気まぐれ日記 -3ページ目

独りで世界を作る、孤独の強さ 2013年5月18日 記 フェイスブックより

いっぱいやる事あるって、いい。

人間関係で理不尽な目にあっても、それに対抗しようとする意識を無視できる(笑)
邪魔者をどうするか、なんて考えてる時間自体が勿体無いw
無視無視(笑)

僕は以前からこの意識あったけど、最近この傾向強いw

対抗したっていい結果にならない。嫌な人の事考えて自分の細胞減らすなら、無視。
そんな時間は、僕には無いだろうし、贅沢だ、そんな時間。

例えば今の僕には、番組を作らなきゃならんのだから。
変なのに付き合ってるヒマはない、んだ。

って、こう書くって事は、まだまだ無視出来てないね(笑)
ま、以前は、気持ち半ば興奮しながらこういう事書いてたりしたけど、今はもう少し落ち着いて自分を客観視出来てるかな。

ふふ、落ち着いてしまうこの気持ち、これ、冷たいよなぁ(笑)
怒って対抗する前に無視、って。

で!、
ここから大きくひっくり返すなら、ひとつ、世界を自分ひとりで作り出す事が、必要だと思う。楽しい世界を。
そして無視した人にまで響いて、その楽しい世界に歩み寄りたい気持ちを持たせる事まで出来たら、立派(笑)
そして一緒に遊べたら僕の勝ちだね(笑)

そう、戦わない、争わない、戦争。

いっぱいやる事があると、こんな事も思い付く。

ーーーーーー2013年5月18日 記ーーーーーーー





2013年9月14日現在、まさにこれに直面している気がする日々。
社会を変えようったって、僕なんぞに出来っこないと思うし、思考があまり働かない。
なら、作ればいい。けど、その世界は自分一人しか理解出来ない世界なのかもしれない。
けど、その孤独な世界は、すごく強さを感じる。
自分で作るもんだから、その世界にとって理不尽な事は簡単に消せたり出来る力を持っている。
その世界を今の社会とちゃんと共存させて、実現出来れば、邪魔を排除出来る。僕を雑に扱う人なんていれば、その人とは簡単に離れる事が出来る。
けど、その世界は自分独りで作らなきゃならないし、他人の意見も取り入れちゃいけないのも分かる。大体否定されるから(笑)
恋愛だってそうだとも思った。狭い範囲でだけど。
その人を自分に振り向かせようとして、うまくいかなくて、その人を変えようとしてもダメな時、そりゃ変わらんよ、と納得してしまった。そんな時、その人を追い続けるのも人それぞれだけど、今の僕なら新しい世界をまた新しく作り、その世界で自分にとってその人の在り方を変えるかな。
でもこれ、一例、ね。


しがみつくか、ばっさりすてるか。2013年5月5日 記 Facebookより

僕が武術に興味を持ち始めて

これが正しいと信じて積み重ねて来たものが崩れ落ちる。
例えば、重いものを持ち上げる為に筋肉を鍛え様としていた内容が、実は目指す目的とズレていた、とかね。
酷な事を言えば、必死に貯めて来たお金が、実は石ころだった、って言う様な世界がある。という事に気付かせてくれた。
その時、貯めていた石をどうにかお金に変換させようとする事にしがみつくのか、それともばっさり捨てる事が出来るのか。

一時期、僕はこの事を知ってから、あらゆる事、信じる事が怖くなった。
ま、色々あって、その感覚は今は遠のいているけどね。
もちろん、正解と誤りが同時に存在する事は何年か前に気付いていて、そもそもその感覚とは別の感覚の存在も感じてはいる。

けど僕は今は、思いっきり、「信じて進む道」を選んでいるつもり。
その先に何があっても、思いっきり凹めばいいと思っている。
思いっきり正しいと思って進む。けど、間違えだと気付けば捨てる。
ゼロからでもまた進む。
その勇気を忘れない。
っていう世界があってもいいんじゃないかと思っている。

う~ん。
これもまたちゃんと書きたいなぁ。感情の翻訳って、難しい。
このFBは僕の文章を書く練習の場。
にしては迷惑なのかもしれないけど、こんな文章でも付き合ってくれる方々には感謝しています。




