【雨の訪問者、高田馬場三畳一間】

 

 

その夜、高田馬場は小雨が降っていた。
新宿歌舞伎町の寿司屋のバイトは休みだった。
オレは19歳、自分のアパートで一人、雨の音を聞きながら
寝ころんでいた。

 

 

 

神田川沿いに古い2階建てのアパートがあった。
数ヶ月前に西武池袋線の清瀬から越してきた。
家賃9千円の三畳一間のアパートだ。
2階も1階も廊下をはさんで2部屋どうし4つの部屋があり、
奥のつきあたり右に共同便所がある。住人同士はこそこそしていた。
というか、廊下は暗く狭く、そこでお互い顔を合わせるのはいやだった。

 

 

 

1階の玄関で靴を脱いで、狭い階段をトントンと2階に上がると、
すぐ右側にオレの部屋があった。
ドアを開けると、オレの城がそこにある。たて長の三畳の先に、
磨りガラスの窓がはめられ、その右にふとんを入れる押し入れ、
その手前右壁に流し台があり、その下は水道管むき出しなので、
針金に釣られた古いカーテンが下がっている。そのカーテンの向こうは、

 

なんだか汚らしく、越してきた時に一度だけ開けたことがあるだけだ。
この話しより数ヶ月後、中2の弟が夏休みに田舎から遊びに来たこと
があった。後で自分が母親から聞いて大笑いした話だが、
オレが部屋のドアを開けた時、弟はそこが玄関で、押し入れの
扉の先に部屋があると思ったらしい。

 

 

さて、小雨の音を聞きながら、オレはウトウトしていた。
すると、誰かがドアをたたいた。最初は夢の中で聞いた。
次第に頭ははっきりしてきたが、まだ友人もいないこの東京で、
自分の部屋のドアをたたく人間がいるとは思えなかった。
てっきり向かいの住人が帰ってきたのかと思った。
しかし、たたく音と共に自分の苗字が呼ばれていることに気づいた。
「誰だろう!?」
あわてて上半身を起こして、そのままの格好で扉を開けてみた。
そこに男が立っていた。
ヘルメットをかぶり、合羽を着た黒い郵便バックを持つ男だった。
すぐ間近に彼の顔がきた。
「電報です」一瞬、飛び上がるかと思った。

 

 

 

はんこを押して電報を受け取った。郵便屋さんは木の階段を
そろりそろりと降りていく。白いヘルメットに水が浮かんでいた。
電報は田舎の母親からだった。電話をよこせということだ。
オレは数ヶ月間、田舎に電話をしていない。
 
生まれてこのかた、電報をもらうなんて初めてだった。
電報ってこんなところまで来るのか。そうか、電話を持って
いないオレに連絡するには電報しかないのか。
何か妙な感心の仕方をした。
それから雨の中、傘をさして、銭湯横の公衆電話から田舎にかけた。

 

 

 

アパートに戻りまた寝ころんだ。
電話は母親の「あんた元気にしとるかね」だけだった、
「心配なんていらねえんだけどな。」心の中でつぶやいた。
磨りガラスのむこうに目をやると、雨はシトシト降りながらオレに
ささやいた。
「連絡一つ寄こさないで、何やっているかわからない。そりゃあ心配さ。」
2度目の東京の梅雨だった。
天井に目をうつした。
オレは19歳、今は何もないが、必ず何かやってやる。