HARVEST ニール・ヤング | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。


January08NeilYoungHARVEST

 

◎HARVEST

 

▼ハーヴェスト

☆Neil Young

★ニール・ヤング

released in 1972

CD-0454 2014/1/8

 

 今年の音楽記事の1本目です。
 今年もよろしくお願いします。

 

 

 何事も年の初めにはこだわりたい僕だから、今年も特に思い入れの深いアーティストの作品を取り上げました。
 

 

 ニール・ヤング、なぜか。

 直接的には弟が買ったCROSSROAD FESTIVAL2013のCDを聴いたところ、The Needle And The Damage DoneをAllman, Haynes, Trucksがカヴァーしていたから。
 もひとつこじつけ、ジム・ジャームッシュ監督によるニール・ヤングのライヴ映画のタイトルがYEAR OF THE HORSE=「午年」だから(笑)。

 

 ニール・ヤングを取り上げるのは初めてではないけれど、このアルバムは僕が初めて買った2枚のCDのうち1枚だからそもそもの話から始めたいと思います。

 

 

 ニール・ヤングの名前と存在は、1980年代前半、中学時代になんとなく知りました。
 曲は確か「ベストヒットUSA」のタイムマシーンのコーナーで、Like A Hurricaneを観て聴いたのが初めてと記憶していますが、アメリカ音楽の良さを凝縮したように感じられて気に入り、サビのタイトルの言葉を歌う部分は珍しく一発で覚えました。
 翌日の高校のクラスでも、なんだかすごい曲だったと話題になりましたが、おそらく、僕も含め、そういう時代もあったんだな、程度の話で終わりました。
 

 

 80年代のニール・ヤングは「時代遅れの人」とでもいうか、歴史と伝説を作って一仕事を終え、その余勢でやっている人、といった感じだったので、ヒットチャートを追い始めたばかりの僕は、すぐにニール・ヤングを聴こうとは思わなかった。
 これは批判として言うわけではなく、80年代に音楽を聴いて育った人間としての偽らざる感想。
 当時はボブ・ディランやローリング・ストーンズですら、そのような感覚で捉えていたので、ニール・ヤングだけが例外ではないでしょう。
 キンクスが若々しい曲Come Dancingで復活したのはむしろ驚きであり、「親父ロック」なるものが確立したのは90年代に入ってからでした。

 

 ニール・ヤングは以降度々接してはいたものの、LPを買うことなくCDの時代に。
 いつも言うようにCDの時代の最初の頃は、古い洋楽の作品が魅力的な「新譜」として世に出回ったことにより、古い音楽に接しやすくなりました。
 その流れで当然のごとくニール・ヤングも聴いてみたくなり、AFTER THE GOLD RUSHとHARVESTを2枚同時に買いました。
 ワーナーから「フォーエヴァー・ヤング」シリーズとして当時としては安い1800円で過去の名盤が大量に出たことも大きかったですね。
 このシリーズ名は今でも続いているのがうれしいところ。

 

 

 AFTER...のほうはすぐに気に入りました。
 僕が好きな1970年代のアルバムただしビートルズとソロを除くでは、今でも上位5枚に入るくらいに大好き、もしかして1位かもしれない。
 本来ならこちらを先に記事にするべきかもしれないけれど、でも僕は、このアルバムがあまりにも好き過ぎて、今の自分の力ではこのアルバムへの思いを伝えるのは無理という思いがまだ消えない、だからいつの日にか記事にしたいと。

 

 

 一方HARVEST。
 唯一のNo.1ヒットHeart Of Goldが収録されているにも拘わらず、アルバムとしては何だか肩透かしを食らわされたように感じました。
 曲はみんないい、いいんだけど、なんだろうこの「アルバム」は、と。

 

 

 誰の曲もそうだと思うのですが、ニール・ヤングの曲はとりわけ人生の断片、ある一コマを音として表したものであると強く感じる。

 

 

 若い頃の僕はビートルズのせいで「アルバム至上主義」だった。
 とは僕がいつも言うことですが、AFTER...には、コンセプトではないけれどその人生の断片に、不連続だけど確かな「流れ」が存在すると感じられ、そこに引きつけられたのでしょう。

