【ミュンヘンへの道】


どうも通じない。

去年のEUツアーの時だった。

ドイツ人に、明日はどこでライブだと聞かれオレは答えた。

「ミュンヘン...ミュンヘン!」

しかし相手は首をかしげるばかり。

そこでオレはケツの財布からEUツアー予定表を取り出し、目の前の相手に

表の中のある文字を指し示した。

「ああ、ミュンチ!」

え、ミュンヘンじゃないの?

何かの間違いだと思い、何人かに聞いたが、ミュンヘンと発音するやつは

いなかった。

ミュンチェンとも聞こえたが、ヘンにはどうにも聞こえなかった。

Munchen

確かにオレも、これをミュンヘンと発音しにくいとは思っていた。

しかしいまさらオレには、ミュンヘンをミュンチとは呼びがたい。



1972年ミュンヘンオリンピック。

オレの記憶に現れる最初のオリンピックである。

中でも、オリンピックが始まる前に始まった「ミュンヘンへの道」と言う

番組の記憶は強烈だ。

金メダルを目指す男子バレーのドキュメントである。

しかもエピソード部分はアニメで、練習部分は実写という

ちょっと変わったドラマだった。

「男子バレーは、女子バレーにさんざんバカにされちょったけんね」

この番組が始まって、何度か口にした母親のセリフだ。

東京オリンピックで名を馳せた女子バレー東洋の魔女は、その頃は

まだまだ生々しいビッグネームだった。

でも、ホントにそんなことがあったのかどうかは知らない。

だが、男子バレーは、それくらいの悔しい思いと金メダルへの

覚悟を持って、ミュンヘンオリンピックに望んだのは確かだった。

長崎の山の県営住宅で見ていて、子供心にも思った。

「こんなドラマ作って、金メダルが取れんだったらどうするんだろう」

ホントにどうするんだろうは、選手と監督だったろう。

だが彼らは見事に金メダルを取る。



去年、ツアー車でミュンヘンの町に入った時、再びはっきりしない呼び名に

もどかしさを憶え、ふと思った。

きっとオリンピック前に、ミュンチ、ミュンチェンを、

「いいじゃないですか、ミュンヘンと呼びましょう」と思い切った

宣伝部長みたいな人がいたに違いない。

その人の鼻息と、ちょっと厚顔な感じを想像すると少しおかしい。

でも実際、日本人にはそうじゃなくちゃだめだろう。

「ミュンチへの道」じゃあ、ちょっとしまらない。



さてロンドンオリンピックが始まるゼ。

またまた燃えてしまう!