渡辺寛之は野球
帽の下から流れる額の汗を右手で拭くとそのまま大和駅方向へと歩いていった。有留源一
郎も関塚茂も渡辺寛之と同様に基地との境で、背負ったザックを開け、おにぎりを食べる
はずだった。渡辺寛之は有留源一郎の老体がこの暑さにやられないだろかと心配したが、
関塚茂が後ろについているから大丈夫だろうと心配を打ち消した。有留源一郎の強靭な意
志力にこの日の決行まで導かれてきたのだと思いながら渡辺寛之は大和駅に向かって街を
歩いていた。三人合わせて九十匹の新昆類が米軍厚木海軍飛行場に放されたことになる。
渡辺寛之は歩いてガストまで戻り、真知子たちが駐車場に置いていったトヨタワゴン・
カルディナを運転して、ガストの駐車場から車を出した。大和警察署を過ぎ厚木街道と四
六七号線の交差点を右折して四六七号線を藤沢方向へと走らせた。すぐ右側にファミリー
レストランのジョナサンが見えた。信号機のところで右折し渡辺寛之はトヨタワゴン・カ
ルディナをジョナサンの駐車場に入れた。そして車をロックして店に入っていった。やが
てこの店に有留源一郎と関塚茂が「やまと冒険の森」から戻ってくる手順になっていた。
渡辺寛之はドリンクのみを注文し、ドリンク・バーから氷を入れたアイスティを席に持っ
てきた。この後のプログラムは、有留源一郎と関塚茂を待ち、三人で栃木県矢板市の高原
山に向かうことだった。関東を北上するトヨタワゴン・カルディナの運転は関塚茂の任務
だった。
めぐみが運転する四六七号線藤沢方面に向かったトラックは、小田急江ノ島線桜ヶ丘駅
付近で泥荒を降ろした。泥荒は後ろの幌を開け、ザックと望遠付きデジタルカメラのセッ
ト二組を取り出し、幌をゴムバンドで閉めた。前の運転助手席のドアを開け、ザックとデ
ジタルカメラを渡辺真知子に渡した。そして自分用のザックを背負いカメラを首にかけ桜
ヶ丘駅方向に歩いていった。太陽がぎらついているので野球帽をかぶった。
泥荒は桜ヶ丘駅から鈍行の小田急江ノ島線町田行きに乗った。町田駅から小田急小田原
線に乗り換える。泥荒は座間駅で降り、そこからタクシーに乗った。泥荒は富士山公園で
タクシーを降りると、一時間ほど公園の樹木などを撮影した。富士山公園の向こうは米軍
座間キャンプ基地だった。泥荒はそこで渡辺寛之と同様にザックを開け、おにぎりを食べ
る。ザックの中から這い出してきた新昆類は座間キャンプ基地が出す電磁波に反応し、草
むらのなかを基地の方向に蠢いていった。
白い帽子の渡辺真知子がトラックから降りたのは、四六七号線と戸塚茅ヶ崎線の交差点
である藤沢橋付近だった。真知子は遊行通りを藤沢駅北口まで歩いていくと、江ノ電に乗
り鎌倉で降りた。そこでJR横須賀線に乗りJR横須賀駅で降りた。目の前はヴェルニー
公園で、横須賀本港の海が見えた。渡辺真知子は三十分ほどデジタルカメラで撮影すると、
樹の木陰の下で、ザックを開けおにぎりを食べた。海軍基地が出す電磁波に反応した新昆
類がナップザックから外に出てくる。沈黙の昆虫ウィルスを宿した生物兵器は夏草のなか
に消えていった。渡辺真知子は海を見ながらハンカチで顔に流れる汗を拭った。渡辺真知
子は白い帽子をとると、髪を潮風にさらした。気持ちがいいと真知子は感じた。渡辺寛之
の姉さん女房である真知子は五十四歳になっていた。子供はひとりだった。真知子と寛之
の子供は史彦で広島大学工学部の学生だった。ヒューマノイド専門課程を勉強していた。
史彦はひとりで山口県にある米軍岩国基地へのアタック、新昆類放出を寛之と真知子と同
じように決行するはずだった。真知子は史彦が心配だった。史彦は決行後、岩国基地から
有留一族の根拠地がある広島県広島市安佐北区白木町大字有留に帰還する手はずだった。
有留村にあるアジトこそ有留源一郎が経営していた有留鉄工所だった。大きな工場は今、
看板をはずし工場は閉鎖され鉄工の生産をしていないがその代わり新昆類が秘密に生産さ
れていた。
史彦は二十歳だった。史彦は工場閉鎖された有留鉄工所から広島大に車で通学していた。
工場は史彦のヒューマノイド研究所へと変貌していた。史彦のヒューマノイド研究はコン
ピュータそのもののロボット化だった。言語の自動書記。ロボットが文章を書き、その文
章をメールとしてインターネットから携帯電話に無差別発信する。返信された人間のメー
ルからその人間の姿態をロボットが分析し、それに見合ったメールを返信するという実験
だった。携帯電話インターネットへのヒューマノイドによる介入である。ヒューマノイド
研究所へと転換された工場には、何台ものコンピュータがインターネットと接続されてい
た。コンピュータのキーボードを打っているのはヒューマノイドたるロボットだった。そ