 

 一方こちらは、人生の断片は断片のまま無作為に並べたといった趣きで、アルバムとして聴かせようというよりは、あくまでも歌が際立っている。
 おまけにスタジオアルバムの中にライヴ録音の音源が入っていて、僕は、なんだなんだと「?」たくさんで聴いていました。
 もっとも、ニール・ヤングにはそういうアルバムが他にもありますが、でもやはり全体を見渡すとそういう人はむしろ少ない、だからこれについてはいまだに慣れていないかもしれないけれど。

 

 

 まあ、「?」はたくさんではあけれど、買った当時もよく聴いていて、気に入らなくてすぐ聴かなくなったということはなかった。
 当時はまだロック批評などマスメディアに影響されていて、このアルバムは素晴らしい、AFTER...よりこっちがいいという人も多いという話だし、なぜそう言われているのかを自分なりに掴みたかったからです。
 でも、今思うと、やはりこれはこれで最初から気に入っていたのでしょう。
 僕の悪い癖である(無理矢理)好きになろうとしていた、というよりは、それ以降も時々むしょうに聴きたいと自然に思うようになっていました。

 

 

 数年前、現行のリマスター盤が出た時にすぐに買って聴いて、自分でも思ってみなかったほど細かい部分を覚えているし、勝手に口ずさむし、そういう自分に驚きもしましたが、そこで漸く、そうか本当は最初から大好きなんだと自分でも気づきました。
 なんだかおかしな言い方かもしれないですが。

 

 

 ニール・ヤングは基本的には同じことを続けてやらない人だから、AFTER...はアルバムとしてしっかりとしたものを作ってみたかった、一方こちらはそこから解放されたありのままの自分を映し出したかった、と考えると自分なりに納得できます。

 

 このアルバムがバラバラの断片であることはむしろ、ニール・ヤングの破天荒ともいえるキャラクターには合っているのかもしれない。
 彼には緻密さだの計算されたものなどは求められておらず、浮かんだことを素直に歌に表してくれればそれでいい、そうしてくれることこそが最高だ、と。

 

 同じことを続けてはやらない彼はまた、ロック色が濃い作品とカントリー色が濃い作品を交互に出してゆくようになりましたが、この2枚の対になったアルバムがその始まりだったのでしょう。
 そう考えると、ロック色が濃いAFTER...は最初からすんなりと受け入れられたのに対して、こちらは少し飲み込むのに時間を要したということも自分なりに納得できます。

 そうですね、恥を忍んで言えば、HARVESTを最初に聴いて「これってカントリーだよな」と思ったものです。
 カントリー「っぽい」ではなく、カントリーもやる人なんだ、と。
 カントリーも一応は聴くようになった今はもちろん、これはカントリーではなくカントリーの風味をまぶしたロックだと分かります。
 悪く言えば「似非カントリー」というか。
 ただ、ジャンルとしてのフォークとも少し違う、そう考えると、ボブ・ディランよりはずっとカントリーっぽい人だとは思います。

 

 いずれにせよ、僕はアメリカ的なロックが大好きであるのは高校時代に分かっていたので、ニール・ヤングはすぐに大好きになりました。

 

 

 

 

 1曲目 Out On The Weekend
 冒頭からゆったりと歩くような曲、でもこれが引き込まれる。
 ベースの音がタイトでかつちょっと跳ねていて、沸き立つ心を今はまだ押さえようとしている、そんな気持ちが伝わってくる。
 彼女と離れて暮らしていて、週末には車で会いに行くという内容で、割と寂しい部分がない明るく前向きな曲だけど、でも全体的に抑制されていて不思議と落ち着いた雰囲気がある曲。
 ベン・キースのペダルスティールギターの音色が、ほんとうはもっと楽しくやりたいんじゃないかという気持ちを煽るようでもある。
 このアルバムが「カントリー」だと感じたもっとも大きな要因は、ペダルスティールギターの音色でしょう。
 むしろブルーグラスともいえる雰囲気をロックの中に再現しています。

 

 

 

