My Sweet Lord ジョージ・ハリスン | 自然と音楽の森

自然と音楽の森

洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。

20141025

 ◎My Sweet Lord
 ▼マイ・スウィート・ロード
 ☆George Harrison
 ★ジョージ・ハリスン
 released in 1970 from the album ALL THINGS MUST PASS
 2014/10/25

ジョージ・ハリスンのアップル時代のスタジオアルバム6点が、
新たにリマスターを施され、ボックスセットとして再発売されました。
作品は以下の通り。

WONDERWALL MUSIC 『不思議の壁』 (1968)
ELECTRIC SOUND 『電子音楽の世界』
ALL THINGS MUST PASS 『オール・シングス・マスト・パス』
LIVING IN THE MATERIAL WORLD 『マテリアル・ワールド』
DARK HORSE 『ダーク・ホース』
EXTRA TEXTURE 『ジョージ・ハリスン帝国』

 ALL...とLIVING...はボーナストラック付リマスター盤が出ていましたが、他4点、特に後2点は、ファンとしては長い間リマスター盤が出るのを待ち望んでいて、漸く、といったところ。

 家に届いて少し経ち、毎日どれかを聴き続けています。

 そして、暇があればギターを弾いて口ずさんでいるのがMy Sweet Lord。

 ジョージのアルバムはいずれすべて記事にするつもりであり、ボックスセットを機にどれか1枚とも思ったのですが、今回はこの曲にしました。



 My Sweet Lordは、ビートルズ解散後ジョージ初のソロ作として、1970年11月23日、アメリカでシングル発売され、ビルボード誌12月26日付でNo.1に輝き、4週間維持する大ヒットとなった曲。
 つまりは、1970年の最後と1971年の最初のNo.1ヒット曲だったというわけ。
 B面は同じALL THINGS MUST PASSからのIsn't It A Pity。

 本国の英国ではアメリカから少し遅れて1971年1月15日にリリースされ、こちらもNo.1に輝きました。
 英国のB面は同じくWhat Is Lifeに差し替えられています。

 アルバムALL THINGS MUST PASSもビルボードNo.1を獲得。

 ジョージ・ハリスンのソロデビューは最良の結果となりましたが、これは、他の3人が趣味的に走った作品でひと休みといったところだったのがジョージだけが本気で大作を作り上げ、聴き手はそれを待っていた、まさに作り手と聴き手の幸せな関係があったからのことでしょう。
 そしてもうひとつ、ジョージがビートルズの最後の最後に成長したことをファンは感じていて、その期待感も高まり、飛躍につながったのでしょう。
 まあでも、LP3枚組で3枚目はジャムセッションというのは、ジョージはジョージで趣味性を発揮してはいたのでしょうけど。
 
 ちなみに、他の3人が初めてビルボードでシングルNo.1を記録したのは以下の通りです、参考までに。

 ポール・マッカートニー 1971年9月4日 (Uncle Albert Admiral Hurlsey)
 リンゴ・スター 1973年11月24日 (Photograph)
 ジョン・レノン 1974年11月16日 (Whatever Gets You Thru The Night with Elton John)

 ところが、順風満帆に見えたジョージ・ハリスンのソロキャリア、どうやら雲行きが怪しくなってゆきました。
 皮肉なことに、まさに飛躍の出発点となったこの曲がきっかけとなって。

 My Sweet Lordは盗作である、と訴えられたのです。

 その説明も兼ねて、「ビルボード・ナンバー・1・ヒット(上)」からこの曲について引用します。
 なお、引用者は改行を施し、適宜表記に手を入れています。

***

 「マイ・スウィート・ロード」はビートルズのソロシングルとして初めて1位になった曲だ。
 また、ビートルズのメンバーとしてソロでレコーディングしたのもジョージ・ハリスンが初めてだが、それは映画『不思議の壁』のサウンドトラックで、イギリスでは1968年11月1日にリリースされている。
 この28日後にジョン・レノンのビートルズを離れて最初のプロジェクトである『未完成作品第1番:トゥー・ヴァージンズ』が出ている。

 ジョージが「マイ・スウィート・ロード」を書いたのは、デラニーやボニーとのツアーの最中で、アップル・レコード支援のためのアルバム用に考えていた。
 この曲をビリー・プレストンに贈り、1970年9月にはシングルとしてもリリースする予定だったが、ビリーは手を引いてしまった。
 2ヵ月後、ジョージとフィル・スペクターのプロデュースで、アメリカでジョージのトリプルアルバム『オール・シングス・マスト・パス』に先だってリリースされた。
 
