TRUE BLUE マドンナ | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。


自然と音楽の森-May18MadonnaTB


◎TRUE BLUE

▼トゥルー・ブルー

☆Madonna

★マドンナ

released in 1986

CD-0405 2013/5/18


 マドンナの3作目。


 チェイン・リアクションはひとまず終わり。

 今回は、先日、車で聞いていた洋楽ではない一般のラジオ番組でPapa Don't Preachがかかっていて、運転中に口ずさみ、アルバムの他の曲も思い浮かべ、帰宅してからアルバムを聴いたものです。


 このアルバムは僕が浪人生の頃、かつLPを買っていた最後の年に出たもの。


 1986年は当たり年で、ジャネシスのINVISIBLE TOUCH、ピーター・カブリエルのSO、ポール・サイモンのGRACELAND、ジャーニーのRAISED ON RADIO、ダリル・ホールの「ドリームタイム」(原題は長いので邦題)、ロバート・パーマーのRIPTIDE(リリースは前年だけど)、プリンスのPARADE、ジャネット・ジャクソンのCONTROL、ボン・ジョヴィのSLIPPERY WHEN WETなどなど、今でも大好きなアルバムがたくさん出ていて、マドンナのこれもそんな1枚。

 でも、ポール・マッカートニーのPRESS TO PLAYは当時は気に入らなかったんだよなあ・・・(笑)・・・


 マドンナは高校時代に2枚目のLPを買い、さかのぼって1枚目も聴いていて、3作目のこれは輸入盤を店頭で見つけるとすぐに買いました。

 当時はもう時の人だったし、アルバムの前に映画のテーマ曲でもあったLive To TellがNo.1ヒットになっていたこともあって、いつ出るかは、ネットの時代ではなくても情報が飛び交っていました。


 曲の話は後として、当時聴いた印象は、かなり大きかった期待よりもさらに少しだけよかった、でした。

 かなり大きく期待すると、その期待値通りだった場合は、いいんだけど、若干拍子抜けしますよね。

 このアルバムは上積みがあったことで、マドンナがアーティストとして本気で本物になってきたと強く感じました。


 曲がいいのは言うまでもないことだけど、全体としてドラマを感じさせる流れになっているのが、アルバム至上主義者だった僕には訴える部分が大きかった。


 世の中ではただのキワモノ的だと思われかけていたところで、普通のいい歌を歌わせても実は聴かせる人なんだと分かり、評価が少し変わったのではないかと。

 ただ、少しして、やっぱり、という方向に外れて(戻って)ゆきましたが、3枚目というまだ初期の段階でこのアルバムを出したことは意味があったのでしょう。


 この頃の歌い方、当時はそれが彼女らしさであると思いながら聴いていたけれど、今きくと結構かっこつけた歌い方をしているんだなと。

 歌手としての自分らしさを見つけるにはまだまだ試行錯誤の時期だったのでしょう。

 

 しかし、今聴いていいちばん思ったこと、これはマドンナ自身のみならずという話。

 

 このアルバムは、ある意味、ポップソングの完成形であり、ここで進化が止まったのではないか、と。


 そう思うようになったのは、いつも言う「ベストヒットUSA」をまた見て今の音楽に触れるようになったから。

 リズムや装飾音など細かい部分はまだまだいろいろ変わっているけれど、ポップソングの基本の部分、特に曲作りそしてアレンジなど、今の音楽もここからあまり変わっていないという印象を受けます。


 1990年代になると生の音が復権して、作り物っぽくない音楽がより広く受け入れられるようになりましたが、それは、ここでいうポップソングの見地からいえば「退化」といえるものたから。

 (ほんとうは「退化」も「進化」なのですが、あくまでも例え話として)。


 しかしそれ以上に、1990年代には音楽の趣味が世界的に多様化し、誰もが知る大ヒット曲というものが生まれにくい時代になった、とうことも関係ありそうです。

 僕は、ホイットニー・ヒューストンのI Will Always Love Youが、誰もが知る大ヒット曲の最後だと思っていますが、でもそれもカヴァーで、「退化」が始まった象徴でもあったのではないかと。

 

 いわゆるポップソングが生まれたのは1940年代後半かな。

 そうだとすれば、およそ40年でポップソングは進化を終えたということになります。


 なぜポップソングは進化をやめたのか。

 進化する必要がなくなったからであり、それがこの頃、ということなのでしょう。


 マドンナだけの話ではない、そういう時代だったのでしょう。

 でも、その中でもとりわけ出来がよく聴き応えがあるこのアルバムは、今でも大きな存在感を持っています。


 曲はマドンナと他のプロデューサーやミュージシャンが作るというかたちになっていますが、その中には後にマドンナの片腕的になるパトリック・レナードもいます。

 またギターでは後にメガデスやジュエルを手がけたダン・ハフの名前もあります。



 1曲目Papa Don't Preach

 この曲はマドンナで1、2というくらいに大好きな曲で、LPを買うことは決めていたけれど、先に輸入盤のドーナツ盤も買いました。

 10代の頃はへそ曲がりだったから(今もだけど)、ラヴソングではない歌詞の曲は大歓迎。

 この曲は、子どもを身ごもった少女が生むことを反対する父親を納得させようと葛藤する様を描いたもの。

 パパのことは好きだけど、わたしはもう子どもじゃない、言いなりにはならない、だから生むことを決めたという内容は、当時アメリカの社会を反映して話題になり、マドンナが若い女性の代弁者でもあることを宣言したといえるでしょう。

