フランス旅行 イタリアを統一したサヴォイア
家の本拠地シャンベリー
街歩き景色の絵画




2024.7/22


スイス・ジュネーブから程近いアヌシー
旅行した際郊外にある旧サヴォイア公国の
古都シャンベリーを訪れた。 
同地を訪れた目的はサヴォイア地方を支配
していたサヴォイア家が1861年イタリアを
統一、今のイタリアを建国したことを知り、
本拠地だった古都シャンベリー(今はフランス
領)はどんなところか見たかった為。

下書き


ポップ


ステップ


ジャンプ


完成


シャンベリーで遅めのランチしたのちに

孫たちらと街歩きし、ライブ風景を記念に

描きました。旧市街は殆ど遊歩道で広々で

快適だった。




サヴォイア公国の歴史をたどるとアルプス山脈

を挟んでフランス(ニースを含む),スイス.

イタリア3国にまたがる一帯はサヴォア家が

支配していた公国だった。1563年に首都を

シャンベリーからトリノに移るまで栄えた

町。 







その後1861年同家エマヌエーレ2世に

よってイタリアを統一、1946年王政廃止

までサヴォア家のイタリア王朝は続いた。

1860年サヴォイア家王家はサヴォイア地方

フランスに割譲した。

ヨーロッパ歴史は硬いお話しですが、

もう少しお付き合いください。






イタリア王国誕生間近で、隣国フランスから

王国の承認を受けるため割譲したという。

サヴォイア家は都市国家でバラバラのイタリア

半島を国家として統一した功績は大きい。 


ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が初めての

イタリア国家統一した功績を讃えてローマに

記念堂と王の像が建てられている。

過去にローマ観光した際見学した覚えが

あります。



今回サヴォイア家の発祥の地を訪れること

出来てヨーロッパの歴史の興味は尽きない。


イタリア人が訪問したら、ここがイタリア

建国のルーツに関わる土地であり、なぜ

イタリア統一にフランスに割譲した

のか複雑な気持ちだろう。


(御参考)(SNSより)

サヴォイア家の変遷 伯爵家から王家、

そして現代へ


ヨーロッパで最も古い王家のひとつであるサヴォイア家は、2003年にその創設から千年を迎えました。その血統は、1003年に生きた歴史上の人物「ビアンカマーノ(白い手)」ウンベルト1世に遡ります。彼は、サヴォイア地方の強力な支配者としての地位を確立し、その後10世紀にわたって彼の子孫が拡大し続ける土台を作りました。

歴代の当主は1415年に伯爵から公爵に昇格し、1713年にはシチリアを治めるようになって王家としての地位を確立しました。その後、シチリアの王位はサルデーニャの王位と交換され、サヴォイア家はピエモンテ・サルデーニャ王国を統治することになりました。1861年、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一を主導し、その過程でサヴォイア地方をフランスに譲り、彼と彼の子孫は1946年まで統一イタリア王国の君主として君臨しました。


市内


地方裁判所(元宮殿を活用している)





・裁判所は建物と広場は壮大

・奥中央の建物は観光案内所(日本から来

ましたと伝えると親切にマップをくれて

王宮へ道順を示してくれた)

・奥右手の建物は税関


シャンベリー美術館 

裁判所の向かいにあり、月曜日閉館




王宮前広場


サヴォイア王宮

月曜休館で入場出来ず、残念

現在フランス県庁の管理で一部警察が使用

していて、公開は一部エリアのみらしい。

全体の概観は下のパンフ参照




王宮の概観パンフ



画像をお借りしました


セイント レガー通り


象の噴水

旧公国の高官がインドに渡り財を成し

公国に高額寄付の貢献に対し感謝の泉⛲️

1830年代に建設されシャンベリーの

シンボル


象の鼻から水が出る珍しく、かつ超大型

かつ高さも17mと高い。




シャンベリー市の旗


ここにスイス国旗があるのかなと、よく

見たら縦長で中の白十字は端まで突き抜け

ており、一方スイス国旗🇨🇭は横長で中の

白十字は中心にまとまっている。


16世紀のサヴォイア公国の領土   

(白線は現在の国境) 

現在のフランスとイタリアにまたがる、モナコ 

が含まれる。



続く