【大根島ストマック】

あれは、次の日に田舎に帰るという年の瀬だった。
渋谷の道玄坂で、原宿の仲間たち10数人と飲んでいた。
ビリーもその中にいた。
もう現場の仕事をやっていたから、25、6だったように思う。
酔いも深まった頃、仕掛けてきたのは、仲間のひとりだった。
オレと同じギター弾きだ。
ケンカじゃない、しかし似たような雰囲気があった。
いきなりそいつが焼酎の一升瓶をテーブルの上にダ~ンと置いた。
後は暗黙の了解で、ふたりの一気大会が始まっている。
なぜそうなったのかは全然憶えていない。
まあ、酔っ払いのアホが、ふたりいたって事だ。
ただ、酒をそんな風に飲む最初の頃だったかもしれない。
だから焼酎の一気はなかなかきつかった。
何杯目かで、胃がひっくりかえりそうになった。
しかし、そういう時、オレが持つ最も最悪と思われる特徴がでる。
これがなけりゃあ、オレは人生をもうちょっと楽にやっている。
つまり、素直じゃない。
何でも無いフリをして、オレはグラスを相手に返した。
何杯ぐらいやっただろう。
気がつくと、たまたま運よく相手がつぶれていた。
オレもよくつぶれなかった思うぐらい胃がぐちゃぐちゃだった。
ビリーが立ち上がったオレに耳打ちしてくれた。
「やったね、アンノチャン」
店を出ると渋谷の街はもう朝だった。
オレはこれから飛行機で帰るべく羽田空港に向かわなければならない。

どんより曇った空の下、飛行機は米子空港に到着した。
父親が車で迎えに来てくれていた。
ここから松江の実家までは一時間程かかる。
せっかくの出迎えなのに、言葉数すくなくオレは後部座席に座った。
助手席より、後ろのほうがゆったり座れる気がしたからだ。
胃が気持ち悪かった、そして少し痛かった。
「ああ、ちくしょう」夕べというか、朝方の無理を少々後悔しだした。

車は途中、大根島と言う所を通る。
島と言っても護岸道路で陸続きだ。
でもつい昔まで島だったらしい。
中海と呼ばれる日本海から陸地に入り込んだ小さな海の中に位置する。
このあたりは朝鮮人参がよく作られている。
中学か高校のどちらかの時、遠足か、何かの実習だったかよく憶えてないが、
学校が仕立てたガイド付きのバスでこの付近を通った。
ガイドはおっさんだった。
朝鮮人参は、そのおっさんが説明してくれたものだった。
そしてもうひとつ説明してくれた事もよく憶えている。
「昔ここにはたいへんなべっぴんさんが住んじょられました。
その人は女優になられてね、今では代議士の奥さんになっちょられますがね。
そん人の名前はね、司葉子と言う人です」
みんなピンと来なかった。
どうやら名前は聞いたことがあるが、顔に関しては見当がつかなかった。
ただ田舎の学生は、地元から都会に打って出て成功した人には、
一応畏敬の念を感じる。
バスの中は「ヘエ~」とか「はあ~」とか、感嘆符と疑問符が混ざり合ったような
声があがり、窓から外を覗きこみながら振り返るみんなの横顔があった。

大根島を囲む中海の波は静かだ。
中海と岸に段差はあまりなく、岸から朝鮮人参を作っていると思われる畑が広がり、
遠くにぽつんぽつんと民家が見える。
冬のせいか、寒々としていて白っぽく、冷たいもやの中に薄い色の風景が広がっていた。
「ああ~、帰ってきた」
オレは胃の苦しさもあって、風景に向かって口で大きく深呼吸をする。
するとスーーー。
大根島の白い風景が目にやさしく、スーーー。
スーーー、スーーー、スーーー。
胃の気持ち悪さがだんだん引いてきた。
「あれ?」
気のせいかなっと思った。
しかし、しまいに消えて、あれほど荒れていた胃はすっかり直ってしまった。
なんだか不思議な感動だった。
故郷の風景というのは、なんと言うか、なんだろう。
オレは後部座席で半分横たわっていた身体を起こして、しっかり窓の外を見た。
ありがとう、帰ってきたよ。

今年もいろいろあった。
みんなたくさんありがとう!
来年もヨロシク!