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2013年9月5日現在
どうでもよくなっているところはあるけれど、正解と不正解の同時進行の中、進まなきゃならないこの世の中。とにかく考える事を止めない事を、僕は一応正解に思っている。でもそれもある方向から見れば不正解な事も言える。「そんなに色々考えちゃってたらこの労働社会じゃ疲れちゃうよ」とも言えるから。でも果たしてそれは正解か?(笑)
そもそも、「考える」、とはどういう事か。これだって僕には正解は今のところ出せないんだから。どこまでもバカだ、と、自分を再認識した。

食べる、とは。 2013年4月27日 記 Facebookより

2013年4月27日 記 Facebookより




「食べる」って事。

これを書こうと思うのも、もう数ヶ月か、いや半年以上前かなぁ、
人の何気ない一言だったのであろう事が今でも残っていて、
書きたくなった。

「食べ物を残すと作ってくれた人に失礼ですよ」
って、僕が耳にした時、
おいおい、って、単純にすぐ思ってしまった。
その時、実際、僕はその人に言葉を返さなかった。
っていう事は、反論すると疲れるからという僕の腹黒さも出てしまっているけど、
そう思ってしまう自分も今の社会なのか、とも思ってしまう。
「作ってくれた人に失礼」、
もちろん気持ちも分からなくないけど、
そうやって、あなたの子供にも教えているのかと思うと、
僕は何故か怖くも思う。
人のその行為自体に対して、失礼だの無礼だのあるかもしれないけど、
そもそも、その食べ物には「命」がかかっている。
まずそこに敬意、というか、僕は言葉に出来ないけど、
その複雑な気持ちを持つべきじゃないかと、
ふと我にかえった時くらい思うべきじゃないか、と思ってしまう。
ま、細胞ではない科学製品?のような物しか摂取しないよ、
っていう人には分からないかもしれないけど、
人がほとんど口にする物は、
生きている、生きていた命が関わっているとも思う。
私はベジタリアンだから、という人の声も耳にした事あるけど、
気持ちも分からなくないけど、動物も植物も僕は変わらないと思う。

きっと、こんな事、
釣りを本腰でやるようになって僕は気付いた。
沢山の魚と出会い、その魚の命を左右する鍵を僕が握っている、
という事に直面したりしていたからか。
ほんと、これは複雑なんだけど、
釣りって、魚の命がかかっているんだけど、僕は、
釣りたいし、計測したいし、写真撮りたいし、
手にとりたいし、傷つけたくないし、
逃がしたいし、食べたいし、
美味く食べたいから活き〆するし、、
って、
ほんと矛盾だらけ。
これには、武術家、甲野善紀さんの言葉で、
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」
っていう感覚を僕は感じている。
僕は、これという答えは見つけ様とはしているけど、
今の段階でこれが正しい、とも断言したくない。
断言出来ると言えば、
答えを見つけようと考え続ける事
だろうか。


さて、ここから、 少し落書きを。
スーパーにならんでいる、切ってある豚肉とかも、
見る目が変わるんじゃないかなぁ。
人は人に対して理不尽な事されると、本当に人は人に対して腹立てる。
じゃ、〆られる魚はそもそも理不尽だろう。
車が出来て、命が救えたり良かった事もあるだろう。
でもイノシシや鹿とかにとっては危なくて仕方ない。
やっぱ、矛盾は多い、はず。
僕が小さな頃、
石につまずけば、親に怒られた世の中も、
今、石につまずけば、誰がここに石を置いた、と、
人為的な事を探す。僕もそうしてしまう時がある。
僕は海釣りが好きで、誰もいない磯場に立つ時があり、
そしてそういう所で、いわゆる理不尽な目に逢う時もあり、
来た波に逃げ遅れて、
凸凹の岩の上をヘッドスライディングした事もあったりしたけど、
自分以外に対して、腹は立たないんだよね。


最後のこの落書きは、ほんと支離滅裂ですんません。
でも、この落書き、
には沢山のレイヤーが隠されていると思う、ので、思考を続けたいと思う。
今の僕には持っている感覚の翻訳能力と、文章力が足らないのでしょう。

「食べる」って、命かかってるん、だ、と思うわけです。
一般人の戯言、か。




2013年4月23日 記 フェイスブックより、そして…

音の技術、
じゃ、書く事の技術は?