 ジョージの半生を綴った自伝『アイ・ミー・マイン』で彼は次のように語っている。
 「ぼくはエドウィン・ホーキンズ・シンガーズの「オー・ハッピー・デイ」に刺激されてこの曲を書こうと思った。書くに当たってぼくはいろいろなことを考えた。神("Lord"、"God")という言葉に多くの人々は恐れを感じたり、怒ったりするからだ」

 一方でジョージは、「マイ・スウィート・ロード」がロニー・マックが作曲しザ・シフォンズがヒットさせた「イカシタ彼」 He's So Fineの盗作であると訴えられた。
 ニューヨークの地方裁判所は著作権の侵害でハリスンの有罪を言い渡したが、ジョージが意図的に「イカシタ彼」を剽窃したものではないことを認めた。
 ジョージは『アイ・ミー・マイン』の中で、自分が2つの曲の類似を意識せず、ほとんど即興的に作り、あちこちいじったと語っている。

 判決の後、(中略)、元ビートルズのマネージャー、アラン・クレインが「イカシタ彼」の版権を購入し、同時にハリスンに対して、慰謝料を請求してきた。
 この時の気持ちをジョージは次のように語っている。
 「ぼくは『マイ・スウィート・ロード』を誰かにくれてやろうと思ったほどだ。もうどうでもよかった。ぼくはこの曲で一銭ももらっちゃいない。いつだって面倒を起こすのは欲や嫉妬にかられた版権を扱う第三者たちだ。歌自体はとっくにそんな世界を越えてい閉まっている」
 結局、「イカシタ彼」がイギリスの実業家の手によって、ジョージとそっくりのアレンジでリリースされるという事態となったのだ。

***

 アラン・クレインなる人物は、アップルに雇われた弁護士であり、当初はジョージとも仕事をしていましたが、その強引なやり口にポールが反感を抱き、他の3人はアランの側についたことでポールは孤立、やがてビートルズ「解散」につながりました。
 ポールはアランへのあてつけにYou Never Give Me Your Moneyを書いて歌ったのはよく知られた話。
 しかし、そのアランが今度はジョージを裏切って、ジョージから金をせしめることになってしまった。
 「悪徳弁護士」と呼ばれる所以ですが、ジョージはこの頃から音楽業界に嫌気がさし始めたのも分かる話ですね。

 盗作問題は難しいですね。
 ある曲のイメージを持って作曲すると、どこまでがイメージで、どこからが盗作になるのか判然としない部分もあるでしょう。
 ジョージの場合は、裁判で意図的ではないと認められたというのも、証言などからそうなったのでしょうけど、不思議といえば不思議です。

 ジョージが語ることは、まさに核心を突いていますね。
 この言葉で、ジョン・レノンの生前最後のインタビューを思い出しました。
 ローリング・ストーンズのMiss Youが、ジョンのScaredのテンポを速くしたもの(つまりは盗作)ではないか、とジョンは考えていました。
 でも、ジョンは、作曲者のミック・ジャガーを責めてはおらず、音楽はみんなのものであり、誰かのものだと考えるのは音楽出版社の人間くらいなものさ、と話をしめていました。
 それはまさに、ジョージがここでいう「とっくにそんな世界を越えた」ということなのでしょう。
 ちなみにこの件は盗作問題にはなりませんでした。
 
 My Sweet Lordの作曲者クレジットはいまだにジョージひとりのままですが、判決を基に法的にお金で解決した、ということなのでしょうね。
 そして歌うことも認められた。

 ジョージは2000年、死の直前に、My Sweet Lord 2000を再録音しシングルをリリースしましたが、それができたのは、そういうことなのでしょう。
 2000はALL THINGS...にボーナストラックとして収録されていますがジョージの声が、優しいといえば優しい、しかし細くなっていて、今から思えば、そういうことだったんだなあ、と・・・
 こちらのヴァージョンには敢えてこれ以上は触れません。



 何であれ、この曲が素晴らしい名曲でるのは間違いない。

 ジョージの引用文で興味深いのは、人々は神を恐れている、ということ。
 この曲の持つ優しさ、包容力、そして気持ちの高ぶりは、神とは決してそういうものばかりではないというメッセージなのでしょう。
 ジョージのいう神はコーラスでも出てくるハレ・クリシュナなのでしょうけど、この曲を聴いたあなたの神への思いをあなたが表し伝えよう、というメッセージソングと受け止めました。

