水戸学の本を読む。 | ジョバンニ松村のブルースとキャデラックな夜。

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ずばり、三島由紀夫や澁澤龍彦、林房雄もその論評と分析センスを絶賛していたドイツ文学家の権威、西尾幹二氏による新刊の水戸学の話。

日本のアマゾンでなんと注文から3日ぐらいで、ここニューオリンズに来た。アメリカのユニクロなんてネットで注文しても一週間はかかる。

この本で、私の歴史観が繋がったと言うぐらいのインパクトがあった。

また、水戸学は戦後に英語で水戸イデオロギーと訳され、ナショナリズムや原理主義の産みの親かの様に言われてきた。また、GHQの検閲対象になった思想であり、現代で分かりやすく書かれた本がほとんど無い。

しかし、現実はイデオロギーと言うようなものではなく、日本古来の思想の変形として根付いた思想を単純にナショナリズムや原理主義とするのは少し強引だと言うのが私の感想だ。

ずばり、その本旨は国防論と世界情勢と、日本国民は何を護るべきなのか?と言う三大特筆である。

これからの時代はその水戸学の偏狭であったと言われる側面も見つめつつ、本旨に迫った見方をしていかねばならない。水戸学は三百年も続いた思想。また国体論も水戸学無くしてはあり得なかった。今の日本にかけてしまったものを探り当てるヒントもここにあるかもしれない。

本自体は西尾氏の本の中で文体は非常に読みやすい関わらず、もっと若い時期に読みたかったと思わされる深い本だった。

この本は、読みやすい上に今まで不勉強な私の中でミステリーだった島津斉彬以降に、いきなり湧いて出てきたかの様な志士達や(失礼な言い方だが)、明治維新までの歴史や当時の日本の思想世界に何が起こったのか?が私の中で見事に連携した。

薩長の志士に対する見解がこれを読むとごろっと変わると同時に、西郷隆盛がどういう人だったのかがより一層伝わってきたのである。

西郷隆盛の思想を平田篤胤の国学を繋げようとしている人の文を読んだ事があるが、藤田幽谷、東湖親子の影響もかなり大きい。東湖には直々洗礼を受けたのである。

水戸学は当然、今の時代に思想だけ見れば極端だとか言うことを言い出す人が多いだろうが、私はそれは違うと考える。

当然その中には、時代を感じさせる古くなった思想もあるだろう。

しかし、この本で思ったのは、当然、水戸光圀自身が築き上げた儒教や漢籍で培った勧善懲悪の理念でもって、歴史を上だけでなく下の階級の話や因果関係まで綺麗に整理していくところが発端だ。

つまり日本式に洗練された儒教と言うフィルターを通して、国学とバランスをとりながらストイックに日本を見つめ直すと言う作業をしたのだと考える。それが敗戦まで三百年続いた水戸学の原点だと私は思う。

また水戸学は御三家の中で最も貧しい藩から産まれたのであり、古着屋の息子から水戸藩専属の学者長にまで上り詰めた藤田幽谷によって確立された。

私の中では、国学はあくまで日本のアイデンティティを重視した、宣長のような神道しか認めず貴族的な花鳥風月もののあわれを愛する現実主義というイメージや、篤胤の様な魂の形を描写したり天狗に拐われ戻ってきた子供にインタビューすると言う神秘主義のイメージだ。(こういうキテレツな雑学を馬鹿にしてはいけない。こう言うのが実は自由な発想を産んだりするからである。)

しかし、水戸学は、国学の個と高潔であらん事を称えるも、常に異文化の存在を意識しているのである。また国学に対する敬意も忘れない。仏教や基督教には厳しい。

この本を読む限り尊王攘夷と言う言葉の認識は戦後に誤解されてきている。

尊王攘夷は水戸学が産んだ言葉であるが、儒教の良いところは取り入れているわけなのだ。だから、あくまで外国の優れた文化は取り入れるが、それが日本のためにならなければ意味が無いと言う徹底した考え方は、後世の文明開化にも繋がる。