 ポップソングは若者に受け入れられてなんぼ、ですからね。

 ビデオクリップもショートカットにした彼女が話題になり、髪型でこれだけイメージが変わるものなんだと、10代の男子の僕は思いました。

 それ以上に純粋に歌として曲として素晴らしい。

 室内楽曲風の重厚なストリングスで始まるのもそれまでのイメージとは違うけれど、このイントロが好きで楽器が奏でる旋律を口ずさむくらい。

 歌メロはすべて素晴らしく、サビの部分は特に歌うとカタルシス的な高揚感を得られる。

 ところでこの曲、浪人生だったこともあって、Papa "Don't" Preachは文法的に間違ってる、"Doesn't"じゃないの、と最初は思いました。

 しかし、「ベストヒットUSA」でこの曲が紹介された時、謎が一気に解けました。

 小林克也さんは"Don't"をいちばん強く読んだのですが、そうか、これはパパに「しないで」と呼びかけている、文法的には命令文なんだと。

 もうひとつ余談で、この曲は間違いなく僕が高校を卒業してから初めて聴いたはずなのに、なぜか、高校時代のクラスメートとこの曲の話をした思い出があるんです。

 僕は予備校には行っていなかったので、浪人時代は特に仲が良かった人としか会わなかったんだけど、僕が覚えているこの曲の話をした人はそうではない。

 なぜだろう、思い出せない。

 僕の家は高校に近いので、たまたま通りかかった高校時代によく音楽の話をしていたその人と会ったのかもしれない。

 或いは単に、後になって違う思い出が結びついたのかな。

 でも、その友だちが、髪を切ったマドンナを見て「おきゃんなイメージになったね」と言ったのを覚えているんだけど・・・

 あ、「おきゃん」はもはや死語ですね、書いていて自分でも恥ずかしくなった(笑)。

 今回聴いて、やはりこの曲は大好きだと再確認しました。


 2曲目Open Your Heart

 この曲も歌として大好きで今でもたまに口ずさみます。

 一転してサビを聴かせるために周りを固めていくスタイルの曲かな。

 途中でCメロとして出てくる部分がフェイドアウト部分になっているのも、曲作りやアレンジという点で秀逸。 

 最初に聴いて、マドンナも結構ハスキーな声なんだ、と思いました、特に高音は。

 この曲もビデオクリップに思い出が。

 1986年の大晦日、テレビ朝日系では、紅白の裏番組として当時日本でも盛り上がっていたMTV番組をやっていました。

 番組の中で、マドンナの「衝撃の」新しいビデオクリップを、年が変わったところで世界初公開しますと触れ回っていました。

 テレビ番組にはよくあることですが、でも確か1987年1月1日0時からではなく、1時くらいから流したと思う、それまで寝ないで待っていました。

 そしてついに流れたビデオクリップは。

 マドンナがストリッパーの役を演じるというもので、周りにのぞき窓があるステージで踊るというもの。

 ううん、「衝撃」は言い過ぎだぞ、別に脱いだわけでもないし。

 デヴィッド・ボウイのChina Girlのクリップもその方向性で話題になりましたが、やっぱりアメリカは公共放送においては締め付けが厳しいんだろうなと。

 というか、性表現については日本が緩すぎるんじゃないか、と心配にもなりますが・・・

 「心を開いてよ、わたしが鍵穴、あなたが鍵を持っているのだから」というサビはよく考えると、まあいいか(笑)。

 僕にとっては、二十歳になる前という絶妙な年齢に聴いた、そんな曲でもあったんだなあ。

 ともあれ、やっぱりいい歌ですね。


 3曲目White Heat

 ダンサブルな曲で、マイナー調の気持ちが入りやすい曲で、ただのダンスナンバーの枠には収まっていない。

 途中に会話が入ったり、恋愛を戦争に喩えたり、劇的な要素も強く感じる。

 当時これを聴いて、なんとなくU2を連想したのはなぜだろう。

 U2はまだあのアルバムを出す前だったけど、これは英国系の音でもあるということかな。

 

 4曲目Live To Tell

 アルバムに先駆けてヒットしたバラード。

 少なくともそれまでのマドンナの中ではいちばんおとなしくて静かな曲。

 このビデオクリップの彼女は1曲目と逆で、10代の子どもがいる30代のお母さんといった雰囲気。

 モノクロ時代のハリウッド女優のような髪型と映像のライティングがそう感じさせたのでしょう。

 曲は、一度しか出てこない部分の歌メロが最高に好きで、当時12インチシングルレコードを買いました。

 この曲もラヴソングではなく、真実を語ることを通して人としてのあるべき姿を歌おうとしています。


 5曲目Where's The Party

 若者らしく楽しさを求める心を歌ったかわいらしい曲なんだけど、マドンナが歌うと少し硬いかな。

 マドンナは音楽にユーモアが足りないのが、そう感じさせるところ。

 だからむしろ1曲目や4曲目のような曲の方がいいのかもしれない。

 