 コーダの部分のコーラスに込められた思いは、ポップソングという域も越えた永遠なものであるように感じられます。

 曲としては至極シンプル、A-B-A-Bと二度繰り返し、転調して盛り上がり、Bメロがそのままコーダとなってフェイドアウトするだけ。
 シンプルなだけに、歌の旋律の良さが際立っている。
 口ずさむとほんとうに気持ちいい。

 僕はこの曲、ビートルズを聴き始めた中学2年の早い頃、秋だったと思う、NHK-FMでエアチェックしたのが出会い。
 なんとなく聴いたことがあると思ったのは、日本でもヒットしたからでしょう。
 一発で気に入り、録音したSONYのBHFテープを繰り返し聴きました。
 写真01のドーナツ盤はすぐに中古で買い求めたもの。

 僕がギターを弾き始めたのは中3になってからでしたが、この曲はコードを覚えるとすぐに弾けるようになりました。

 F#m→B→F#m→Bというイントロからの繰り返しが印象的ですが、マイナーコードで始まるのに暗く聴こえないのが不思議でした。
 しかし、後に貼り付けたYou-Tube映像を見ると、ジョージは2フレットにカポをしてEm→A→Em→Aのフォームで弾いていますね。
 僕は、カポをしてこれを弾いたことがないのです。
 途中で転調してどのみちバレーコードになるから、というのが理由。

 浪人生になり、車の免許を取り運転するようになってから、家族の用事で祖母と叔母を乗せたことがありました。
 その時は、自分が編集した、この曲が入ったビートルズ関係のカセットテープをかけていましたが、この曲になったところで叔母が口ずさみ始めました。
 叔母はジョージより8歳年下で、母がジョージと同い年でしたが、年代的にはちょうど10代の頃にこの曲を聴いていたわけで、その時、この曲が日本でもヒットしたことを実感しました。
 ちなみに叔母は僕が中2の時にビートルズを聴き始めたと知ると、Hello Goodbye / I Am The Walrusのドーナツ盤を僕にくれました。

 そしてもうひとつ、やっぱりこの曲の大事な思い出は、1991年12月の来日公演、東京ドームで聴いたこと。
 エリック・クラプトンと一緒の時で、息子さんを事故で亡くされ失意のエリックに、ジョージが、一緒にツアーをしようと声をかけて実現したコンサートで、この曲はもちろん演奏されました。
 ただ、もちろん、と書いたけど、僕は盗作問題があって、もしかしてやらないんじゃないかと思っていたので、演奏してくれてよかった、と、他のどの曲よりも強く思いました。
 この時はあのエリックがアコースティックギターでコードを切っているだけ、という何とも贅沢な演奏で、それも印象に残っています。

 今回、ボックスセットを開いて最初に聴いたのはこのアルバムであり、今はまたこのアルバムに、いわばはまっている状態です。
 20代の頃よりもはるかによく聴こえる。
 だけど、作った時ジョージはまだ27歳。
 やはりジョージは何かをつかんでいたのでしょうかね。

 アルバムの記事をすぐに上げたくなってきましたが、それはまた少し間を置いてということにさせていただきます。



 今回のYou-Tube映像、先ずは有名な「バングラデシュ・コンサート」から。

 ポルトガル語かな、字幕が出てくるのが気になりますが、映像自体は他の同じものよりクリアだったのでこれを採用しました。

 ううん、髭が長いジョージはまさに仙人だ。






 続いて、2002年11月29日、ジョージ・ハリスンの一周忌に行われた追悼コンサート、「コンサート・フォー・ジョージ」からの映像。

 ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ビリー・プレストン、エリック・クラプトン、ジェフ・リン、ジム・ケルトナーなどが参加。
 そしてジョージの息子で音楽活動をしているダーニ・ハリスン。
 ちなみに、コンサート自体にはトム・ペティとエルトン・ジョンも参加していますが、この曲には2人はいないようです(残念)。

 エリックが12弦ギターで弾き始める、もうそれだけで感激。
 歌うのは「5人目のビートル」と言われたビリー・プレストン。
 いわばこの曲の「オリジナル」になり損ねた男、でしょうか。
 この明るい歌い方が、ジョージとは違う優しさ、そして説得力があります。 

 みんなでジョージやこの歌への感謝の念を表していて、見ている側も明るい気持ちになり、感動が湧き上がってきます。

 そういえばビリー・プレストンも亡くなりましたね。





 いつも言う、素晴らしい曲がこの世にあることの幸せ。

 今回はジョージへの感謝の念を込めたコンサートの映像を観て聴いただけ、余計にそれを感じました。

 ジョージありがとう。
 これからも音楽を聴き続けます。

 そうか、そろそろジョージの日、そしてジョンの日か。