普通科の高校を卒業し、音楽の専門学校を卒業し、
後にわりと僕がした音楽の勉強は、画像にもある三冊の和声の本。
たしか、一年半位かかった様な記憶がある。ピアノもろくに弾けないから、パソコンで音符打ち込んで課題をやったりしてた。
これは思い出深い。
その後、シャランって人の和声24題をかじり、
少し楽式論ってやつと管弦楽技法って言われるやつを、
かする位の事とかをして、
パーシケッティって人の本から現代和声って?みたいな課題を解く経験をしたり、等々。


ま、わりと、音に関しては音と一緒にいた時間が長いのかなぁ。

で~も、
僕は歌も歌いたいし、作りたい。
なら、なんで、言葉の勉強をして来なかったかのだろう。
そう言うのも僕は、自分でも自覚してるけど、
天才的なものを自分に感じていなく、平凡な一般人、だ。
だから誰にでも出来るだろう事を片っ端から少しずつ出来る様にする事を重ねていかないと、、
例えば、音楽なら人前で演奏する様にはなれなかったと思っている。天才でもない一般人なので。
いわゆる才能はないと自覚してるので。

じゃ、音の勉強に時間を注いでいるのは分かった。
が、歌に含まれている言葉の方はどうなんだ?
何で今まで、言葉の勉強をしなかったのだろう。
ま、いわゆる天才にはその勉強はいらないだろうけどねw
僕は一般人。
なら、やろう。
ま、色んな偶然も重なってるけど。

先日出会った、古賀史健さんの本は大きい。
文字だけで伝えるには?
って事の技術が書いてあるらしい。
まだ最初の方だけど、いい。
書く事のレッスンが始まってますw
それは歌詞を作る事にも繋がるでしょう。



音楽家ならちっぽけな量なんだろけど、散々、音には触れて、今の技術を持った状態になれた。
今度は言葉だね。
書く技術を身につけたい。

才能ないんだから、
学ばなきゃ、俺。




あ~、
もっと文章うまくなりたい。
何でかって、、そりゃ、
イライラするからです!w
頭ん中で、感じてるクオリアが、文に出来ないってストレスですw
表現したい感覚が音に出来ない時の様なイライラですw

一般人、栗原隆、どこまてやれる!

$気まぐれ日記






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2013年7月28日現在、未だ文章の下手っぴ感バリバリです。
イメージしたものを言葉にする事、これはやっぱり書き続ける事だなぁ、とつくづく思う。
楽器だってやり続けて成長して行くでしょ。
でも、やり方は考えなきゃならないけど。
ま、文章を書くって事は、まず、学ぼうともしなかったから、古賀さんの本がどれだけ大きい事か。
僕の文章で、誰かを行動までさせる事が出来たなら、書く事がうまくなったと言えよう。
が、それを狙って書いている様じゃNGなのも分かる。
僕が、感情を、ただ単に文章に正確に翻訳したものが、世の中に響くものだったら、時代をもっと死に物狂いで走り回れるだろうなぁ。
人を動かせるのは言葉自体を生む、人の態度、にも僕は思う。

番組公開しました!

僕の作品、第2作
Set Beat Channel 梅田湖 解禁編

2013年4月7日 記 フェイスブックより、そして…

フェイスブックに書いた文章です。


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1+1=2

これから何が考えられるか、。

単なる計算でしょ、って思う時がある。
誰でも分かるよこんなもん、と思う時がある。
これが面白いと思う感覚もあると思う。
これが退屈だと思う感覚もあると思う。
面白い、退屈という概念もない感覚もあると思う。
そもそもその、1や2はどこから来た?
「+」や「=」っていう書き方はどこから来た?
これを子供に教えるには、どう教える?
どこからどこまでを教える??
僕は、1+1=2だけしか教わった記憶しか、ないなぁ。

等々。。

賢い人ならもっと思い付くと思いますが、
僕でも、数年前からこの位は直ぐに列挙出来ていたと思う。

で、
ここまで列挙出来ていたのに、
気付けなかった事があった。

その前に、最近僕のマイブームである「レイヤー」。
僕はそのレイヤー感覚自体、
勘違いしているのかもしれないけど、
1例を挙げれば、
映像で、物体とかの「説明とか」でよく字幕が出てきますよね?
あんなのを僕は感じています。
しかし、実物にはそんな説明も字幕も出てきません。
それを自分なりのレイヤー感覚で見つける、、様な。
まだ僕もその感覚自体、
誤認している可能性もあると思っているので、
今後、変化して行く事もあるので、
ご了承下さい。。

で、話を戻すと、

1+1=2
ってどういう事?
これにはどんなレイヤーが隠されている?