 2曲目 Harvest
 この曲はカントリーというよりはフォスターの唱歌を思い出す。
 ニール・ヤングも声が変わらない人というイメージがあるけれど、同じように緩い曲を歌っても、やはり若い頃の声にはとげとげしさがある。
 この曲が面白いのは、歌詞のどこにも"harvest"と入っていない上に、内容も特にいわゆる収穫(物)とは関係がないように思われること。
 僕はずっとこの曲のタイトルを"Dream up"だと思っていたくらい。
 夢が叶うことが収穫だ、ということなのかもしれない。

 

 

 

 

 3曲目 A Man Needs A Maid
 最初に聴いた時、こんな曲があるのかって、とにかく驚いた。
 なんだろう、このやるせなさ、切なさ、寂しいとか悲しいというよりは。
 こぼれるようなピアノの音で始まり、まるで懺悔をするかのようにか細い声で頼りなげに歌い出すニール。
 Bメロの"A maid"と声を伸ばして歌う部分は最初から胸にしみてきた。
 その切なさはニール・ヤングのあの声にして初めて表現できるもの。
 その部分には大仰なストリングスが被さり、間奏には鐘の音も。
 さらに2番のその部分ではストリングスの音が大きくなり、切なさ百万倍。
 先ほど僕は、ニール・ヤングには緻密さだの計算された部分だのは求められていないと書いたけど、これを聴くとそれはとんでもないことで、音へのセンス、神経の細やかさ、そして上手さを感じます。
 多分、そういう部分は逆に計算されたもの、それがニール・ヤングであり、いわゆるナイーヴで壊れやすい人間のようなイメージというのはいわば「嘘」であり、そこが受け付けられない人にはだめなのかもしれない。
 なおそのストリングスはロンドン交響楽団であり、この曲ともう1曲、LSOが参加したものはわざわざロンドンで録音したようで、つくづく、計算されていないというのは違う、と思わされますね。
 何かを変えるのは大変だという思いが重たく伝わってきます。
 僕の中では、ニール・ヤングの曲でも最初のインパクトがいちばん大きかった、ショックを受けた、それくらいの曲です。
 ところで、聞いた話によれば、この曲の歌詞は女性蔑視につながると一部で話題になったのだとか。

 

 

 

 

 4曲目 Heart Of Gold
 いきなりですが、今回これを聴いて(漸く)分かったことがあります。
 "mine"という単語は「鉱山」という意味と「自分のもの」という意味があります。
 ロックにはダブルミーニングがつきものですが、この歌が言いたかったのは「君が探している黄金の心は自分の中にある」、ということではないか。
 今風にいえば「自分探し」ですかね。
 1960年代後半のフラワー・ムーヴメントからヒッピー文化そして究極があの「ウッドストック」を経て、大勢で行動しても結局何も得られないことが分かり始めたのが70年代に入る頃のことだったのではないか。
 シンガーソングライターがブームになったのもその反動で、個人の小さなことを静かに聴いていたいという思いが世の中に広がり、そういう音楽が受けた。
 ニール・ヤングは一見ナイーヴそうでその実、人を押しのけてでも自分の道を通そうとする強さのある人であり、そんな彼が時代の空気に呼応した。
 「誰か他の人ではなく自分に頼ることを学びなさい」、というのがこの曲のメッセージの根底にあるものだと感じました。

 歌っていて自分で陶酔してしまう曲の筆頭格でもありますね。
 特に"heart"という単語を歌う部分の声の出方が気持ちいいし、歌うと言葉が口の中の舌の上で転がって遊んでいるようにも感じます。
 後半のコーラスではリンダ・ロンシュタットの声がよく聴こえてきますね。
 一方でJTどこ、という感じがしないでもないですが・・・

 

 

 歌詞でいえば、樹木好きとしてはやはり2番の歌い出しが気になるのが以下の部分。
 "I've been to Hollywood, I've been to Redwood"
 "redwood"は「メタセコイア」ですが、"Redwood"と大文字で始まるので、これはカリフォルニア州北部にある「レッドウッド」国立公園を指すのでしょう。
 つまりは、ハリウッドのような華やかで賑やかな場所から、レッドウッドのような自然の中にも行ったということを韻を踏んで表しているのでしょう。
 同じカリフォルニアにもいろいろある、という意味にもとれます。
 そして、HARVESTとHeart Of Goldが同じ発音の単語で始まっていることで、表題曲はあるものの、この曲がアルバムを象徴する存在であることを物語ってもいます。

