おばあちゃんのお引っ越し その2 | シネマド館

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世界の映画を見ていると世界を旅しているように感じる・・・というブログではなく単なる「映画」と「おでかけ・旅行」をメインにしたブログです。とは言いながらも結構他のことも書いてます・・。

何十年と一人暮らしをしてきた祖母。


高齢の方特有の、モノが捨てられない傾向は祖母にも見られ、部屋の中はモノでいっぱい!!!


最初は「これ、どうする?」と聞いていたのですが、「捨てへん」だの「まだ着る」だの「もっと使う」だのキリがない!!



いっこーに進まないので、部屋の奥の方にある何年も着ていない、使っていないだろう服やモノはどんどん捨てることに。


押入れには、前に住んでいた鎌倉から持ってきているモノがわんさか!!

よくこんなにたくさん、このスペースに入ってたなぁ~



しかもなんかテレフォンショッピングが好きだったみたいで



「テレビ見てたらええなぁ、思ってつい・・」



と、買った品物もいっぱい!!!



ぎゃー!慌



こういうお年寄りっていっぱいいるんちゃうやろか。





祖父は何の仕事していたのか不明なのですが、よく東北に行っていたようで、東北のお土産がたっくさん!


こけしやら、怪しい人形やら、あかべこやら、食器やら。



祖母はそれらを見ながら祖父の思い出を語っていました。




そういや、押入れから一軒家の模型が出てきて「渡辺」て書いてありました。


これ何?て聞いたら引っ越してきた時からあった、との事。



「たぶん、前にここ住んでいた人が渡辺さんで、この模型のような一軒家買うたから出て行ったんやと思う」



と祖母は話していました・・・もう!そんな模型までも置いてたんかーぃ!







そして、反物&着物。


中には戦火を免れた貴重なものもあり、私には価値がわからなかったのですが、母が、これは○○、それは○○、と着物の種類?柄の名前?を言いながら仕分けしていきました。


母は着物や焼き物が好きで、その方面に詳しく(と言っても素人の範囲でね)、ぱぱぱぱっと仕分けしていきます。


誰でも一つは得意なものってあるのねー


「もー!おかーさん黙ってて!!」と怒るのがいつものパターンなのですが、この時は尊敬のまなざしで母の仕分けを見ていました。



価値がわからないとは言え、素人の私が見ても「すごい!!」と思える着物や反物が何点もありました。



祖母はそれらを見ながら、これは朝鮮半島からどーのー、これは満州からどーのーと話していました。


戦争を生き抜いた祖母なんだなぁ・・と改めて実感。



高価なものは母の弟がネットオークションで売ることになりました。

祖母も誰かに使ってもらえるなら捨てられるよりよっぽどいいと納得していました。





そして祖母が写真を出してきました。



祖父がカメラ大好きで、当時ではまだ珍しいアメリカ製のカメラを買ってきてはパシャパシャ撮っていたそうです。


「どうせ写真なんて死んだら捨てられるんやから、今のうちに捨てておく」という祖母。



とか言いながら「遺影にはどれ使おっかなー」と探していましたが。



そして祖母が東北の怪しくて、ごつくて、変なお人形を


「これは捨てたらあかん!持っていく!!寂しい時にこれかわいがる!!」


と言い出した時に、みんなが



「じゃぁ、孫や子供たちと一緒にうつっている写真持って行ったら?」



と提案すると



「それはいらん。写真はいらん。」



と食い気味に即否定。


なんでやねん。



私は捨てる、というなら、と、気に入った写真を何枚かもらいました。

これはもらったうちの1枚。


犬のくしゅっとした表情が最高。




祖父は犬も大好きで、ボクサーやパグなどを飼っていたそうです。




ハイカラな祖父やったんやなぁ。


祖父の仕事は何だったのかますます知りたい・・・



母に聞いてもいつもあやふややし、祖母に聞いてもなんか要領を得ないし。



謎…






私の弟夫婦、そして、母の弟夫婦も来てくれて大人数で片づけていきます。




祖母がその様子を寂しそうに見ているのがつらかったですが、施設に持っていけるものは限られています。




かなり部屋の中が片付き、何十袋にもなったゴミ袋や、粗大ゴミは弟夫婦さんたちが最後に処分してくれることになりました。




本当に本当にぐったり。



体力的なぐったり、も大きいですが、祖母の目の前で思い出の品をどんどんどんどん捨てていく、という作業に精神的にも疲れました。





家に帰ってもしばらくは祖母の事を思い出してはぐったり&どんよりしていました。




祖母も最初は寂しそうでしたが、施設に行ったら彼氏ができるかもよーとかいう話になったとき



「じゃぁ、今度はおばあちゃんの葬式じゃなくて結婚式に来てもらわんとあかんなー!」



と笑っていたのでちょっとホッとしました。




あ、祖母はもともと大阪の人間で、鎌倉にいても静岡にいてもずーっと大阪弁です。


弟なんてすっかり関西弁封印して絶対話さないのに・・・

この弟の関西弁封印も謎だわぁ





つづく