【注射とエイホウ!?】





小5の夏休み、北九州のいとこの家に、一人で遊びに来ていた。

すると母親からの電話で、いきなり呼び戻された。
「早く帰ってこい!」

水泳の大会で、選手がひとり足りないらしい。
そう言えば自分が通う白潟小学校では、

夏休みに入ると、先生がオレを含む何人かを、
学校のプールに呼んで、泳がせていた。
タイムを計られたり、25mの潜水をしたりしたが

完全に遊びのつもりだった。

あれは練習だったのか?

それに大会があるなんて初耳だった。
オレはその時、学年で結構速かった。

25mのクロールに関して言えば、オレが一番速かった。

スイミングスクールに通っている、丸顔のコオちゃんという友達がいた。

少し小太りで、青のピチピチの水泳パンツ着けていた。

隣のレーンでいつも一緒に泳いでいたが、その彼より早かった。
だけど、お互いにそう思っていたかもしれない。

とにかく、大会があるにしても、コオちゃんの問題だと思っていた。

コオちゃんは何と言ってもスイミングスクールだし、タイムはオレが速くても、

ターンの仕方なんて、クルッとまわってしゅぱーだ。

やっぱりしなやかさが違っていた。




泳ぎをまともに教わった記憶はない。

幼い頃、有明海で泣き叫ぶオレを、父母は遠慮なく海に放り投げた。

小学校に入ると、夏休みと言えばプールだったから、

そこで自然と憶えた気がする。
だから当然、我流だった。
早く泳ぐには、
水車のように手を高速に回せばいいと思い、そうした。

ところが、それが意外と速かった。

ある日、その泳ぎを見た担任の先生がオレを呼び出す。

作文を書いてみないかと持ちかけられた。

タイトルも決まっていて、「ボクノエイホウ」という作文を書きなさいと言われた。

「エイホウ!?」 なんじゃそりゃ、何かのかけ声か?

担任は笑わない人で、目を大きくして子供の頭の中を透視するかのように

話しをする人だった。

「泳法だ!」 やっとわかったが聞き慣れない言葉だ。

確かに泳ぎは我流だ。

でも他の子と、それほど違うとは思ってなかった。
だが
作文を書けといわれるくらいだから、やっぱり何かおもしろい泳ぎを

していたのだろう。

少し得意でもあった。

作文を書いた記憶はある。

泳ぎ方を説明した出だしは憶えているが、その後は憶えていない。




大会は松江城の近くの城北小学校のプールであった。

校舎の建物に囲まれた内庭にあるプールで、こぢんまりした大会だったが、

なかなか活気があった。

オレの必殺の泳法は、個人でもリレーでも炸裂したが、特に目立つ成績を

残したわけでは無かった。

と、ここでオレは母親に電話で聞いてみた。

すると「あんたあん時、リレーで優勝したが!」

私は先生達と抱き合って喜んだと言うことも付け加えてくれたが、

オレには記憶がない。

母親は思い込みの激しい人だから、ホントかな~と言う思いが強いが、

囲まれた校舎の上のせまい青空が鮮やかだったのと、

その下で、白の泡のラインを引きながら泳いで来た友達のタッチを見て

プールに思いっきり飛び込み、がむしゃらに泳いだ水の中ははっきり憶えている。

その大会には6年の時も駆り出された。




小5、小6の夏はこうした訳で、プールでしょっちゅう泳いだ。

そのせいか一度、中耳炎になった。

国道9号線沿いの耳鼻科に行った。

そしたらひどい目に遭った。

そこの親父がオレの耳の中に、いきなり注射を突き刺しやがった。

水を吸ったのかどうかわからないが、とにかく

メチャクチャ痛くて、ハンパなくて、泣きそうになった。

いや、泣いたな、いや、泣いたと言うか、涙がチョチョ切れたな、たぶん。

痛かったワあれ。

今でも思う。

ホントにあの方法しか治す方法なかったかよワレ!

夏のプールというと、いろいろ思い出す事はあるが、あの注射は

一番か二番か三番くらいに思い出す。