【銭湯ダッシュ】


思えば昔、夏の夜道をよく走った。

高田馬場の3畳一間に住んでいる頃だ。

深夜12時前、駅前からのゆるい坂道を、走って登りきった辺りで、

道の右側の斜面に付く、やや急勾配の階段を駆け下りる。

そして密集した民家を抜け、神田川沿いのオレのアパートに向かって走る。

途中、風呂屋の前を走り過ぎながら、まだついているのれんを確認して、

もう目の前のアパート2階の階段を飛び上がり、ドアをガチャと開け、

流しに置いてある洗面器をとると、引っ返して風呂屋ののれんをくぐった。

下駄箱に靴をほおりこみ、鍵を抜き取りドアをガラガラと横に開き、

番台に金をジャラっと置く。

脱衣所のややひんやりとした空気に「ギリギリセーフ!」とホッとして

Tシャツをまくり上げる。

そして浴室のガラス戸を開け、湯気の中を歩き、空いたカランに腰掛ける。

鏡の、湯気と水滴の向こうに映る今日の自分の顔をチラッ見て、

ニヒルに顔をしかめ、頭をウオー、身体をゴシーと洗い、湯船にサブ~ン!

あの夏はしょっちゅうこうだった気がする。

夏はさすがに絶対風呂、そうでなきゃ、臭いし、汚いし、気持ち悪いわい!

部屋にクーラーでもありゃ別だが、3畳一間にそんなもんありゃせんわ。



東京に出てきて23か4まで、風呂なしアパートに住んでいた。

よく遊んだ。

上京したては、ディスコにバイク、ちょっといろいろ憶えると

それプラス、バーやクラブ、そして居酒屋だ。

でもあの頃、冬はまだいいが、夏は銭湯の閉店時間が重要だった。

今から思えば、今のように長っ尻もなく、遊びの途中でもスパっと

帰ることができていた。



次に越した渋谷本町でも、風呂付きには住めなかった。

銭湯まで結構遠かった。

冬の寒い日、銭湯への道は暗く寒く、うつむき加減で身体をすぼめて歩く。

だが帰り道は、空気がひんやり気持ちよく、

寒空にキラキラする星を見上げ、のんびり歩いて帰った。

当時つきあっていた彼女が遊びに来た時、

時間を示し合わせて銭湯を出た。

だいたいオレの方が先に出て待っていた。

なんだか、かぐや姫の“神田川”の歌のようだと思った事を憶えている。

でもあんなに暗くはないゼ。

渋谷本町に越してきた辺りから、だんだん遊びが過ぎるようになる。

そうなると銭湯に間に合わなくなることも結構でてきた。

そんな時は、アパートの流しで身体をよく洗った。

でも狭っちくて、あんまり洗った気がしない。

逆に銭湯に行かず思いっきり洗った記憶もある。

大雨の日、上半身裸で外階段に出て、シャンプーをかけながら、

それこそウオーっと吠えるように洗ったことがある。

ずいぶん爽快で、得した気分だった。

近くに住む、同じく風呂なしのロカビリー兄ちゃんの高杉は、

家に自作の風呂を作っていた。

一緒に住んでいた彼女が考案したものらしい。

ビニールのカーテンに仕切られたタライの風呂というか、シャワー?

夏のライブが終わって、汗ぷんぷんで帰った時、そこに一回だけ入れさせて

もらったことがある。

オレも作るか!?と思ったが、作らなかった。



銭湯通いの頃は、いつも、恋うように風呂付きを願った。

しかし、あの頃があって良かったよ。