”「悪ふざけ」を容認する社会では、いじめは無くならない。” | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

岐阜県郡上八幡の

助産師&針灸師の

加藤祐里です。

毎週、植松さんのブログを

リブログしてます。

 

今は小学6年生の

次男が2年生のときに

いじめにあいました。

 

クラスも同じ

帰り道も同じの

二人の男の子に

学校では何にも

しないのに

 

学校がみえなくなって

他に人が

いなくなったのを

みはからって

かなり陰湿ないじめを

受けていました。

 

後から分かったことですが

半年以上

「言うことを聞かなかったら

遊んであげない」という

支配関係があった

ようでした。

 

先生も

あちらの保護者さんも

「いつも仲良く
遊んでいるように

みえなたのに」と

言っていました。

 

本当に最初に

それが発覚したとき

先生はほんの

数分、いじめた子に

事情をきいただけで

(もちろん、その時点で

全部は話していない)

「本人たちは

いじめていたつもりはなくて

遊びの延長で

悪気はなかったよう

なのです。

 

ですから

許してください」と

言われました。

 

でも、そのあと

教育委員会の人とかも

事情をきいて

色んな事実が

明らかになってきたら

 

いじめている自覚も

しっかりあったことが

分かりました。

私はあれから

「悪気がなかった」と言えば

なぜ許されるのか?を

ずっと納得できずに

考え続けてきました。

 

私なりの結論として

「被害にあった人は

‘悪気’のあるないより

 

’良心’があったか

どうか?が大事」

だと気づきました。

 

「悪気がない」も

「良心がある」も

似たような意味かも

しれませんが

 

例えば、結果的に

相手を傷つけるような

ことが起きてしまった場合も

 

「何かそれをしたら

相手や世の中にとって

良いと思うことが

あってやった理由」に

理解できれば

被害にあっても

納得がいきます。


(でも、悪いことをしたら

反省しなくては

いけませんよ)

どんな小さい子でも

上手く言葉に

説明できないことも

あるけど

 

必ず「お母さんが

喜ぶと思って」

 

「人の役に立ちたい」と

思ってやってみようと

することはあります。

(たいてい失敗するか

お門違いだから

大人はそうとは

気づけないことが

多いですが)

 

誰かをたたいたり

蹴ったりしたら

自分と同じように

痛い思いをする、

 

ということが

分かっている状態が

小学生低学年の

「良心」の発達課題。

 

そりゃ、人によっては

かっとなって

思わず手がでることも

あるから

 

そのつど、そのつど

相手が受けた

痛みや悲しみを

感じ取るように

話しあいを重ねる。


次男をいじめていた

彼らの場合、

 

何か月にもわたって

泣いている子を

おさえつけてまで

血が出るまで

傷つけることを

楽しんでいました。

 

「困っている顔を

みるのが

楽しかった」

 

そこには何の

相手に対する

思いやりなどはなく

 

相当、「良心」

ゆがんでいます。

 

いじめられては

なかったけど

それを知ってる子もいました。

 

「自分さえいじめられて

いなければいい」

 

加害者ではなくても

良心が麻痺している子は

ゴマンといます。

 

あの神戸の小学校でも

加害者の先生は

心の底から

おかしいです。

 

教育のプロで

自分のやっていることが

悪いことだと

分かっていても

辞められなかった。

 

きちんと精神鑑定受けて

自分の闇を

自覚したほうがいい。

 

そして、まわりで

そういうことが

起きていても

「気づかなかった。

悪気はなかった」

と言った元校長先生。

 

忙しかったとか

鈍感だったから

気づかなかった

のではありません。

 

だったら

校長先生になんて

なれないですよ。

 

何十年も

いじめが起きる前から

自分のまわりに

なんとなく

おかしな空気は

あるのに

それをみて見ぬふり

 

とにかく普通に

無難に日々が

過ぎればいい、

 

自分が給料さえ

もらって

家のローンと

子どもの進学資金さえ

払えれば

なんでもいい、

 

このまま退職まで

面倒なことが

起きずに過ぎればいい。

 

陰湿ないじめや

パワハラには

必ず

「それを知っていたけど

止めようとしなかった」

という
 

「良心」を発動させることが

できない傍観者が

必ずいます。

世の中がストレスだらけで

自分のことだけで

いっぱいいっぱいになると

 

他人を思いやる

余裕がなくなります。

 

自分さえ得すればいい、

 

自分さえ楽できればいい、

 

自分さえ面倒なことに

巻き込まれなければいい、

 

良心が試されている

時代なのです。

 

「良心」とは想像力であり

自分も相手も

世の中も幸せにするための

起動スイッチです。

日本人は誰もみてなくても

お天道様がみているからね、と

育てられます。

 

いつなんどきでも

より良い人間であろうと

する心。

 

自分で自分を

良く律する心。