だから曲のHarvestには"harvest"という単語が出てこないのかな、とも。

 それにしてもこの曲の歌い出し、"I wanna live, I wanna give"は、すべてのロックの楽曲の中でも特に強さを感じる印象的な歌い方で、ニール・ヤングここにあり、と当時は知らしめたのではないかと想像します。 

 

 5曲目 Are You Ready For The Country
 ゆったりとしたテンポのホンキートンク調の曲。
 歌い出しが"Slipping and sliding"、そう、ジョン・レノンも歌っていた曲。
 古い曲のタイトルや歌詞をそのまま歌うのはロックにはよくありますが、そういうことが分かってきたのもこのアルバムを聴いた頃だったと思います。
 この曲のスライドギターはペダルスティールではなく、ジャック・ニッチェによる普通のギターのスライド奏法であり、それが2番以降に歌に執拗に絡んでくるのが面白い。
 緩い曲だけど、「国のために準備はできているか?」と問いかける。
 いかにもベトナム戦争時代の曲、この緩さが逆にシニカルさを感じます。
 コーラスにはデヴィッド・クロスビーとグレアム・ナッシュが参加、3/4CSN&Y、といったところ。

 

 6曲目 Old Man
 1曲目の裏返し、静かに歩く様子を描いたようなゆったりとした歌い出し。
 しかしこの曲はサビでニールの声が何かを宣言するかのように大きく高くなる。
 「僕はおじいちゃんのようにはならないよ」、と。3曲目といい、若い頃のニール・ヤングは優しい人という部分もありながら、よくよく考えると突き放したような、生意気な部分もあったようですね。
 サビに入る前のペダルスティールのフレーズとニールの声が呼応しているのがこれ以上ない素晴らしい効果を上げている。
 切り刻むようなアコースティックギターの音色もいい。
 リンダ・ロンシュタットとジェイムス・テイラーが揃ってこちらにも参加、しかもJTはバンジョーも弾いています。

 

 

 7曲目 There's A World
 ティンパニーとストリングスでこれまた大仰に始まるこちらもLSOとの仕事。
 このイントロには風格のようなものも感じられます、或いは時代劇風・・・
 ただ、歌が始まると、片田舎の小川のほとりのような雰囲気にはなりますが。
 歌自体には特に感興の波のようなものはない平坦な曲ですが、だからこそ大仰なアレンジが映えるのでしょう。

 

 

 

 

 8曲目 Alabama
 エレクトリックギター中心のアルバムの中でいちばんロックらしい曲。
 前作のSouthern Manの続編といえるのか、当時のニール・ヤングはアメリカ南部の問題や歴史について書き表して歌いたかったのでしょう。
 彼自身は国でいえばカナダの人ですが、でもだから外から見える部分を歌いたかったのかもしれない。
 全体的に重たく沈んだ雰囲気であるのも、メッセージが際立っている。
 1962年の映画『アラバマ物語』に感じ入るものがあったのかもしれない。
 後に南部の人たちの集まりであるレイナード・スキナードがこれに対抗しSweet Home Alabamaを歌ってヒットさせたのは有名な話。
 アラバマはいい所なんだ、「外国人」のお前に言われたくない、というところか。
 歌としては「ニール・ヤング節」ともいえる独特の旋律の流れがいい。
 デヴィッド・クロスビーとスティーヴン・スティルスがコーラスで参加、またしても3/4CSN&Yが別の形で実現。

 

 

 

 

