ハンセン病患者の刑事被告人らが、伝染の恐れを理由に裁判所ではなく国立療養所など外部に設置された「特別法廷」で審理を受けたことが正当だったかどうかについて、最高裁が検証を始めたことが十八日、関係者への取材で分かった。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会などが昨年十一月、特別法廷での審理は「裁判の公開」を定めた憲法に違反するとして検証を求める要請書を提出しており、最高裁は元患者らから聞き取り調査を進める。最高裁が過去の裁判手続きを検証するのは異例。

 最高裁や要請書によると、裁判所法が施行された一九四七~七二年に、ハンセン病を理由にした特別法廷は九十五件あり、うち九十四件が刑事裁判だった。当時は隔離施設だった療養所内や勾留先の拘置所などに設置され、事実上、非公開で実施された。

 ハンセン病患者の隔離政策をめぐっては、熊本地裁が二〇〇一年、医学的知見の検討から「一九六〇年以降は重大な人権の制約を強いる隔離の必要性は失われていた」として、らい予防法(九六年廃止)の隔離規定を違憲とする判決を出し、確定している。

 このため最高裁は違憲とされた六〇年以降の特別法廷二十七件を中心に検証することを決め、今年五月に調査委員会を設置。施設を所管する厚生労働省や、刑事事件を担当する法務省にも協力を求め、裁判記録の調査を進めている。

 裁判所法は、最高裁が必要と認めれば外部で特別法廷を開くことができると定め、一般的には火災や水害などで裁判所の施設が損壊した場合を想定している。ハンセン病の特別法廷は隔離施設のため傍聴者もおらず、患者側から「裁判の公開の原則に反し、設置の判断理由も明らかでない」と批判が出ていた。

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皆さんは、ハンセン病という病気をご存知でしょうか。

抗酸菌類の雷菌による感染症で末端神経が麻痺したり、皮膚がただれたりする状態になります。

大昔は有効な治療薬がなくて治らない病気だと思われていました。

病気に対する認知も低く、遺伝病ではないのに遺伝病として扱われました。

感染力がきわめて低い細菌でしたが、感染者を隔離する政策がとれました。

現在では感染はほとんどせず、日常生活で感染する事は無いということが明らかになっています。

治療現場で職員が感染した例は確認されていません。

この病気は治療で治りますし、現在では早い段階での適切な治療で後遺症も残りません。

では、この病気の歴史を少し見ていましょう。

ハンセン病は皮膚がただれ、患者の容姿が大きく変化する事から怖がられ、しかも感染力が強いという誤解が広がりました。

ハンセン病患者は違法に隔離され、病気を持っていない人達と結婚する事も許されないどころか、遺伝病でもないのに患者は断種(去勢)されました。

性欲を抑える為と子孫を残させない為でした。

1942年には、各県は競ってハンセン病患者狩りをして強制収容所に放り込みました。ハンセン病患者が出た家は、家屋が真っ白になるほど消毒を行い、それにより近所にハンセン病が家族に出た事が明らかになります。
家族は親兄弟を奪われるだけでなく、肩身の狭い思いをして地域での生活を続けなくてはなりませんでした。

更に、1931年になるとこれら各県が行った強制収容する事等を国は合法としました。

1943年になると、アメリカが特効薬を開発し治療が開発されました。1947年以降には、日本の学会にも治療の有効性が次々と報告されました。

日本の外では治せる病気、早期発見で後遺症も残らない、外来治療対応が可能になりつつありました。

ところが、国内では医療学会すらその事実を認めることをしませんでした。

それどころか、1953年。治療法が開発された10年後、医療的事実に反しているのにも関わらず、らい予防法を成立させました。
「らい予防法」

 この法律は、「強制隔離、継続強制入所、従業禁止、汚染場所の消毒、外出禁止、所長の秩序維持規定など、人権を侵害するもので、治ったあとの退所規定もありませんでした。

驚く事に、この政策はなんと1996年まで続いたのです。

関連資料↓
第七 ハンセン病政策と優生政策の結合