のロボットは人間の手のみ模倣されていた。ロボットはパソコンによるあらゆるインター
ネット掲示板にも無差別に自動書き込みをしていた。それはヒューマノイドが文章のみに
よって人間と対話する実験だった。人間の自尊心をくすぐり喜ばせたり、人間を挑発し怒
らせたりしながら、ヒューマノイドは史彦の工場からインターネットに浸透していった。
そしてすでに株式市場にもヒューマノイドは介入していた。証券会社を挑発し株誤発注へ
と誘惑し、東京証券市場売買システムの弱点を突く工程だった。ヒューマノイドによる市
場数字の操作である。渡辺史彦はすでに個人投資家でもあった。
有留村の住民からも史彦は源一郎の孫として認知されていた。村人はこの八月、源一郎
がまた旅行に行ったので孫の史彦が留守番をしていると思っている。鬼怒一族と有留一族
を継承する正統の血筋として、有留源一郎の記憶と財産を譲り受ける男が史彦であった。
有留源一郎が死ねば史彦が棟梁になることが約束されていた。岩国基地へひとりでアタッ
クすることは棟梁への試練でもあった。
史彦は鎌倉寺山猿の一群によって密かに守られていた。その頭こそラフォーだった。
めぐみが運転するトラックは、藤沢橋を左折し遊行寺坂を上り戸塚茅ヶ崎線から横浜新
道に入り新保土ヶ谷ICから横浜横須賀高速道路に乗った。めぐみは横浜新道での渋滞か
ら解放され、一挙にスピードを上げる。目指すのは横須賀だった。昭和三十九(一九六四)
年生まれのめぐみは二十一世紀の今年四十一才になっていた。夫は五十三歳の関塚茂だっ
た。藤沢市鵠沼海岸に一戸住宅の中古を買って住んでいた。子供はふたりだった。ふたり
とも娘だった。上の子は真由美、下の子は亜紀という名だった。真由美は高校を卒業する
と神奈川県庁に就職し基地対策課で働いている。米軍基地の情報は真由美から手に入って
いた。亜紀はコンピュータ専門学校に通っている。夏休みの亜紀は今、沖縄へと遊びに行
っている。海水浴などをしながら八月いっぱいは米軍基地周辺の情報収集と手ごろなアジ
トになる別荘を物色する役目だった。
めぐみは横須賀ICから本町山中道路に乗り、JR横須賀駅沿いの一六号線に出た。ト
ラックは横須賀商店街手前で左折し三笠公園に入っていく。海には三笠記念艦船があった。
めぐみはトッラクを第一駐車場に止めた。一時間四百円で二十四時間の有料駐車場だった。
三笠公園は真夏のせいか観光客はまばらだった。すばやく有留めぐみはトラックの幌を開
け荷台のゴムバンドをはずし、三個のダンボール箱を前方から荷台の後ろに移動させる。
ダンボール箱のふたが開かないように貼ってあったガムテープを引き剥がす。公園の清掃
員が近くにいないことを確認すると、ダンボール箱をかかえ、トラック荷台後ろの草むら
に持っていった。そしてダンボールをひっくり返し、中から新昆類の群れを草むらに放し
た。幌が間昼間の死角となった。めぐみはその作業を三回反復すると、空になったダンボ
ール箱を荷台に戻し、濃い草色の幌を閉めた。そして公園の出入り口まで歩いていった。
公園前道路の向こうに「海軍さんのカレー」という食堂があったので、そこで食事をする
ことにした。
三笠公園の東には米海軍横須賀基地があった。そして横須賀は米海軍原子力空母の母港
でもあった。ヴェルニー公園と三笠公園の二ポイントでの新昆類放出、三笠公園では三個
のダンボール箱から三百匹の新昆類が放されたことになる。昆虫ウィルスの宿した生物兵
器の母体は原子力空母に侵入し、アメリカ本土へと太平洋を渡航していくはずだった。原
子力空母の乗務員は五千人だった。毎日五千人の食事をつくる空母の厨房はどのホテルよ
りも巨大だった。ゴキブリが進化した新昆類はそこで繁殖するはずだった。電磁波に放射
されながら飼育され世代を更新してきた新昆類、米海軍原子力空母が出す電磁波環境のな
かで新世代が誕生するプログラムでもあった。
横浜駅西口で渡辺真知子と泥荒をひろい、湾岸線から首都高速に入り、東北自動車道へ、
そして矢板ICで降り、高原山をめざす行程をめぐみはイメージしながら、「海軍さんの
カレー」の店で食事をした。外が暑いので冷えたビールを飲みたかったが、冷たいウーロ
ン茶でがまんをした。真夏の太陽に燃えたロードを南関東から北関東へトラックで走るの
は忍耐力がいる労働だったが、夜には高原山の麓でビールが飲めると楽しいイメージでお
のれを鼓舞した。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度) 第1次予選落選】
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