って意識したら、
この、
1+1=2
っていうものを生み出した、人間の感覚の、
「人間の芸術」に気付いたのです。
必然なのかもしれないけど、
奇跡を感じました。
僕は感動しました。
感動というか、、壮絶な渦を感じました。
人ってすごいなって。
きっと、
僕ひとりが、ポツンとこの世に落とされたら、、
こんな事、この感覚を生み出せただろうか?
もしかしたら出来るのかもしれない、
元々人間にはその能力が備わっているのかもしれない、、
けど、ひとりじゃ生まれない、と思う。
きっと、何人も集まって、何世帯もこえて、
人間社会ってもんが出来てきて、
其れが必要となって来たのか。。
この数式に辿り着いた、
「人間の感覚の歴史?」
みたいなのもにも感動しました。

僕にとっては、
何年もかかって気付いた事。
とても永い映画を見ているようです。
これからも続くけどw
気付きそうで気付けなかったら、、
爆発も大きかったです。

じゃ、
僕がこういう事をここに書くっていう事、
この僕の行動自体には、
どんな事が隠されているか…
今後、そんな事を考えるのも面白くなります。

僕に、たったこの、1+1=2の数式だけで、
こんなに考えさせられた。
1+1=2ってすごいw

って事は、
世の中のあらゆるものには、
凄まじい芸術があふれているんじゃないか。
そう思うと、
そこには既に奇跡が起きている。
単に僕が弾くギターもすごく楽しくなる。

厳しく言えば、
僕が、あなたがしている行動には、
どんな事が隠されているか、
どういう事なのか、
たった、
1+1=2
だけで、僕なんぞでも色々気付け、感動までした。
なら、
実生活に置き換えたら、、
超~複雑そうですよねw

っていう、大きな勘違いを僕はしているのかもしれないけど、
僕は大きく心を動かされ、感動した。
迷いは、無い。





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6月22日現在、1+1=2ってどういう事?っていう考えを、最近はそんなに頻繁に考えていません。しかし、こう考えられた事によって、一歩一歩前に進む事が良し?とされている様な社会の中、一歩横に足を出してもそこには新たな道がある事、そしてそうする勇気を持つ事、を僕に気付かせてくれた。
1+1=2、と本当に一見単純に思える事でも、解像度を高めれば、その難題さに気付く。
人が生きるとは何か、どういう事か。
生活ってどういうもの?
例えばこの2例を挙げただけだって、相当な事が隠されていると思う。
僕はもう33歳。
年齢的には大人、でしょ(笑)
なら、こういう事、子供に教えられなきゃね、って思う。
大人なら、社会人なら。

2013年4月4日 記 フェイスブックより

コピペです
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おはです。
昨晩から読み始めた、finalvent著の作品。
まだ第一章までしか読んでいませんが、
内容に新感覚を覚えつつも、
先日、勤務先のひとつ、足カンで、
みんな集まっての会議の様なものが行われたのですが、
そこで僕が言いたかった事が書かれていました。
おそらく、その会議ライクなとこでは、
僕は露骨に言わなかった上、
伝わっていない感が出てたので、
手短な意見として流されてしまった感じですが、。
finalventさんの書く事を読んで、
今の世の中を見て、僕が感じていた事が、
そんなに的が外れていなかった事に、
非常に背中を押されました。
やっぱり、年輩者の言われる事は響きます。

社会人って、何?
って事が。

これは、また後で書きます。

それより、佐野市では、選挙が行われますよね。
非常に僕は無礼ものかもしれません。
説明が面倒な所は省きますが、
先日、年輩者に送ったメールをコピペします。

僕は誰でも応援したいですし、
僕は僕で、独りででも、
新たな世界を作らなければならないとも思っています。
世の中を変えてくれる人を選ぶ人の気持ちももちろん分かりますが、
そもそも、世の中を変えられる人は、
そもそも選ぶ人も選ばれる人も全員だとも思っています。
世の中を変えるのは上に立つ人だけじゃなく、
選んだあなたも世の中を変えるつもりで生きないと、
世の中は変わらない、と。 
いい人選べば世の中は良くなる、
いい人選ぶだけで自分は何もせず人任せ。。
なんていうのは現代社会では通用しない、と。
上に立つ人なら、
そんな事も気付かせて欲しいなぁ、
なんて、勝手に思ってしまいました。
もちろん、、こんな事、
上に立って、現代の人に、
露骨に言ったら誰もついて来ないのは分かりますけどね(笑)
人の潜在的な所で、気付かせてほしいです。

