◎SONGS IN A minor
▼ソングス・イン・Aマイナー
☆Alicia Keys
★アリシア・キーズ
released in 2001
CD-0127 2011/09/09
Alicia Keys-02
アリシア・キーズのデビューアルバムの10周年記念盤が出ました。
CD2枚プラスDVDで1枚目がアルバム本編、2枚目がボーナス音源です。
今回は本編の話をします。
僕はこのアルバムを彼女がグラミー新人賞を取った時にたまたま中古で見つけて買っていました。
基本的に僕は今でも新しい良い音楽(洋楽限定だけど)を求めて新しくて話題になっていたり何か気になるものがあれば買って聴くようにしているので、当時これを買ったことは僕にとってはきわめて自然なことでした。
でも当時は何かしっくりこなくて数回聴いただけでやめ、多分それからはたまに興味が出る瞬間が訪れて1、2回聴いただけです。
僕は一昨年の4枚目でアリシアの音楽を好きになり、さかのぼってあと3枚も、他の2枚も実は買ってあるので聴いてゆこうと思っています。
なお4枚目THE ELEMENT OF FREEDOMの記事リンクはこちらです 、ご興味があるかたはぜひご一読くだされば。
そんな折、といって1年以上が経過していましたが、この1枚目の10周年記念盤が出ると知り、ではそこで1枚目を聴き込んでゆくことにしました。
そのようなわけで今回はこの10周年記念盤を買ったことによりアルバム自体を初めて聴いたものとして話をさせていただきます。
実際、1曲も覚えていなかったのですから・・・
単純な感想としてこの1枚目は素直にとっても気に入りました。
やはり10年の間に僕にソウルの流れがきてすっかり定着した(と自分では感じている)ことが大きかった。
とにかく音楽をよく知っている人だなというのが最初に思ったこと。
彼女の音楽は「ネオソウル」と呼ばれているようですが、そうですね音の雰囲気はかなりソウルですね。
僕が思っていたほどヒップホップ色が強くなかったのですが、それは彼女がやっぱり歌が好きでヒップホップでは歌が強調できない、ちょっといきすぎと感じたのかもしれない。
しかしヒップホップは時代の音であり彼女も現代に生きていて時代の感覚はもちろん備わっているから、その感覚を持って自分が大好きなソウルを復活させたいという思いが彼女の中にはあるのかなと考えました。
でもアリシアは今年で30歳、1981年生まれだから、当時はソウルはもうほとんど死んでいたに等しかったと思う、これは僕の記憶としてもかすかに感じていたことです。
そんなアリシアがソウルを好きになったのは普通に考えればやはり親の影響か何かで小さい頃からソウルをよく聴いていたからでしょうね。
10曲目のThe Lifeの最後のほうで"Tryin' to get over"と歌うというか叫ぶというか語るのは歌詞も節ももろカーティス・メイフィールドのSuperflyからそっくりそのままいただいてますから。
彼女がよく聴いているのはソウルだけではなく、例えばアルバム冒頭でベートーヴェンのピアノソナタの一節を交えて始めてみたり、幅広く聴いてきた印象を受けます。
そういえば同じ頃にデビューしたノラ・ジョーンズもやっぱり若いのに音楽をよく知っているなと感じさせる人で、この年代は親が音楽を熱心に聴くようになった世代であることと関係がありそうです。
そして才能に恵まれたアリシアは「ネオソウル」を起こすことに成功。
若いのによくやるなという感じがします。
ほんと、当時二十歳にしてこの落ち着きというか大物感は信じられない思いすら。
音楽の話をもう少し続けると、11曲目Mr. Manをはじめとしてラテン風の曲が何曲かあって、今のブラック・ミュージックはもはやそれとは感じさせないくらい普通にラテン風の曲が入っていますが、それはもう当時は始まっていた流れだったことが分かりました。
この曲は歌メロが何かひねったような独特な感じがあって面白く、デュエットしているジミー・コージエという人を僕は知らなかったのですが声がよく(ちょっとジョン・レジェンド風の声)、アリシアがなんだかカッコつけて歌っているとても気持ちが入りやすい曲。
3曲目How Come You Don't Call Meはプリンスの隠れた名曲をカバーして当時から話題になり彼女が注目されましが、彼女は世代的には日本でいえば幼稚園の頃からプリンスを聴いて育った人で、4枚目にももろプリンスという曲があったくらいでプリンスの影響もまた大きい人なのでしょう。
この曲でしかし驚いたのはプリンスがよくやるようなまるで切れたかのように声が突然高くなって声がきしみ収拾がつかなくなるような歌い方を彼女がしていることでした。
へえ、こういうこともできるんだ、4枚目ではそんな歌い方はしていなかった。
だけど正直言えば僕は彼女にはこの歌い方は似合わないと感じました。
僕は多分アリシアに品の良さを求めているのでしょう。
4曲目Fallin'はグラミーで最優秀楽曲賞つまりソング・オブ・ザ・イヤーを受賞したということですが、ソウルの伝統にのっとりながら重厚で威厳がある曲であり、からみつくようなコーラスが印象的で、なるほど確かにそういう曲だなと納得させられます。
アリシア・キーズはまたバラードがいいという話もよく聞いていました。
4枚目で僕もそう感じていたのですがこの1枚目でも確かにそう感じました。
でも歌メロにうるさい僕から言わせてもらえば、歌としていいというよりは雰囲気がいいという傾向が強いように感じました。
もちろんそれだってとてもいいには違いないけど。
しかし僕がこのアルバムでそれ以上に感じたのは尋常ではない「切なさ」でした。
僕がいちばん気に入った曲は8曲目Jane Doe。
マイナー調のほの暗くてメランコリックな曲でサビの歌メロがやはり少しひねってあってそれが気持ちを周りから埋められていくようで胸が詰まる思いがします。
'Jane Doe, Jane Doe'とタイトルを歌ってコーラスが被さるところはともすれば気持ちをかき乱されんばかり。
他の曲もそれこそマイナー調の曲が続いて「切なさ」が強調されているかのような響きです。
切なさというのは青春の象徴なのかな。
そういえば僕も最近は切ない思いはしていないような気がするけど、アリシアのこのアルバムは僕に良くも悪くも若いころのことを思い出させてくれました。
僕は「切なさ」、切ない音楽に滅法弱いのです。
まあそうは言いながらもこれはさらっとかけるのにもなぜかよく合い、切ないからと言って聴きたくないとまでは思わないです、時々そういうことを思い出すだけで。
まだ1枚目で二十歳のアルバムですからね。
年齢の割に落ち着きがあって音楽をよく知っていて表現力には優れていても、やっぱりまだ心の奥深くまで直接届くという域には達していないと僕は感じています。
しかしだからよく聴くわけで、6月にこれを買ってから古い通常盤を引っ張り出して専ら車の中で聴いていて、2度の知床遠征でも聴いていたし、家ではこの本編ディスクが連装CDプレイヤーに入りっぱなしで、およそ3か月で100回くらいは聴いたんじゃないかな。
お気に入りの1枚になったことは間違いありません。
何よりソウルはまだ生きているんだ、しかも若い人がそれを受け継いでいるんだというのはうれしい部分です。
でもそれは音楽のパッケージとしての印象で、彼女の歌い方はやっぱりソウルというほどソウルフルでもない気はします。
だけどそれもまた彼女の魅力には違いありません。
10年遅れたけど僕の気持ちに近くてとってもいいアルバムにめぐり逢えました。
このアルバムが落ち着いたらあと2枚も続けて聴き込むことにしますか。