 9曲目 The Needle And The Damage Done
 ギター弾き語りによるライヴ録音の音源が使われたのはこの名曲。
 クスリのことを歌っているのでしょう、だんだんと命が細くなってゆく様をギターを持って追いながら表現しているかのように響いてきます。
 "junky"と歌う部分、罵倒するように力を込めて吐き捨てるのではなく、どこか優しい響きを感じるのですが、その優しさが逆にショックでもある。
 直接的にはクレイジー・ホースのダニー・ウィッテンにあてた曲のようですね。
 ダニーは実際にこのアルバムが出た後にそれが元で死んでしまいますが、
 まるでそれを予見したようなこの曲、敢えてライヴ音源を使ったのかもしれない。
 本人もそれ以上いい録音はもうできないと思ったのか。
 ところで、かつて「FMファン」を購読していた頃、もう20年以上前ですが、アーティストたちが好きな10曲を挙げる特集記事がありましたが、そこでポール・マッカートニーがこの曲を選んでいたのが印象的でした。
 しかもその理由が、自分自身がというよりは当時の奥さんのリンダさんが大好きだからというのが、いかにもポールらしい心遣いで。
 ただ、10曲すべては覚えていなくて、確実にあったのはサム&デイヴのHold On,I'm Comingとプロコル・ハルムのWhiter Shade Of Pale、もしかしてアイク&ティナ・ターナーのRiver Deep Mountain Highはあったか、そうだとしてもあと6曲が思い出せないのが残念。
 物置の奥の段ボールにまだその雑誌は残っているはずなんだけど、引っ張り出すのは1日仕事になりそうだから・・・
 ああ、結局のところポールにつながってしまうのでした・・・(笑)・・・

 

 

 

 

 10曲目 Words (Between The Lines Of Age)
 前の曲はライヴであるため当然拍手が入っているのですが、それをぶちっと切った後、ギターとベースの重たいワルツが始まる。
 そうするしかなかったのでしょうけど、これがドキュメンタリー的な効果がある。

 

 

 しかも、この曲はライヴ録音ではないはずが、ライヴのように響いてくる。
 この録音がまた、それこそ生々しさを感じさせます。

 この曲は農村風景を描いている部分がありますが、でもその中で歌の主人公多分ニールは、破滅的な思考を持った人間としてまわりに飲み込まれないように努めている、という内容でしょうか。
 しかし、周りの人が作物を植えるさまを見ている主人公が、水が蒸発してしまえばいいのにと思った、というのはかなり屈折した心理状態であったことを想像させられます。

 "If i was a junkman"という歌詞があり、仮定法過去だから実際には彼はジャンクマンではない、でも心の中はそうだと言いたいようで、独立独歩で行くことの孤独のようなものを感じます。
 そしてやはり"junk"の発音、言葉の響きがなぜかずっと後を引く。
 Heart Of Goldのところでも触れたように、やはり自分は自分として生きてゆく、早く目を覚ませ、というのが一貫したメッセージのように受け取れます。

 ここではスティーヴン・スティルスとグレアム・ナッシュがコーラスで参加、またしても3/4CSN&Yですが、4人が揃う曲が1曲もない上に、ニール以外の3人が全員2曲ずつ参加して組み合わせが違うというのは、CSN&Yへの幻想のようなものも捨ててほしいということかもしれないけれど、それにしても手が込んでいるというか、ジョークがきついというか。
 ニール・ヤングの「ぺなぺなギター」も全開、カントリーっぽいと書いたけど、最後は重たいロックで終わりました。

 

 

 

 "harvest"というからには秋に取り上げるべきだったでしょうかね。
 まあ、聴いてしまったのだから仕方がない。
 今から秋の収穫の時期を夢見る、もちろんその間に鳥たちが来る、ということで。

 

 

 感じたことを歌にしないと生きてゆけない。
 それがニール・ヤングという人だと僕は思います。
 趣味とか職業とか、そういう次元ではなく、それが生き方。
 でも、その生き方を貫いて仕事としてこられたのだから、ニール・ヤングは幸せな人なのかもしれない。
 もっとも、幸せ、なんて言葉を使うと、ニール・ヤング本人にはそれは知らない奴の言い草だと返されそうですが。

 

 でも、そういう人の音楽を聴くことができるこちらは幸せではあります。
 たとえ、内容が深刻でも重たくても楽しくなくても。

 

 ところで。

 

 ニール・ヤングは声が苦手だという人が結構いらっしゃいます。

 今回、僕はそのことには触れなかったのですが、それはただ単に長くなりすぎるからであって、彼の声についてはもちろんいろいろ思うところがあります。

 次にニール・ヤングを取り上げる際には、そこを中心に話してみたいと思います。