と、。

会社とか、
組織では、技術の差や、上下関係とかはあるかもしれないけど、
この地球の社会を良くする為の、
ただの存在としたら、
目線は同じなはずです。
上下関係がある、という平等?みたいな。
矛盾を矛盾のまま矛盾無く、、、っすね。
だから、僕は、話すし、書く。

今日は良い晴天っすね。
まず、進みます。
Have a nice day!


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2013年6月10日、こんな事を思う。
地球人としては、みんな目線は同じなはず、じゃないかなぁ。
地球っていう会社に所属している、って思うと、また見え方が変わる。
もし、地球外の生物が、地球に遊びに来た時、「これが地球です」と、今、言える社会、なのかな?
って、事も考えられる、かな。


4月3日 記 FBより。 そして今は

「仕事」、とは。

ヘビロテってわけでもないんだけど、
数年前にテレビで聞いた養老孟司さんの言葉が残っている。
「仕事とは人の為」
と。
ま、だいぶ前の事だから、
正確に言っていた事とは微妙に異なっているのかもしれないし、
僕の理解の仕方も理不尽なわけなので、、
でも、自分の勇気に変えられているので、
とてもありがたく思っている。

小さな頃から思っていた。
「仕事」って何だろう、って。
未だによく分かっていないからw
未だにこんな事考えるんわけなんだけど。

僕はお会いした事はないけど、
養老孟司さんはすごく頼りにしてて、
実際、数冊の本に助けられた記憶もある。
やっぱ、そういう人が放つ言葉はとてもたのもしい。
確か、僕が見たテレビで、
仕事の事を話していたと思うんだけど、
「仕事とは人の為」とは言っていたけど、
「仕事はお金の為」なんてひとっことも言われていなかったと思う。
希望がわくね~w
もちろん、ここで僕はとんでもない勘違いをしているんじゃないか、
という可能性もあると自覚しているけど、
その勘違いはとても歓迎していますw

僕も、「仕事とは人の為」
と、大きく頷けます。
「仕事は直に人に影響する事」、と言えて、
「仕事して動いたお金が人に影響する」
っていう勘違いは僕はしたくは無い。

だから僕は、
「労働」と「仕事」とを、
言いわけているのも言える。

ま、ここでも、
「矛盾を矛盾のまま矛盾無く取り扱う」
って事が含まれているので、、、
今の僕の文章力じゃ表現出来ないので、、
その言葉にかえちゃうけど、。

僕なんぞでこう気が付くんだから、
そろそろ、そのお金文化も次のステップへ行く時じゃないのかなぁ。
なんて思ったりもするけど。

きっと、僕がその、日本銀行券を持っていないから、
こんな事考えるんだろけどねw
でも、持っていなくて良かったかなw
沢山持っていたら、
こんな事に関する意識すら出て来なそうだもん(笑)

芸術とは、あるものを綺麗にかたちどったりする。
藝術とは、そのものを生む、孕ませる。

僕がこう書けたのもある意識、無意識のおかげ。
その意識、無意識は綺麗にかたちどったわけじゃなさそう。
僕の、こういう意識、無意識が生まれる事、
これは藝術じゃないのかなぁ。

さて、今日も色々仕上げるぞ。
雨降ってるって事は、気圧も下がり、
身体にも影響しているはず。
しまって行こうー!


