最高裁の寺田逸郎長官が3日の憲法記念日を前に記者会見を開きました。ハンセン病患者の裁判を隔離された「特別法廷」で開いていた問題について、「裁判所のあり方を深くおわび申し上げなければならない」と謝罪の言葉を述べました。

憲法記念日を前に談話を発表する最高裁の寺田逸郎長官=東京都千代田区、仙波理撮影



未だ大きく取り上げられない社会問題だと思います。
私たち社会がハンセン病患者にしたこと。それは、人権を踏みにじる醜悪な行為でした。
ですが、その事実は常に隠されてきました。

ハンセン病は本当はそんなに感染力のない病気でした。でも、戦前から平成8年までおよそ90年にわたって隔離政策がとられました。患者数は1万1000人と言われています。
患者たちは、療養所と称した強制労働施設に閉じ込められ外出も禁止、もちろん仕事にもつけません。
遺伝病でもないのに結婚しても子供を作る事は許されず、結婚には断種(強制不妊手術)が絶対条件でした。

筆舌に尽くしがたい扱いを受けてきたハンセン病患者ですが、日本において最も許されない行為は、戦後になって特効薬が実用化され、感染力が極めて弱いことがわかったあとも隔離政策を続けたことです。

1996年までこのようなひどい扱いを政府は続けました。

ハンセン病患者は罪を犯した場合、通常の裁判を受けることはできませんでした。療養所などに設けた特別法廷に裁判官が出向いて審理していたのです。
最高裁の報告書では「ハンセン病が確実に治るようになった遅くとも昭和35年以降、特別法廷を設ける手続きは違法だった」と誤りを認めています。

特別法廷というのは法廷で裁判を開くことが難しい時に各地の裁判所の申請を受け最高裁がその必要性を判断します。ハンセン病の場合、申請は96件、内95件が特別法廷のケースとして認められています。これがどれだけ異例かといえば、例えば結核などハンセン病以外の理由でされたのは61件。
最高裁が認めたのはたった9件でした。

ハンセン病の申請において最高裁は検討などはしなかったのです。ただただ、形式的に特例を認めて行っただけの事でした。
ハンセン病患者は人として扱われてきませんでした。
今回の最高裁の事務方のトップである事務総長の謝罪は偏見や差別を助長し、患者の人権と尊厳を傷つけたことへの謝罪でした。

異例の謝罪会見であったわけですが、批判はやみません。
まず対応が遅すぎるということ。違法性を認めた上で隔離政策は解除されたわけですが、あれから20年もの月日が経っています。
この20年裁判所は自らが犯した罪の検証を全くせず、問題を放置し続けました。

また、謝罪したものの、最高裁判所が審査なしに認めてきた特別法廷が違法、違反とは認めていません。
ですが、これは明らかに憲法の平等原則、裁判の公開という基本的なことに違反しています。

公開されない裁判、偏見と差別が蔓延する特別法廷。

かつて特別法廷に立ち会った弁護士は出版した書物の中で、「当時は伝染病だと思っていたので早く審理を終えたいという気持ちが強かった。裁判官や検察官も同じ気持ちだっただろう」と記しています。

特別法廷の書記官を務めた人は、「誰もが差別と偏見をもって裁判にあたり、被告を人間ではなくぼろ雑巾にように扱った」と悔やんでいたといいます。

ハンセン病患者は公正な裁判を受けることすらできなかったことがわかります。

ここがもう一つの問題ですが、最高裁は特別法廷の申請手続きが正しかったかの調査はするとしているのですが、裁判の内容は検証しないとしています。

今回、異例の最高裁判所事務総長の謝罪。ですが、それは患者たちが誠意を感じる内容ではありませんでした。

特別法廷での事件には冤罪の可能性が指摘されています。
公開の法廷に一度も立つことなく死刑になった患者もいます。

ハンセン病患者とその家族の人生を狂わせた日本の社会。
あまり、大きな報道がされないこの社会問題は他人事ではありません。
人権と人間の尊厳を守るべきである裁判所が犯した大きな罪。
いまもまだそれに向き合わない日本の司法が国民の人権を守る組織になり得るでしょうか。

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