◎LITTLE BROKEN HEARTS
▼リトル・ブロークン・ハーツ
☆Norah Jones
★ノラ・ジョーンズ
released in 2012
CD-0236 2012/5/3
Norah Jones-03
ノラ・ジョーンズの新譜です。
今年1月にカントリー系のプロジェクト・バンドのザ・リトル・ウィリーズが出たばかりで、3月にこの新譜が出るとのアナウンスを聞いた時は、もう出るのと驚き、かつ大歓迎でした。
このアルバムは国内盤先行発売で、僕は発売日の前日に買って聴いていたのですが、記事を上げるのが少し遅れ、結局は世界的なリリースの日よりも後になってしまいました。
戸惑い、みたいなものが僕にあったので。
戸惑ったのは、このアルバムのノラの声。
今回のアルバム、ノラの声がエコーなどで電気的に処理されていて、素直に彼女の素晴らしい声を味わえないのが聴覚的な部分で抵抗があって戸惑いにつながりました。
声だけなら、ザ・リトル・ウィリーズの2枚目のほうが、そちらはナチュラルな声を楽しむことができてずっといいです。
でも、今回はプロデューサーを変えて心機一転を図ったようで、その声にはきっと何かの意図があるはずだから、今回はこの声に慣れるしかないのかなと、4日目くらいに漸く思えるようになりました。
もちろんこの声だって好きなものは好きだから(笑)。
なおそのプロデューサー、デインジャー・マウスという人は僕はいままでまったく知らない人でした。
今回の新譜に際しては、ノラは日本のテレビ番組にもインタビューでよく出ており、僕は「めざましテレビ」でそれを見ました。
ノラの話によれば、今回のアルバムは「失恋」を歌ったものばかりを集めており、それは実生活で別れを体験したからだということ。
別れを体験して人間的に前に進めた、と語っていたのは救われる部分ですが、でもやっぱりファンとしては気になりますよね。
僕がそこでもうひとつ戸惑ったのが、ノラのその発言でした。
アルバムタイトルは「小さな傷心」、もちろん失恋関係であろうことは予想していましたが、僕はテレビでノラを見る前にこのアルバムを聴いており、その過程ではそれほど深刻なものだとは思っていなかったのです。
聴いた印象は、むしろ明るいじゃないかって。
しかし、ノラがそういうのだから、そう思って聴き始めると、いろいろなことを考えるに至りました。
もちろん音楽だから、暴露本ではないから、実際に思ったことがそのまま歌になっているわけではないだろうけど、でも一方で音楽は人が作るものだから、反映はされているに違いないはず。
まず思ったのは、ノラ・ジョーンズという人は基本的には芯が(とても)強くてしっかりと生きている人だということ。
アルバムの曲を聴くと、いくらかメランコリックだったり、いくらかだるかったり、いくらか重そう、いくらかつらそう、とは感じるんだけど、でもそれもみな「いくらか」で、基本はどちらかというとむしろしっかりしています。
ノラ・ジョーンズはシンガーソングライターですが、僕は「広義」のシンガーソングライターと「狭義」のシンガーソングライターということをよく言います。
「広義」でいえばジョン・レノンもポール・マッカートニーもフレディ・マーキュリーもマイケル・ジャクソンも含まれるわけですが、「狭義」でいえばジョニ・ミッチェルなど1970年代にブームを巻き起こした人たち及びその音楽を指し、その音楽は音楽聴きの人の間ではある程度以上統一したイメージがあるかと思います。
ノラ・ジョーンズは「狭義」的な香りが強い人だとずっと思っていたのですが、このアルバムを聴いて、ノラは、シンガーソングライターよりはポップスターの面が強い人なのかなと思いました。
人生でも最大級の別れを経験したような人が「狭義」のシンガーソングライターであれば、「いくらか」ではなく、もっと本格的にメランコリックだったり重かったりするのではないかと思いました。
でも、このアルバムの曲は、少なくとも自殺したいうほど切迫感がある響きでもないし、憂鬱というほどまでもいっていないように感じます。
人前で自分の姿をさらけ出すよりは、いつもと同じように振る舞うほうを選びたいという姿勢が感じられ、それは「狭義」のシンガーソングライターの姿ではなく、あくまでもポップスターの姿勢であると感じました。
