【フランスパンアタック】







大阪に住んでいた頃だった。

うちの家族は小3の時に長崎から大阪に引っ越している。

父は港湾関係の技師をやっていて、小さい頃から平日はいなかった。

出張つづきで、土曜の夜に帰ってくる生活だった。

帰ってくると、二間しかなかった一間で作業着を脱ぎ、蛍光灯の下、

ランニングで胡坐をかき、時たまテレビを向き背中を見せると、

その背中の白が土と汗でぼんやり汚れていた。

大阪に仕事が決まった時には、さすがに遠いと思ったのだろう、

家族と転勤を決めた。

だがもうひとつの理由として、母親が大阪という都会に目がくらんだ

きらいがある。

子供から見ても、母親は初めての大都会での生活にはしゃいでいた。

なんせ、本籍をいきなり大阪に移し、大阪人になりすましたくらいだ。

田舎もんが都会人になるため、母親はいろんなかっこいい服を買い、

あごをつんと尖らせて、街を歩いた。

今思うと、あの頃の母親が一番、ファッション的にも輝いていたかも

しれない。



南のほうから日本を見ると、東京を隠すように大阪がでっかく

鎮座している。

子供からすれば、大都会と言えば、大阪も東京も変わらない気がしていた

が、ただあの頃の大阪は、間違いなく東京よりも輝いていたように思う。

それは、あの大阪万博の直後であり、日本中が大阪という街に、

近未来的なモダンなものを感じていた。

「あの万博の大阪に行ける!」

もちろん我が家族は長崎から万博を見に行けるような裕福さはなかった。

だから 引越しを聞いた時、真っ先に思ったのはその事だった。

越してきたのは、造幣局がある大阪天満橋にある社宅マンションで、

それまでの、お墓をバックに虫と共同生活をしていた長崎の県営住宅とは段違いだった。

周りはすべてビルに囲まれ、エレベーターに乗り放題という贅沢。

おまけに屋上からは遠く大阪城が見えた。

そして生まれてはじめての洋式トイレ、これには少々てこずった。

座って出すのも難渋したが、出した真下がどうにも近すぎる気がして

なんだか不安だった

だが、子供はアっと言う間に慣れて変わる。

ただの毛虫が、南米あたりの背中に虹のような模様をつけた

カラフルな毛虫に変わったような錯覚で、すぐに大阪弁になり、車行きかう

広い道路の広い歩道を走り回った。

そんな頃だ、母親がフランスパンを買ってきたのは。



ちょっとモダン!?色落ちしたピエロの衣装柄のラインが入った、

薄くパリッとした細長の紙袋。
そこから茶色の頭と眉間にしわを寄せた額がのぞく細長いパン。
「おいおい、君は何で怒ってんだ?」
そんな堅物のパン、フランスパンが我が家にやってきた。

手でバリっと折ると、ほっぺに突き刺さるような氷山の一角のような

ギザギザの白い中身があった。

そこに蜂蜜を上からタラタラとかけ、パンのギザギザに横っ噛みで

かじり付いた。

果たしてうまかったか?

固いものをガリガリ、その間にも蜂蜜がパンの断面の穴にしみ込むように

流れこむ。

それを下に垂れないように食べる、その為、なんだか蜂の巣を

食べているようだった。

母親も同じく蜂蜜をかけ、ガリガリ音を鳴らす。

自分に「おいしいね」と微笑んだのは、蜂蜜の味だったのか、

パンの味だったのか?

しかし、フランスパンが家の食卓に上がったのは、この時期だけで、

その後、二度と家の食卓に上がることはなかった。

フランスパンをたまに食べる今思う。

あんな固さ、フランス人でも食べねえよ。
果たして母親は特に固いやつを買ってきたのか?
それとも数日経った古いのを買わされたのか?よくわからない。

どっちにしろ、あの時の固さは、古くなったフランスパン以外考えられない

気がするがどうだったのだろう。



フランスのパリから2時間ばかり車で走った町オーレオ。

その町がいつもギターウルフEUツアーの拠点となる。

EUツアーマネージャー、ジョンルックの自宅兼事務所があり、
初日はだいたいそこに泊まる。

到着するとすぐに祝杯だ。

オレはお酒が入ると少し宵っ張りで、遅くまで誰かと飲むことが多い。

数年前、夜更けた彼のキッチンで、赤ワインをちびちびやっていた。

目の前には表面固いフランスパン、それをちぎって口に運ぶ。

そこでオレはフランスパンのうまさを知る。

ようやくだった。

固いゆえ噛みごたえがあり、言うなれば、するめのようなパンだと思った。

ワインによく合う。

フランスへ来だして20年近く経つ。

フランスパンは何かの折に口にする事が多くなっていたが、
味をはっきり意識していたかどうかは怪しい。

だがその時意識した、赤ワインには何が何でもフランスパンだゼ!






母親が大都会の生活にはしゃいでいるときにふと目にとまったであろう

フランスパン。

それに噛り付いたとき、家族みんな決して心からおいしいと

思えたとは思えず、なのにちょっとだけ裸の王様ぽく、ニコニコで

おいしいねと言っていた母親。

ただその「おいしいね」と言う言葉に間違いはなかった。

その言葉はフランスパンに向けられたものじゃなく、

大阪という大都会に対して、少し背伸びした生活への満足感だった。





このEUツアーの車の移動中、サービスエリアに立ち寄った。

レジには、黒髪が長いスペイン系のお嬢さんがいた。

そのお嬢さんの後ろに棚があり、その棚に籠が置かれている。

そしてその籠に何本も細長いフランスパンが刺さっている。

片手でつかむには手ごろな大きさだ。

それを見て、不意にジャンケンポンあっちむいてほい!で

負けた方がヘルメットを被り、勝った方が相手の頭をたたくというゲームに

フランスパンを使う想像をする自分がいた。

でもそれは、やっぱり、だめ、かな。

フランスパンアタック!