京都は盆地であり、景観を損なわないようなルールが徹底されている。

タワマン的な建物の建設はおろか、例え有名なチェーン店だとしても、色使いすら制限される。一般的に知られているチェーン店だとしても、その配色が下品と判断されれば京都でのみ配色を変えなければならない。

京都の魅力の一つは何より、古都を現代に伝える歴史的な建物が、非常にわかりやすく整理された区画内に連なる姿であり、今や失われつつある日本の伝統や美しさを感じられる点だ。

何より、日本の観光地としても古くから外国人にも高い評価を得ており、わかりやすく言うなら外国人の質が違う。白人にせよ黒人にせよ、アメリカやヨーロッパ等からの観光客が多く、中国人や東南アジア系が大挙するような観光地ではない。

自然や動物にも心地よい環境を維持する為、自治体や地元企業、有志による河川や樹木の手入れや掃除も徹底されている。


もちろん、歴史的な和を感じさせる店ではない異国情緒ある店も少なくない。

そう…木屋町の空気に触れると通過する舞妓さんの世界、一見様お断りの伝統も残っている。


何が言いたいのか?と言うと、自分のようにでっち上げられた擬装DVと言う手段を使われて、ある日突然愛する我が子と引き離された自分にとって、罪のなかった娘や息子、愛犬が一番の被害者だと思うからだ。









杜の都、仙台には擬装DV案件の専門の弁護士事務所があり…そう言った父親や男性の駆け込み寺とも呼ばれる弁護士すらいる。食えない弁護士を増やした行政が貧困ビジネスを産んだとも言える。

2018年の過去記事より


これは何故起こるのか?単純だ。


一度でもいわゆる風俗を含む、夜の世界で生きてしまった女性は「 男性を金ヅル 」にして、自らの欲求を果たす…と言う教育をされてしまうからだ。現代のホストクラブ問題はその逆ではあるが、その売掛金の回収先として、風俗業…風呂に沈めるが存在するので、実は元を返せば同じ場所に着地してしまう。


朱に染まれば赤…の理論だ。


もちろんお金はあるに越したことはない。上昇思考を否定する訳ではないし、いわゆるマウントと呼ばれる優越感に浸りたいが為に、高級車やブランド物を身につけたい…もある程度は気持ちとしては理解できる。






ただし、あくまでも自分の出した結論は、どうあれ歳の差夫婦だった以上、僕が先に逝くのは間違いない。健康だったとしても!だ。


そうなると、どうあれ別れる際には何かしらの原因はあるにせよルールは守るべきだ。


円満離婚ならば、子供達に会う事もできる。


ところが擬装DVを使われた挙句、なしのつぶてにされてしまうと、子供と面会は愚か?会う事どころか住んでいる場所すらわからない。いわゆる子供達の連れ去りを手段として擬装DVをすれば、母子支援施設に入れるので、本当にDVをしてない自分のような父親からしたら、ある日突然帰宅したら家族がいない事に、むしろ捜索届けすら出しに行く案件だ。


ただし、ここに問題がある。海外では実子であれ、子の連れ去りは誘拐として処理される犯罪だ。ガラパゴス日本の、食えない弁護士案件として一時期非常に問題になり、ニュース番組でも特集が組まれた。時代は進み、離婚後の共同親権が法律として整備される流れも当然だ。




実際には僕が仕事以外の育児、家事、を積極的にやっていたのは元妻自体が両親に捨てられた過去があり、炊事洗濯、家事、金銭管理ともに出来ない…いわゆるADHDだったからだ。


だからこそ負の連鎖を止める必要があった。




俺が自己犠牲を払えば…


少なくとも、ある日突然パパを失った娘にせよ、息子への教育方針の違いがそもそもの夫婦間に亀裂が入った原因ではあった点を考えたら?


負の連鎖を止めるには、どうあれ家裁にも出頭せずに、こちらにもプライドがあるので反論の書面は出しはしたけど?家庭裁判所の前まで当時のビジネスパートナーの車で行きはしたけど引き返した。


「クドちゃん、ここまで来てもらったのに申し訳ないけど、やっぱり帰ろう。やつの思い通りにさせてやろう。奴が欲しいのは親権だし、少なくとも子供達の母親である事に対する敬意は今も変わらない。産んでくれた事に対しての敬意はさ。子供達に両親が憎しみあったり対立する姿を見せたくない、罪がなかったのは子供達とここぞだけ。それを優先する。オレが出廷しなきゃ離婚は勝手に成立するさ。」




今日からオレはここぞを守る。あいつは娘と息子を守る。負の連鎖を断ち切るにはあいつもオレも苦労して苦しんで、十字架を背負うしかないさ?


たまたまそのビジネスパートナーである俳優さんが出演していた、ドラマのタイトルは皮肉だったけど。




京都に来て、元カノとの純愛や元妻との離婚を更に乗り越えてでも、相方もオレも一歩踏み出す覚悟があるなら、それは同じ不倫でも未来がある不倫だ。


一歩踏み出す勇気、覚悟。


お互いに58歳と51歳の大人。責任は自分自身にあるのだから…失うものもあるだろうけど、それはお互いの責任において必要だと判断した。













実は名古屋や京都へ高速バスで移動したのも、終活の為でした。あの日を振り返りながら…




自分が散々言ってきた事。命を守る判断は最終的に自らが知識をつけるしかない…と言う事。


全ての原点は、この日にタクシーで三ノ輪橋近くまでなんとか戻って来て、絶対に死なない。生き延びて見せる…と誓ったこの過去記事の日だ。


間違いなく…


パート3に続く