もうひとつ感じたのは、ノラは大きな別れを体験して、意外と大丈夫な自分に気づいたのかもしれない。
もしかして、悲しいことよりもそれによって得られたことのほうが大きかったのかなって。
つまりノラは、自分の強さを再発見したのでしょう。
だから「小さな」ブロークン・ハーツなんだ。
ノラのインタビューを見て暫くの間は、「小さな」とは単に強がりを言っているのだと解釈していたんだけど、聴いてゆくうちに、「小さな」というのは強がりでもなんでもなく、自分の感情に向き合ったところで自然と浮かんだ言葉だったのだと思いました。
「小さな」ブロークン・ハーツであれば、強がって弱い部分を見せたくないというよりは、少し弱い部分を見せたいという思いが音楽に反映されているようにも感じられます。
なんていうといやらしく感じられるかもしれないですが、これは、狙っているとか、なにがしかの下心とか、打算的という意味で言っているのではなく、音楽を通して表現している人だから、自分が体験したこと、自分さえしっかりしていれば大丈夫という思いを音楽を通して広く多くの人と共有したいという単純な表現者としての欲求、そういう意味で言っています。
ここまできてようやく、ノラの声が今回は違うことに、どうやら納得できました。
現実の体験があまりにも強烈だっただけに、今まで通りに歌っていればそれが素直に出てしまうのが恐かったのかもしれない。
その体験により、ポップスターとしての意識が強まった、その心の流れのひとつじゃないかなと。
さらにいえば、それができるノラ・ジョーンズという人はある種の気高さを忘れない人であることも感じました。
それを自然にできる人であるノラは、やはり多くの人々に見守られているポップスターとしての意識がしっかりしている人なんだ、というのがひとまずの僕の結論。
そして僕はポップソング人間であり、表現者の個人的な思いを生のまま音楽を通して触れるのは苦手なほうの人間なので、ノラの新譜を聴いて、むしろ僕の心が近づいたように感じました。
なんて、よくよく考えると、ひとりの女性が別れを体験したというのに、ありもしないかもしれないことを勝手に想像してこんなこと言って、僕も冷たい人間だなってふと思った。
一方で、歌詞や音楽を勝手に解釈するのもロックの楽しみと僕は思っているわけだけど、ノラはそれを許してくれる度量の広い人なんだな、ということも思いました。
音楽的な面でも少し。
ノラ・ジョーンズは割とルーツが見えるロウな感覚の曲が多かったと思うんだけど、今回のアルバムはかなり消化吸収のいい、どういう音楽とはひとことではいえないポップソング集になっています。
言ってみれば、彼女が出てくる前の1990年代的な響きで、僕がMTVをよく観ていた時代、ちょっと懐かしい感じもしました。
ノラの出現によって音楽の時間がルーツの側に振り戻されたわけですが、今回はノラのほうがそこから進んで自らが振り戻す前に戻った感覚がするのは、面白いといえば面白い、不思議な部分ですね。
これは、彼女の考えや姿勢が変わったというよりは、プロデューサーが変わったことが大きいのかもしれない。
まあ逆にいえば、何かを変えたいからプロデューサーを変えたのかもしれないけれど。
と書いてきて最後にもうひとつ気づきました。
ノラが音楽以外の場所でこのアルバムは失恋の歌を集めたものと発言したのは、一種の呪文のようなものだと。
やっぱり聴き手は、マスメディアを通して触れた本人の言葉を意識しないはずもなく、ノラがそういうならそうなんだと思ってしまう、僕のような単純な人間は特に(笑)。
でも実際は心の強さを歌っているわけで、ノラの発言は、自らの音楽の解釈の幅を広げたいという意図があったのかもしれない。
うまい、さすが世界的な歌手、そう思いました、もちろんほめ言葉として。
僕はいとも簡単に「ノラの呪文」にひっかかってしまいました(笑)。
でも今はそれがうれしいですね。
なんて、僕も、言っていることがおじさんになってきたぞ・・・(笑)・・・
そうそう、国内盤にはポストカードがついていたのもうれしかった!