【リンクレイマン】



原宿でバイトが終わっても、まっすぐ帰る事はまれだった。
いつも何かを捜していた。
何かとの出会いを求めていた。
それは楽しい事だったろうし、新しい友達や、もちろん女の子だったろうし、
でも一番は、自分への衝撃を欲していた。
今思うと、バイトが終わった長い夜は、自分を捜す放浪の旅だった。
それはオレが24才でギターウルフとなるまで続く。





東京で19才位の時に、中古レコード屋のバイト仲間とバンドを組んだ。

それは自分に取って生まれて初めての体験だった。

田舎にいる頃は、バンドとかは選ばれし誰かがやる事であり、

自分とは全く遠い世界のような気がしていたが、その反面

強いあこがれも持っていた。

中古レコード屋に入ったのは偶然であったが、無意識のうちに自分の運命を

そういう方向に向けて踏み出していたのかもしれない。

オレ以外はみんな東京の人で、仕事中ギター談義に花を咲かせたりしていた。

ローリングストーンズのスティルライフを持っているだけで、

オレもロック知ってるゼ!みたいな顔でその輪に加わり話すうち、

ひょっとしてオレもバンドを組めるかもと思いだした。

そしてしばらくして、オレからバンドを組もうと切り出す。

メンバー云々より、とりあえずこの降って湧いたような幸運的状況を

逃したくなかった、なんとか形をつくり、

オレが東京に存在する意義のような島を作りたかった。

いざメンバーが決定して、自分がリーダーとヴォーカルをとるという形になるまで、

いくつか悶着があったが、せっかくつかみかけた形が崩れないように歯を食いし

ばり、なんとかかんとかバンドができた。

思えば、あの時の自分の執着はものすごく、決して大げさでなく、

命からがらであった。





数年そのバンドを必死にやったが、結局、オレの意志で解散した。

今まで全く接点のなかった連中と組んだせいもあり、メンバーの交代も激しく、

その都度のメンバー捜しに嫌気がさしたのと、

バンドという物は、同じ匂いを発する仲間とやらなければ結局はだめだという事に気がついた。

とりあえずステージに並んだだけで何かを説得できる、そんなバンドが

作りたいと思った。

そしてもうひとつ大事なのは、やはりオレみずからがギターをジャジャ~ンと弾い

て、かっこつけたかった。

しかし、オレには悪癖が!

中学の頃から何度もギターの挫折を繰り返す。

だけど見とけ、今度こそ本気だぜ!の気合いで始めたはよかったが、

また危うくやめかけた。

こんな細かいの、オレにはとうてい弾けんわい。
コードを押さえる事さえままならないのに、ヴァンヘイレンみたいに

ピロピロ、ピロピロになるまで、何十年かかるんじゃ。
途方にくれていた。
ホントはピロピロなんて必要ねえのにさ。
その事は後で知る。





あれは、23才くらいだったかな?

ギターウルフの活動を始める前だったから、確かその頃だ。
いつものバイト帰りの夜、オレは渋谷のタワーレコードの階段を昇っていた。
まだ、タワーが東急ハンズのはす向かい、ジーンズメイトの上にあった頃だ。
入るといきなり、一枚のレコードが大量に飾られている。
赤いジャケットだった。
どう見てもマイナーで古くさい!?
「なんでこんなレコードが、こんなメインな場所に面だしされているのか?
それとも超有名なのか?」
わからなかった、だがその時オレは、一発でジャケ買いした。
ジャケ買いの失敗は何度もあるが、その時は間違いない気がした。





渋谷本町にあった風呂なしトイレ付2階の6畳の部屋。
いつも閉め切り、蛍光灯は暗かった。
その蛍光灯の下で、赤いレコードを眺めるオレがいた。
部屋の隅には、タワーの黄色い袋が飛ばされている。
レコードの名前は、
【リンクレイ&ザ・レイメン-Good Rockin’Tonight】
ジャケからレコードをサッと抜き、ターンテーブルに置いた。
針を右手で持ち上げると、レコードが回り出す。
そしてそっと針をレコードに落とした。
すると、核心が飛び出た!

人間は人生で体に電流が走る瞬間が何度かあるだろう。
その時の電流は、オレの人生で最も大きいものに分類される。

「なんじゃこりゃ!」

数十年前のある夜、オレのおんぼろアパートの2階で、
リンクレイのランブルが流れた瞬間だった。

DからEに変化するだけで始まるあまりに簡単なフレーズ。

幼稚園児でも弾けそうだと思った。
それなのに、なんだこのかっこよさは!
これでいいんだ。
これでいいのだ!

オレのギタースタイルはリンクレイにより確立され、

そしてようやく、ギターの挫折は回避された。





偶然手にしたリンクレイ。
誰もが知らず、オレだけが知っているリンクレイ。

フフッと笑い、秘密のロックの箱を持ち、

オレは時々それを開け、貧しい民にリンクレイを教えるロック博士。

ところがギッチョン、あちゃあ!リンクレイは有名だった。
特に1958年のランブルは、危険なインストルメンタルと言われ、放送禁止に
なりながらも、アメリカ、イギリスで大ヒットだ。
ジミヘン、ピートタウンゼントも彼の影響を、声を大にして言う。
そしてオレも激しく叫ぶ。
「オレは、あの夜からリンクレイマンさ!」





ギターウルフのUSAツアー中、あるクラブでリンクレイのフライヤーを見た。
オレはいきなり興奮した。
そのフライヤーをよく見てまた驚く。
オレ達と同じこのクラブで数日後にやるらしい。
リンクレイがオレ達と同じ規模のツアーを行っている。
「もっと大きな所じゃなくていいのか!?」
そう思ったが、結構な年なのに過酷なツアーに挑むリンクレイを
かっこいいと思った。
リンクレイは日本に来ていない。
一度オレは日本に呼ぼうと思った事がある。
しかしまとまらなかった。
その事に悔いが残る。
オレは遂にリンクレイを生で見るチャンスがなかった。
2005年11月5日デンマーク、コペンハーゲンにてリンクレイは永眠した。
去年、コペンハーゲンでライブをやった時、リンクレイの墓がすぐ近くにあると、
プロモーターが教えてくれた。
次回、是非行ってみたい。





あの夜、渋谷のタワーレコードにひょいっと入った。
それを今、マボロシのように思い出す。
大量に飾られていたリンクレイのレコード。
しかし次の日にリンクレイは跡形もなく、その場所から消えていた。
あの夜のリンクレイは、偶然オレの前に現れてくれた虹だった。