2013年4月3日 記





2013年6月3日現在。
僕の仕事は、まず、仲良くする事、怒らない事、そして、我慢の方向を間違えないで嫌なものは嫌と言う事が、とりあえず今現在の僕の仕事の一部と言えよう。
理不尽に思える事に我慢するエネルギーがあるなら、そのエネルギーを行くべき方向へ使えれば、もっと好転するんじゃないかと思う。
ぐっと感情をこらえて怒りを抑えられるのは、とても立派で大人に僕は思う。
が!、その怒りの原因が納得のいかない事なら、その怒りの感情だけを抑えた上で、ちゃんとその納得のいかない事を更正する行動が出来るのが、社会人にも思うし、社会人の仕事にも思う。
酷い目にあっても、ただ我慢出来るのが大人でも社会人でもない。
そんなの「美」でもない。
辛い事を我慢出来る、って、立派にも思うけど、勘違いするととんでもない。
ただ単に我慢しちゃう人が増えちゃったら、良い社会、出来っこないでしょ。
それを知っている賢い人の思うつぼで、いい様に使われて、それまで、にも思う。

って、言っても僕自身、なかなか言えない大人になりきれていないとこあるけどね。
なら、逃げて、独りで何かやるしか、ない、とも思っている。

この考えは、このレイヤーで、これはこれで、もっと思考を続けようと思う。


魚はお金もないのに元気に生きている

2013年3月27日にFBにて書いたものです。










おはです。

さて、今日は作品公開をと企んでいますが、朝のこの脳の情報が整っている?
ってか、
脳が考える事に対してのスタミナがあるこの時間で、少し、書こうと思います。

以前話した、お金の事を魚が教えてくれたという事。

1、お金を客観視する事。
2、僕の、無意識は、その魚以下だ、
  言ってしまえばハエ以下だ。
3、「芸術」この言葉、古代ギリシャ語では、
  「生のびる為の技術」という意味らしい。

魚は、これ等を繋げ、気付かせてくれた。

小さな頃から、僕は負けず嫌いなところを自覚している。
特に、勝てそうなのに、負けている時。
ま、誰でもそうなのかもしれないけどw
ま、今回は、相手が魚。
人が負けるとこなんかあるか、、、
なんて単純に思うかもしれないけど、
、今の僕にとっては思いっきりありますね。
ってか、今の僕じゃ勝負にならないくらい。
ま、別に勝負ってわけでもないかもなんだけど、。

僕が気付いた、生きているものが、
ほとんどは持っているであろう「無意識」。
僕は釣りが好きなんだけど、
魚を見て気付いたんだけど、
こいつ等には、
「稼ごう」
なんて、意識も無意識もない。
なのに、思いっきり元気に生きている。
事に、僕は気が付いた。
なのに、僕は、
お金の為に生きようとしていた。
お金がないと生きられない、
なんていう無意識すら持っていた。
僕は、思いっきり敗北感を感じたんです。
と、同時に「稼ごう」なんて無意識もない魚が
元気に生きている姿を見て、
夢も希望も感じました。

僕の無意識状態を、魚が知ったらどんなのになっちゃうんだろねw
逆に、その魚の「稼ごう」なんて意識も無意識もないものを、
僕が持ったら、、
ってか、僕は少し気付いたわけだけど、
それまでの僕が、気狂い人間に、とても思えた。
そんな僕に、食べられたりしている魚の気持ちを考えたら、、
色んな思いがよぎる…
ま、、その辺の命のやりとりは、
使い方が少し違うかもだけど、
武術家、甲野善紀さんが言ってた、
僕が好きな言葉、
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」って事で、
置かせてもらいますが、
僕自身を見て、
何か、もう少し違う生き方があるんじゃないか、と思えた。

魚は、、色々だけど、僕が好きな鱸(スズキ)は、
自分に口があり、ヒレや目とか、自分に関わるもの、
それがどういうものか、
無意識が分かっている。
鱸が水面で、ドパン!っと小魚を捕食する様なんて、
すごい…と、。
魚に限らず、僕が好きな鳥、とかを見ても、
自分のくちばしや翼とかの使い方を、
無意識が知っている。
たまに家の近くでも見かけるカワセミ、
実際には飛んでるとこしか目にした事はないけど、
あの飛び方だって、すごい、、って思うし、
魚を捕らえるとこなんて想像すると、凄まじいんだろなと、、
少し緊張感も湧くくらいに思う。
こうやって、いわゆる自然界では、
僕が見ても、単純に思う「すごい」
と、「芸術」が盛んにあるんだなとも思えた。

