【石川五右衛門風呂】




お湯にプカプカ浮く、丸っこい小さな木のふたを見て、オレは若干恐怖した。

もちろんわかっている、あれはフタではなく底ブタだ。

入る時、うま~く足で踏みながらお湯に沈め、カパっと底に

はめ込む事ができるだろうか?

もしそれができなければ、オレの足は恐ろしい事になるだろう。

下からバチバチ炙られる炎で、今や鉄板は真っ赤っかだ。

そこに足がくっついたら!?

ジュッと焼けて、足の皮ベロン!?

ああ、想像するだけで恐ろしい。








山口の長門三隅の母方の実家は、五右衛門風呂だった。

赤ん坊の頃から正月や盆に入る時、必ず目の前には

父親かおじさん、祖父の顔があったが、小学生になった頃からだったろうか、

一人で入らされた。

そんなに難しい事ではない、わかっている。

だが、いつもわずかに緊張した。

母親から聞かされた東海道中膝栗毛で

弥次さん喜多さんが五右衛門風呂で大騒動する話の影響もあったに違いなく、

入る時にはいつも、その話が湯気の中に浮かんでいた。

「セイジくんお入り」と言って腰を上げてくれるのはいつも曾ばあちゃんで、

風呂と壁一つ隣の台所にあった小さな釜戸にしゃがんで、木や新聞紙を

くべてくれた。

今思うと、料理をしながら、お風呂の湯加減も調節できる便利な作りだった

のかもしれない。






入り口をガラッと閉めると、

天井からぶら下がる傘の裸電球が、穴蔵を灯すように橙色に光っていた。

細い足でうまくフタをたぐり、底にはまった事を確認しながら、

もう片っぽの足も湯船にいれ、ようやく全身を浸す。

鉄の風呂釜のざらざらした感触を背中に感じながらホッと一息だが、

足元への意識は常にあり、なんだかおそるおそる浸かっていた。

頭の上には木窓が開いていて、冬には積もらない雪が飛んでいた事もある。

下から火を燃やしているといっても、湯加減は常にぬるく、

いつもより割合長く浸かっていた。

するとついついウトウト。

そう言えば、一度だけ底ブタがずれて、足が鉄板についた事があったゾ。





あれはある夜の出来事だった。

お湯に浸かっていると、

目の前でいきなりボワワ~ン、白い煙が立ちのぼる。

そして拍子木の音がカチン、カチン、カチカチカチカチと鳴り響いた。

するとギョ!

煙の中から歌舞伎顔の石川五右衛門が現れ、目の前でお湯に

浸かっている。

しかも顔が巨大。

思わずオレはのけぞると「いい湯だの、おぬし」などと言いやがるので、

「あんたにはぬるすぎるだろう、なんせ釜ゆでだからな」と返すと

「フォッフォッフォッ」と貴族のような笑い声をあげ「釜ゆで、釜ゆで」

と湯気にゆらゆらしながらお湯をすくい顔を洗った。

「おい、化粧がお湯に溶けるわい!」と文句を言った

が、五右衛門は無視して話しを続ける。

「あの釜ゆでの時、地獄の熱さでワシの意識は天空までぶっ飛んだ。

するとどうだ、気がつくとワシの心とカラダは時空をぶっ飛び、

過去から未来の五右衛門風呂から五右衛門風呂へ

瞬間移動できるようになったのじゃ、フォッフォッフォッフォ」

と五右衛門はまた顔を洗おうとするので、

「こんにゃろう!」と水鉄砲で五右衛門のでっかい鼻の穴めがけて

ブシューとした。

するといきなり大轟音で「ハクション~!」

風呂中のお湯がザブンと天井まで飛び上がり、

そしてバシャー、上から落ちてきた。

おかげでお湯の量は半分くらいに減り「寒!」と少し飛び上がると

底ブタがはずれ足が底につき、再び「アチっ!」と飛び上がった。

そこで目が覚めた。

あれ!?ぬるま湯でウトウトしていたのだろうか?

底ブタがはずれオレの目の前でぷかぷか浮いている。

その向こうに石川五右衛門はいなかった。

オレは釜の内側に両足をつっぱらせ、鉄底から少し腰をうかした状態で、

目の前の底ブタを手で沈めて底にはめ、足を戻した。

さっき足が触れた鉄底は、確かに熱かったが、思ったより恐ろしい

熱さではなかった。

それにしてもあの石川五右衛門、今頃、どこゾの五右衛門風呂に

浸かっているのだろうか?
とまあ、こんな事があったような無かったような。






五右衛門風呂は、いつの頃か普通のガス風呂に変わった。

あの時はそんなに気に留めなかったが、

今思えば、時の流れの中で消えていく直前だった五右衛門風呂は、

すこぶる貴重な体験だった。

いにしえの大泥棒石川五右衛門は、わずかな伝承でここまで

知られているのだから、相当人気があったように思える。

当時の横暴な権力者から盗んだ物を貧しい人に分け与える義賊で、

当時は大変なヒーローだったと言う説もある。

なんにせよ、何百年もみんなの心をとらえているのだから、

間違いなく大泥棒だ。

その大泥棒の釜ゆでの伝承から名付けられた五右衛門風呂は、

どんどん便利になっていく世の中で、

何とも言えない風情ある記憶を、今の自分に残してくれていた。