【セルビアサーカス】




長崎の町はよく憶えている。

小さい頃、たまに連れてこられた長崎はいつも華やいでいて心が弾んだ。

楽しいものがいつも旋回している遊園地のように思っていた。

自分はもともと長崎市生まれだが、数年で隣の諫早市に引っ越している。

映画館や小さいデパートはあったが、何かでっかい催事が来るのは

長崎で、そういう時には、ごくたまに連れて行ってもらった。

ある時、長崎市内にサーカスを見に行った。

サーカスの記憶は走馬灯のように廻る。

ピエロや動物、空中ブランコが影絵のように出てくるが、

本当にその時のものだったかは怪しい。

でも母親が脇でうるさいくらい解説をしていた空中ブランコだけは、

その時のもののようだ。

むしろ記憶がはっきりしているのはその後だ。

それも一瞬の長崎の町をよく憶えている。

サーカスが終わって外に出て親戚の誰かと別れた。

その人は自分達に別れを言った後、車が走る大きい道を突っ切り、

走って去っていった。

ふと空を見ると電線があやとりのように張りめぐらされ、むこうから

電車が重い音をたててやってくる。車はその脇をガタガタつんのめるように

走っていた。

そこを突っ切っている人は、他にもたくさんいて、右左をササっと見ると

すばやく渡っていた。

時は昭和40年前半だ。

今から思えば戦争が終わってわずか20年後だった。

大人たちにとって、戦争の記憶は、きっとまだ生々しかったに違いない。

雨が降れば「放射能が入っとる、家に入れ!」と言われた。

TVドラマも戦争に関するエピソードがよく盛り込まれていた。

あの長崎の風景はそんな時代の風景だった。

先日、この風景に似た風景に出会ったので、少しデジャヴューのような

感覚に陥った。

セルビアだ。


2013年6月13日 日曜日、ギターウルフ セルビアライブ。

首都ベオグラードに入り、案内されたホテルの前には大きな広場があった。

広場には電線が網の目のように張られている。

その下を電車、車、人が行き交っていた。

周りを囲む建物もどことなく煤っぽく、メインの広場なのに、

バラックのような建物もある。

この風景どこかで!?

そう、それがあの時の長崎の風景だった。

セルビアはまだ内戦が続いている、

1999年にはベオグラードが空爆を受けたと言う。

首都だというのに丸焦げの建物が残っているのも見た。

ただ、日曜の夕方のベオグラードはどことなくのんびりしていた。


GUN CLUB.

ベオグラードのクラブの名だ。

このGUN CLUB、ホントにGUN CLUBだったからびっくりしたゼ。

階段を下りていった地下のクラブは一番奥にステージがあった。

そのステージに射撃用の的が紐に繋がれて飾られていた。

テレビドラマで、刑事がヘッドフォンをして拳銃を構え、狙っているあの的だ。

長方形の的に人と円が描かれている。

その的には銃弾が通った穴がところどころ開いていた。

最初はただの飾りかと思ったら、昼間は射撃場として使われていると

聞いて驚いた。

「下手な演奏したら、あそこから撃たれるゾ」とは、

夜はPA卓になっている場所を指差すマネージャーのトーマスだ。

あまり笑えるジョークじゃないね。

この町でオレ達を観に来るやつがどれくらいいるのか?

その夜、満杯の客の視線の的となった3匹の狼がステージに立つ。

その視線の射撃はロックパワーを強大にふくらませる事により、

ことごとく跳ね返し、そして、彼らの目にロックを大量に浴びせた。

終演後、照明が落とされたステージをみると、撃った後の的が射撃者に

戻るようにステージとPA卓の間に何本も紐が張られていた。

明日の営業に備えていた。


翌月曜日、朝の広場、出発の時。

昨日は閉まっていたホテルの1階の両替で数人が立ち働いている。

広場は、活気にあふれていた。

昨日よりあわただしく電車、車が行き交っていた。

人も大またで広場を横切っている。

オレ達を観光客だと見たタクシーの運転者が、窓から何か

さかんにしゃべっている。

それを無視して自分達の車に乗り込み、その広場を後にした。

車が、セルビアの町を抜けたあたりの郊外の道にさしかかっていた時だ。

大きく踊るように、空にむかって笑っている黒いジーンズと黒シャツを着た

長い金髪の若い女の子をみた。

バスを待っている様子だったが、なにかのびやかな気分なのだろう。

まだ内戦があり、綱渡りの状態のセルビア。

EU入りを希望しているが、「まだ10年は無理だろうと」

昨日出会ったプロモーターのアレックスが話してくれた。

道の向こうの緑と一緒に過ぎる女の子の姿を車の中から振り返ると、

こっちまでのびやかな気分になった。

また来たいね。