そこで、気付く、
単純にすごいと、思えるその姿。
でも奴らは単純に生きているだけなんだ、と。
ここで、冒頭に掲げた、
古代ギリシャ語での「芸術」の意味。
僕が例に出した、鱸とカワセミ、
こいつ等は、これ位の事をしないと生きていけないんだろう。
毎日、死にもの狂い。
僕が「芸術」を感じたもの、
それは、こいつ等の「生のびる為の技術」
だったのかもしれない。

魚は泳げる事を知っている。
飛べる鳥は自分が飛べる事を知っている。
自分に関わるものが何なのか知っている。
だから、生きている。

僕に置き換えて言えば、
こういう事を考えられる。
感動する事が出来る。
涙も流せる。
話せる。
書ける。

僕の芸術は何なんだろう。
きっと、死にもの狂いで生きないと見付からないはず。
そして、単純に分かるけど、
魚でさえ、死にもの狂いになれているのに、、
僕は何なんだ、と、また、敗北感と希望。

何に死にもの狂いになるか、
お金は、「矛盾は矛盾のまま矛盾なく」位にして、
自分のやるべき事に向かうべき。

変だなぁって、思える事、
すごく凹んでいるとこを戻す事、
困っている人を助ける事、
そして、理由もなしに感動してしまう事。

僕はそこにヒントがある様に思える。
人が死にもの狂いになって芸術を見出したら…
きっと、人も、
自分の芸術を持ったとしたら、
動物には響かないかもしれないけど、
人には響くんじゃないかな。
僕はそんな世界に、すごく「夢」を感じる。

そして、人はもちろん、
魚だって、鳥だって、虫だって、
何の為に生きているかって、、

きっと、
この世をもっと良くしよう、
とする為に生きている。
壊そうとなんて思っていない。

人に例えれば、
笑う事、
話す事、
遊ぶ事、
仕事をする事、
お金を払い、もらう事、
作る事、、
等々その他もろもろ。
これらほとんど、社会を良くする為に繋がっている。

その日、何を言い、何を思い、、
と、これらすべてそこに繋がると思う。
小さくなっているかもしれないけど、
生きているものみんな、その無意識はあると思う。

って、僕、変ですかね?(笑)

ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
今日もよろしくお願いしま~す





2013年3月27日 記

社会人って?

2013年3月23日にFBにて書いたもの。







おはようございます。
昨日の労働中、こんな事を考えてた。

子供の頃からの疑問がよみがえる。

社会
会社
社会人
仕事
大人

って、何だ?
って。

社会人と大人って何だ?って頭ん中ぐるぐる回してた。

社会人とは責任ある行動をとかよく聞くなぁ…とか、じゃ責任ある行動って?
その責任自体は何??
とか、ぐるぐるぐるぐる。

こんな僕でも、今日のところの答えを出してみた。

社会人、大人、どっちか分からないけど、、
その日その時の、行動や言動を子供達が見て聞いて、おかしく思われない事だろう、強いて言えば、憧れられるくらいの事をしている人、
だろうと僕は今のところ思う。

自分が大人かどうか、朝起きた時から寝るまで、子供にずっと付いて回られても、その子供にいい影響を与えられるのが、、僕はそうだと思う。

子供は、きっと、言葉に出来ないだけで、相当感じとっていると思う。

労働中、出来れば顔見知りの子供を近くに置いても、何の抵抗もなく勤務出来ている状態、結構いいんじゃないかなぁ。。一概には言えないとこももちろん考えられるけど、。
きっと、手、抜けないし、変に怒れないし、教育ってか、叱り方も変に出来ないし。
って、考えると、学校の教師の比重は大きいなw

子供と接する全ての事、これは、きっと、社会的影響を必ず及ぼすはず、だと思う。

w何だか訳分からなくなって来ちゃった。

僕も言葉に出来ない子供だなw

こんな事、考えた今朝。

今日もよろしく


2013年3月23日 記











因みに、現在、未だに、社会人ってなんだ?って考えてます。
とりあえず、
「てっぺんの意識、無意識が、お金を稼ぐ事と思っていない人」って事は分かってる。
そもそも、社会人っていう事自体が、どういうものかを探すのもいいけど、社会人とはこういう風なものなんじゃないか?と、新しい概念を育てて行く感覚を持って、その感覚自体も成長させて行く事が、今の時代必要なんじゃないかとも思っている。
だから、僕は、「社会人」っていう概念自体を「成長」させたいと思い、同時に、新しく概念自体を「生みだす」事をしたい、と思った。