文明開化と尊王攘夷は実は対立しあったことのない、盾の表裏の様な関係なのはそのためである事もわかった。

また、藤田幽谷の代から、尊皇を唱えれば幕府側の人間に面倒くさい話題として扱われる様な、事なかれ主義があった。しかしそれを幽谷がひっくりがえしたのである。

福沢諭吉にしてもそうだが、貧しいところから来た人間は強いのである。

そして、同じ水戸藩の中で対立が産まれる。
勤王側を天狗党と罵り幕府側を奸物党と罵しり、二つの勢力に別れ、挙げ句の果てには潰し合いの内乱にまで発展してしまい明治維新の陽の目を見る事が無かった。

馬鹿げたナショナリズムの殺し合いと言うのは簡単だが、実際は、幕府側におもねった武士達の退廃を憂い、我らが光圀公もそう言われたじゃないか!外国も攻撃してくるかもしれないじゃないか!と本気で願う勤王の改革者たちと、足利尊氏の時代から五百年も武家政治だった幕府に着くことは当たり前、勤王を盾に世迷言の非現実主義を盾に取って権力奪取を望んでやがる!とみた外国勢力との交渉も事なかれの現状維持派だったと思われる。

しかし、水戸学に影響を与えたのは吉田松陰や西郷隆盛らであり、彼らが維新に迎合したポピュリストになり得ず、何故にあそこまで孤高なのか?
そこにはやはり水戸学の歴史がある。

ここが今まで、分からなかったのである。

明治維新は無血開城だったとクリーンに言われるが、物凄い内紛が水戸藩であり滅びた。
水戸以外の薩長の維新の志士達が、大勢で水戸と言う船に乗り岸に渡る前に瓦解してしまったのである。しかし、私は西郷隆盛がその思想を彼なりに発展させ人類の為に守り通したんだと今になって考える。

また後期の会沢正志斎が書いた新論は、鎖国時代に書かれた、世界地図で考える情勢の本である。

戦前にたくさん書かれた世界情勢の事を書かれたものだとか、京都学派だとかの本の様な物の最初だと私はかんがえる。

また面白いのが会沢正志斎のナショナリズムが凄いのである。

これは原理主義と言って否定するのは簡単だが、私は洗練された国家は、原石が綺麗に加工された宝石の様なもので無いといけないと考える。
つまり、ナショナリズムが見えなくなるぐらい余裕と愛が人々に満ち溢れているまでに発展しなければならない。

しかし、これは日本が個の国家になるために必要な思想だったのである。

水戸学でGHQに没収された図書の中には藤田幽谷や東湖の伝記のような本もたくさんある。

正論やそう言った体験談の話が主だが、、特に東湖の志士達とのエピソードはまるで、マフィア映画のボスが手下の軽い口調に対して切れる様なシーンに似ている。

この辺になると、まるで水戸学は覇道を認めないがマキャベリズムの様ですらある。

王道と勤王の為には命を投げ出す危ない男達。茶化しているわけでは無いが、最高に格好良いアクション映画が出来そうですらある。

特に東湖の話は読んでいて中々ゾクゾクさせてくれるものがあった。

ここから、西郷隆盛の本当の意味での人類愛に繋がっていく。

大和民族の勤王ブルースから、アースブルースに至る憂国の志の魂の慟哭の歴史が私の中でピッタリと繋がった。またこの感覚は日本武尊や万葉集、楠木正成や西郷隆盛にまで繋がる。

戦後世代でまともな人々は、理数系だ!人文系などクソの役にもたたん!と言う。
世の中の現状を見る限りその通りだと思う部分が多かった。

しかし、それは違う。

日本というのは古事記からしても人文学の歴史を辿ってきている。この水戸学にしても正しくそう言ったもので、弘道館記述期など長所を抜き出し倫理教育のなかに盛り込むべき内容ですらある。

また、戦前や戦後初期の作家に欠かせないウェイトを占めていたのは間違えがない。
たとえその作家が否定しようがしまいがである。

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