 6曲目True Blue

 僕はコード進行が丸見えの古臭い曲が好きなんだけど、これを聴いて、マドンナもこれをやるのかと思った。

 80年代はノスタルジーがある種のブームでしたからね。

 ポップソングの進化形を示したと書いたけど、ドリス・デイやコニー・フランシスなど往年のポップス歌手を意識させることで、自分が「クイーン・オヴ・ポップ」であることをここで宣言した、と捉えることができるでしょう。

 Cメロというのか、急に展開して出てくる部分が、マドンナのチームの曲作りの上手さを感じます。


 7曲目La Isla Bonita

 ラテンですね、そもそもタイトルがスペイン語。

 前回も書いたけど、やっぱりラテンのメランコリックな響きには引かれる。

 特にこの曲は、サビというかBメロと曲の中で1度しか出てこない部分のマイナー調の歌メロの流れがしみてくる。

 今はラテンもすっかりメインストリームのひとつになった感があるけれど、そろそろ出かってきたという当時この曲を歌っていたのは、やはり時代を敏感に感じていたのでしょうね。

 僕は最初から好きは好きだったけど、シングルカットするとは思わず(4枚目)、しかもそれがヒットしたのは意外でした(最高4位)。

 アルバムの中の曲と思って接していた曲がシングルヒットすると、また見方、聴こえ方が違ってくるということがよくあったのも、当時の面白いところではありました。

 マイケル・ジャクソンのTHRILLERのP.Y.T.なんて、その曲までシングル出すのかと思ったけど、でもやっぱりヒットチャートの中で聴くとすごくいい曲だったし。

 話は最近のことに移り、洋楽のラジオ番組をたまたま聴いていたところ、パーソナリティがこの曲を「名曲」と紹介していたことにはちょっと驚きました。

 驚いたというか、もう20年以上経っているし、そうかそうなるんだなあと感慨にふけったというか。

 そのDJさんが幾つか分からないけれど、僕はこの曲を最初から知ってるんだぞ、と自慢したくもなった(笑)。

 ところで、歌詞の中に"siesta"「シエスタ」と出てくるけれど、当時は何のことか分からず、英語の歌詞を聞き間違ったのかと思ったくらい。

 今では「シエスタ」、日本でも有名になりましたよね。 

 僕がその言葉に初めて触れたのはこの曲でした。

 まあそうですね、名曲といっていいのでしょうね。


 8曲目Jimmy Jimmy

 これはオールディーズの焼き直しで、これまたマドンナの懐古趣味が意外だった。

 言ってしまうとアルバムの中の曲、ジョン・レノン流に言えば「埋め草」的な曲かな。

 ただ、アルバムを聴いているとそれはそれで楽しいけれど。


 9曲目Love Makes The World Go Round

 この曲はかの「ライヴ・エイド」で演奏されていました。

 「ライヴ・エイド」は1985年だから、まだ出ていない曲をコンサートで先に演奏していたわけですが、「ライヴ・エイド」はその場にふさわしいと考えたのでしょうか。

 ポジティヴなメッセージを持ちアップテンポで盛り上がる曲だから、確かにそのような場所には栄えるかな。

 ただ、その時のマドンナの態度は評判が悪かったそうで。

 「ライヴ・エイド」の日は日曜だったけど運悪く模擬試験があって高校に行かなければならず、出たことはニュースなどで知ったけれど、実際に聴いたのはつい最近のDVDが初めてで、LPを買った当時はしりませんでした。

 そんな曲をアルバムの最後に持ってきたのも

 この曲もラテンとは言い切れないけれど背後にラテンがはっきりと見えるのりを感じます。



 マドンナは、好きかどうかといわれれば好きだけど、熱心に聴いているかというと否、思い入れがあるかと言われるとそれも少し違う。

 アルバムだって、この次までの4枚と他1枚しか熱心に聴いてはいないし。

 時代の鏡として追い続けている、という面が強いかな、良くないこともあるけれど、支持はしている。


 でも当時は、まさか四半世紀後にもトップスターであり話題を提供し続けている人になろうとは思いもしなかった。

 10年くらいは大スターでいるかな、という予感はあったけど。


 そんな稀代のスターが僕が10代の洋楽に熱中していた時に出てきたということが、僕にとっては、マドンナを支持する最大の理由かもしれない。

 マドンナがいないことは想像できない、というか。


 とにかく、マドンナでいちばん好きなアルバムはこれですね。


 ところで最後にどうでもいい話。

 今日のCDと犬の写真、ポーラは赤い服を着ていたのですが、アルバムに合わせて青いタオルを毛布代わりに掛けて撮影しました(笑)。

 暖かくなってきて、そろそろ犬の服も終わりだな。