【ミオちゃん参上!】






ミオちゃんは、どえらく怒った。
もう何日も口を聞いてくれない。
だがそれ以上に、彼女の父親への怒りはさらにどえりゃ~いものだった。
こりゃ大変だ。


20代後半、2階建が2棟並ぶアパートの1階に住んでいた。
ご近所さんに、子供が4人いた。
真上の2階に、幼稚園の女の子がふたりいた。
かわいい子達で、とても元気だった。
毎日ドッカンドッカン、でっかい音が、空爆のように天井から響いた。
隣のアパートに、小6と小4の女の子がふたりいた。
小6の姉がミオちゃん、小4の妹がユキちゃんと言った。
オレが軽トラックで越してきた時、まず会ったのがこの4人だった。
「こんちわ!」
アパート前で遊ぶ女の子達に声をかける。
すると、一番大きなお姉ちゃんが、脇のコンクリ屏の上を、上手にバランスを
とりながら歩いて来て、目の前にストンと飛び降りた。
ショートカットの細い女の子だった。
キッとした目でオレを見た。
それがミオちゃんだった。
「オレここに引っ越してくるんだ、ヨロシク!」
「フ~ン」
そんなあいさつがあった。


晴れた暖かい日には、オレはよく1階玄関を開けっ放しにしていた。
すると、その子達はよく顔をのぞかせた。
その度に、おちゃらけた会話を交わしたり、変な顔をして見せた。
時には一緒に、近くの‘ぐるぐる公園’に遊びに行った事もある。
球形のぐるぐる回る遊具があった事から、子供達がつけた名前だ。
そう言えば、ビリーもその子達と仲がよかった。
その頃ビリーは都内に家がなく、練習の度にオレの家に泊まりに来ていた。
ビリーのギャグの切れは子供にも相当なもので、なんだか知らないが、
4人にビリーは「ライオン兄ちゃん」と呼ばれて、なかなかの人気者だった。


さて、そのミオちゃんを怒らす大事件が起こった。
事の発端は、彼女のお父さんの、オレへの何気ない一言だ。
ミオちゃんのお父さんは、近くの材木会社の番頭さんだった。
いつもはっぴを着て、なかなか威勢のいいおやっさんだ。
ある時、おやっさんとアパートの前で、すれちがいながら話す機会があった。
オレがよくギターを担いでいたせいか、こんな一言がおやっさんから出た。
「ミオ、歌手になりてえんだってよ」
おやっさんは渋い口調だったが、なにか嬉しそうだ。
それを聞いた数日後、オレの浅はかなアクションが始まる。
例によって顔を出した四人組。
その子達の目の前でオレは、いきなり大声だ。
「おー、ミオちゃん!歌手になりたいのか!」悪気はない。
そしておもむろにオレはギターを持ってきて、さらに追い打ち。
「デビュー曲はオレが作ってやろう!」
ジャ~ンと鳴らしてさらに一発。
「曲は、テニスコートラブ!」
調子に乗ってオレが歌う。
即興の適当な歌詞で、4人を笑わせるためにオレは玄関でがんばった。
ミオちゃんも最初は笑っていた。
が、その後、オレは数日、口を聞いてもらえなくなった。
でも、オレはまだよかったんだ。
後から聞くと、お父さんの方はもっと大変だったらしいのさ。


なかなか楽しいアパートだった。
だが結構すぐに、オレは近くのマンションに引っ越した。
子供達はそれぞれ学年が上がり、ミオちゃんは中学生になっていた。


あれは引っ越してちょっとの頃だった。
夕方、仕事から帰ってきた。
1階エレベーターホールで、いつものように部屋番号のポストをのぞいた。
「おっ、なんかきてる」
包装紙に包まれた小さな箱がそこにあった。
ポストに手をつっこんだ。
それを指でつかんで、目の下まで持ってくると、
「え―――――――――!」
ハア~、何と言うか、その時の気持ちは、とても文章にできない。
胸が踊ったと言うか、キュンときたと言うか。
メチャクチャ嬉しすぎて、興奮した。
その日は奇しくも2月14日、そうバレンタインデー。
箱はチョコレート。
そして、その箱のシールに送り主のメッセージがあった。
「ミオちゃん参上!」


あれから何年も経つ。
材木屋は近くにあるせいか、おやっさんには今でもたまに会う。
話題はだいたいふたりの話だ。
でっかくなったふたりの話を聞くのは楽しい。
大人になったミオちゃんに、今度こそ歌ってあげたい。
もう怒られないだろう。
「テニスコートラブ!」