▪️◼️ 元イルミナティの証言 // 音楽に潜む悪魔の呪い





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善と悪を分けるのは神様の業。


善と悪を混ぜるのは悪魔の業です。


今、世を支配しているのは碌でもない悪人ばかり。


悪は善に対して影響力が強いもの。


ベートーヴェンの作曲した交響曲第9番の最終楽章。は、悪魔の喜びの歌














なので

悪人と一つになって生きることは、善人には苦しみになります。


神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。


今日は、久しぶりに一般の読者の方に向けて箸休めの記事を書こうと思います。

 

というのも、ここ最近、私の周りでやたらと私のブログに誘導させまいとする動き、私のブログを信じさせまいとする動きが出てきているように感じるからです。

 

今日のタイトルを見て、一瞬、戸惑ってしまった人もいるかも知れません。

 

神様が「世界を善と悪とに裂く」

 

悪魔が「世界を一つにする」

 

人によっては、逆じゃないのか、と思ったかも知れません。

 

「一つにする」という言葉は、ある意味、とても耳障りがよいものだからです。

 

確かに「一つにする」という言葉は、「人と人とを仲良くさせる」「人と人とが愛し合うようにさせる」という意味にも捉えることができます。

 

そして、そのような意味として捉えるなら、「一つにする」ということはとても素晴らしいことです。

 

しかし、現実問題として、この世の中では「一つになってはいけない」「一つにしてはいけない」ことが多々あります。

 

なぜなら、この世の中には数多くの悪人たちがいるからです。

 

特にこの世の支配層たちは、悪魔を拝むようなとんでもない悪人たちばかりです。

 

そんな悪人の中に、心のきれいな善良な人が混じっていったなら、果たしてその人はどのようになってしまうでしょうか。

 

間違いなく、その人も同じように心が悪に染まり、善良な人間から悪人へと変質していってしまうでしょう。

 

しかも、相手は富も名誉も持っているような有力者たちです。

 

彼らの中に混じれば、当然、こちらが彼らの言うことを聞かざるを得なくなります。

 

そうすると、こちらがどんなに正しいこと、善良なことを言っても、その声が相手に届くことはありません。

 

そして、彼らはそのことを重々分かっています。

 

だから、悪魔は常に「善人」と「悪人」を一つにしようとするのです。

 

そして、神様は逆に「善人」と「悪人」とを分けようとするのです。

 

水の中に一滴でも墨汁が混じれば、その水を飲むことはできません。

 

一滴であろうと、十滴であろうと、同じことです。

 

悪い方には、量は関係がありません。

 

一滴でも墨汁の入った水を、誰が飲みたいと思うでしょうか。

 

このように、「悪」は「善」に対してとても影響力が大きいものです。

 

そして、悪魔たちはこのことを重々心得ています。

 

だから、悪魔たちは必死でこの世界を一つにしようとしているのです。

 

そうやって「善人」と「悪人」とを一つに束ねてしまえば、この世の中がもっと簡単に悪に染まる、ということを彼らは分かっているのです。

 

読者の皆さんの中には、私がNWO(世界統一政府)を嫌悪しているのを見て、どうしてNWOがそんなにいけないんだろう、世界が一つになるのはいいことではないか、と思っている方もいらっしゃるかも知れません。

 

しかし、どんなにきれいな心の持ち主でも、悪の中に混じれば、それだけで心が汚れてしまいます。

 

もとの純粋な人間ではなくなってしまっています。

 

一滴の墨汁が混じれば、純粋な水でなくなってしまうように、その人もまた元の純粋な人間ではなくなっています。

 

とはいえ、少し悪に染まっただけでは、その人の見た目はほとんど変わりがありません。

 

ほとんど何の影響もなかったかのように見えます。

 

恐らくその人自身も、自分が悪に染まったという感覚はほとんどないと思います。

 

このように悪魔は、自分でも気付かないように、人の心を少しずつ少しずつ悪に染めていくのです。

 

悪魔とて最初から皆さんに「麻薬を吸え」とは言いません。

 

そんなことを言っても、相手が良心の呵責を覚えて、拒絶することを分かっているからです。

 

だから悪魔は、少しずつ少しずつ人間の考えを変えようとします。

 

例えば、彼らは「麻薬」を楽しむ人物を主人公とした映画やアニメ、小説や漫画を作り、それを広く普及させています。

 

そうすることで、「麻薬」をすることは悪いことではない、むしろ格好いいことだ、幸福なことだ、と洗脳していくのです。

 

また、あなたの目の前に「麻薬」に明け暮れている人間が現れ、その人間がベンツに乗ったり、豪邸に住んだり、豪勢なパーティをしたりしていたとしましょう。

 

そして、そんな毎日が続きます。

 

そうすると、あなたはいつしか、「麻薬」は悪いものではない、むしろ素敵なものだ、と思うようになるに違いありません。

 

悪魔とはこのように人間の考えを少しずつ少しずつ悪に染めていくのです。

 

私たちはこのような悪魔の罠にかからないようにするためにも、はっきりと「善」と「悪」を区別し、「善人」と「悪人」を区別しなければなりません。

 

でなければ、この世の多くの人たちが「悪人」に騙され、どんどん「悪」の方へと流されていってしまうからです。

 

私がこのブログを書いているのも、それが一つの大きな目的です。

 

