【オリンピックの野獣の目】

 

 

16年前のバルセロナオリンピックの女子マラソンの放送は、日本では深夜の
放送だった。有森裕子というスター選手がでるのでメチャクチャ見たかった。
しかし次の日の暑すぎる昼間の現場で仕事の事を考えると、寝不足はやばい。
夏の現場は半端じゃない。もうすでに身体はクタクタだ。
それでも見たかったがやっぱり寝た。結局見てもだめだったというなら
明日の朝スポーツニュースで見りゃあいい。それに何十年も日本陸上女子は
メダルを取ったためしがない。今年、話題は盛り上がっているが。

 

 

 

それでもやっぱり気になっていたのだろう、深夜に目が覚めた。
テレビは頭のすぐ上、枕をケツに、畳の上の布団の上で体育座りになった。

 

暗闇でフーっと息をつく、このまま寝ようかどうしようか。
しかし気になる気持ちはやはり止められない。

オレはクルッと真後ろに向き直り、枕を足にからめてテレビのスイッチをつけた。

ちょっとつけて、やっぱりだめかを確認して寝るつもりだった。

 

 

暗闇の中でブラウン管が四角く光る。
そこに映っていたのは、女子マラソンの集団だった。
その中に有森選手はいたが、すでに二人の外国選手が集団からはるか彼方に
抜けだして、目の前に映っているこの集団が3位争いをするのだろうと
見て取れた。それぐらい、一位と二位の選手との距離の差は、
見ている側からすれば絶望的だった。「やっぱりだめかな?」と思った瞬間、
オレはブラウン管の中に、有森裕子の野獣の目を見た。獲物を狙う野獣の目を。
その目がその先を向いた瞬間、彼女は一人果敢に集団から飛び出した。
オレは思った。「何かが起きる!!」布団の上で、オレとテレビは数センチ。

 

 

 

まさしくデッドヒート!
彼女はまず2位の選手をあの距離からあっと言う間に抜き去り、
トップの選手にもあっと言う間に追いついた。
しかしそこからの二人がもつれにもつれ、オレはテレビにくらいついた。
だが「ああ!!」と朝に近い真夜中に一人声をあげる。
スタジアム直前に彼女は完全に離された。手に汗握るオレの暗闇の
応援はあきらめずに続いたが、やはり抜き返す事はできずそのまま2位でゴールした。

 

後もうちょいだったのに。
だけどすごい、これって日本陸上女子の快挙だろう。
金メダルはロシアのエゴロワ選手、30前後の子持ちの
ランナーだった。彼女の気迫もすごかった。
レース後のエゴロワ選手の談話だ。「後ろから迫ってくる有森さんが怖かった」
有森選手の談話だ。「金メダルの為の何かの執念が自分には足りなかったの
でしょう」だけど悔しい!!と言う言葉をオレは勝手に付け加えた。その後の
経過も見たかったがテレビを消して寝た。猛暑との戦いがオレにはある。
次の日の朝、あらゆるスポーツ新聞を買ってきて、現場の詰め所で読みまくる
オレがいた。

 

 

世の中にあるたくさんの気合いを見てオレは大きくなりたい。
自分の心の感動を食べて生きていきたい。食べ続けていないとオレは
死じゃうよ。だから、世界中の最強の気合いが集結したオリンピックが
大好きなのだ。一番最初に記憶が残っているミュンヘンオリンピックの
日本男子バレー金メダルから、いろんな気合いのドラマが蘇る。
なんせミュンヘンの前には「ミュンヘンへの道」というアニメと実写を
組み合わせた日本男子バレーのドラマがあり、子供心に「これで金メダルが
取れなかったらどうなるのだろう」とやきもきした。

 

 

 

シドニーオリンピックの時、オレは山梨県忍野村にある音楽合宿所に
たった一人、一週間缶詰にされた事がある。レコーディング前に全く曲が
できないオレに対して、レコード会社の苦肉の策だった。夕暮れにバイクで
そこに着いた。山の斜面に2階建ての家が何軒か並ぶ。そのうちの
一番小さい家に入った。そこでオレは田村亮子と野村忠宏の金メダルをみた。
一人ガッツポーズをした真っ向先に富士山があった。
感動は何かを産む。
合宿の最終日に「イナズマのメロディ」という曲がかろうじて産まれた。

 

 

 

いよいよ始まるじゃないか、北京オリンピック!!
今年はどんな野獣の目を見る事ができるのか。
その目を自分の目に移すのだ!!