「悪」を「悪」と指摘し、「悪人」を「悪人」と指摘することによって、「善人」が一人でもこの世の悪に染まらないようにしようとしているのです。

 

ですから、このブログはある意味、「善人」のために書かれたブログでもあります。

 

実際、「悪人」にとって、これほど煙たいブログもないでしょう(笑)。

 

にもかかわらず、
そんな私に対して、この世の悪ばかり指摘していないで、この世の中ともっと協調して生きたらどうか、と言ってくる頭のおかしな人がいます。

 

悪の中に混じれば、自分も悪に染まります。

 

私はそれを長い人生経験からはっきりと分かっています。

 

そして、私の信じている聖書の神様も、私にそのように教えてくださいました。

 

だから、この世の悪に混じらず、常に悪と戦って打ち勝ち、悪を滅ぼしながら生きてきました。

 

そのお陰で、私はこれまでずっと正常な頭を保ち、誰も解いたことのないこの世のカラクリさえ解けるようになりました。

 

本当に神様に感謝しています。

 

ところが、私がこのように話をすると、聖書の以下の言葉を使って、私のことを批判してくる人がいます。

 

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『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

 

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

 

こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。

 

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

 

(マタイによる福音書5章43〜45節)

 

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このように聖書には
「敵のために祝福を祈れ」と書いてあるのに、お前は「敵を滅ぼす祈り」をするのか、それこそ悪魔と同じじゃないかと言ってくる人がいます。

 

前にもそんな低レベルのことを書いている人がいて、一度、記事にしたことがあります。その記事が以下になります。

 


○「聖書」とか「電磁波」とか「バイオレゾナンス医学」についての雑記。自分の人生を良くするも悪くするも、自分の認識観次第です。


 

別に私とて、敵のために祝福を祈っても構いませんよ。

 

ただし、私が悪人のために滅びを祈ろうと、祝福を祈ろうと、その結果は同じです。

 

なぜなら、聖書には以下のようにも書かれてあるからです。

 

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愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。

 

なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。

 

むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

 

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 

(ローマ人への手紙12章19〜21節)

 

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要するに、私が敵のために「滅び」を祈ったとしても、「祝福」を祈ったとしても、

神様は同じく悪人の上には「災い」を下す、ということなのです。

 

当たり前です。

 

神様は、私たち人間以上に悪を憎んでいます。

 

なのに、私たち人間が悪人のために祝福を祈ったからといって、神様がその祈りを聞くでしょうか。

 

絶対にそんなことはしません。

 

むしろ、祈る人にはさらなる祝福を与え、悪人の上にはさらなる刑罰を加えるだけです。

 

その人が祈れば祈るほど、神様はそのようになさるでしょう。

 

それが天の法則なのです。

 

なので、私も悪人のために祝福を祈っても構いませんし、実際にそのように祈るときもあります。

 

悪人といえども、私たちと同じ人間ですし、中には悪を悪だと分からずに悪を行っている人もいるからです。

 

私はそのような人のことを哀れに思い、彼らの罪が許されるように祈ることもあります。

 

しかし、だからといって、その人の罪が本当に許されるかというと、そんなことはありません。

 

その人がその悪から離れないかぎり、神様がその人の罪を許すことは絶対にありません。

 

むしろ神様は、その悪人が悪から離れるように様々な災いを下されるでしょう。

 

そうすることが、その人にとっての真の祝福になるからです。

 

そして、もしその人がその災いに懲りて、悪から離れるなら、その人の罪は許されるでしょう。

 

しかし、懲りるどころか、むしろ心を頑なにして悪を行いつづけるなら、さらなる災いを受けることになります。

 

とはいえ、有料記事をお読みの方ならお分かりになる通り、神様と人間の関係は、今や2000年前とは違います。

 

今や、神様と人間が本音で話し合える時代が到来しています。

 

そんな時代に、回りくどい型にはまった堅苦しい祈りを捧げる必要はありません。

 

自分の思っていることを素直に神様にぶつければいいのです。

 

そうすれば、神様はその人の心の叫びを聞いてくださるでしょう。

 

もっとも、悪人がいくら祈っても、神様はその祈りを聞いてはくださいませんので、要注意ですよ。

 

悪人は悪魔にしか祈りを聞いてもらえません。しかし、その悪魔とてあなたのことを本当は憎んでいます。

 

なので、あなたの祈りを叶えた後、悪魔はいずれあなたの命すらも要求してくることでしょう。(実際、悪魔の前では生け贄が必要みたいですから。)

 

悪人はどこに行っても、結局は不幸になるしかないのです。

 

とにかく、私は普段からいつもこの世の人々のために祝福を祈っています。

 

そうすることで、「善人」には祝福が下り、「悪人」には裁きが下る、ということを分かっているからです。

 

それと同時に私は、悪人たちの悪い行いを神様に詳しく報告し、その行い通りに裁かれるようにも祈っています。

 

悪人のために何をどう祈っても、必ず裁きが下されることを分かっているからです。

 

そして神様は、私のそのどちらの祈りも必ず聞いてきてくださいましたし、これからも聞いてくださるでしょう。

 

皆さんに神様からの祝福がありますように。










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~覚醒・連帯・命の周波数~ 何故、432 Hzは闇に葬られたのか!? 2014-09-02 15:07:02