織部黒金彩 西岡悠 | ぐい呑み考 by 篤丸

ぐい呑み考 by 篤丸

茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。

 西岡さんといえば、何といっても黄瀬戸だが、最近は織部四彩や黒狐手など、美濃の複数のボキャブラリーをひとつの作品に融合する試みで話題をさらっている。毎年恒例ともなった美濃の作家たちによるグループ展が伏見のギャラリーで開かれている。最近慌ただしさにかまけてほとんどやきもの探索に行けていないが、本展はなじみの作家ばかりなので、最近の仕事ぶりを拝見しがてら出かけた。ギャラリーを訪ねるのは、確か昨年の同じ時期に開催された同じグループ展以来。御主人とお会いするのも、春先に奈良の工芸展でお世話になって以来なので半年以上経つ。ほんとうにご無沙汰だ。このグループ展も回を重ねるごとに出展者が増えて、今や西岡さんはメンバーの兄貴分的な存在となっているようだ。作品を拝見しても、堅実な技量、レパートリーの豊富さ、地に足のついた創意の点で、ずいぶん先を行っている。初めて御作と出会った7年程前の頃からすると、格段の飛躍ぶりだ。
 
 絶えず拡大を続ける西岡ワールドのなかでも、最近筆者がとくに注目しているのは織部。黄瀬戸以外のレパートリーとして手を出した頃のそれは、はっきりいって片手間仕事の域を出なかった。歪めれば何でもいいというわけではなく、織部にはそれなりの形式がある。世に溢れる織部のなかで、その形式を意識させる作品の何と少ないことか。その点、この間造形力に磨きをかけた西岡さんは、織部のその形式をかなりの強度をもって表現するようになった。一昨年も同じ企画展で、実は赤織部の額皿を分けて頂いた。渋い赤の質感はもちろんのこと、その研ぎ澄まされた造形力に惚れ込んでのことである。今年のDMには写真と同種の金彩を施した織部黒が載っていて、またギャラリーのインスタの片隅にいかにも雰囲気のありそうな黒織部が写っていて、西岡さんの観応えのある織部を手に取るのを楽しみにギャラリーを覗いた次第である。守旧派の例のよってDMの金彩にはあまり興味はなかったが、インスタにある本格織部のような作品がたくさんあればいいなと。
 
 ところが、黒系の本格織部はひとつしかなかった。初日にかなりのお客さんがみえたそうなので、伺った2日目にはめぼしい作品が売れてしまった後だったからだろうか。それでも、写真の金彩のほうが数点残っていて、これは今回の出展用に作家が用意した新作なので、てっきりこちらのほうが先になくなっていると踏んでいただけに少し意外だった。あるいは、こちらのほうが持ってきた数が多かったからなのかもしれない。その金彩の何点かを手にとってみると、黒と金の映え具合がなかなかいい。形ももちろん織部のダイナミズムが表れていていい。これは買いだと判断して、なかでも最も造形の暴れている作品を選んだ。口縁のつくり、とくに写真でいうと向こう側のせりあがっている様子に迫力があって、波打つという表現では足りない、高波ともいうべき造形を実現している。こんなオーバーなやり方をすると、たいがいそこだけ浮き上がってしまうものだが、バランスを欠くことなく全体に均整が保たれている。こんな造形には、単に織部だけでなく、茶碗全般の形式に敏感でないと到達しない。もっとも格式を主張する黄瀬戸を長く研究してきた作家だからこその力量といっていい。
 
 この特殊な織部黒を観て、こりゃ琳派だな、と直感的に感じた。なぜ「琳派」という言葉が浮かんだのはわからない。光悦や光琳の硯箱が黒と金を主調にしているからかとも考えたが、漆芸作品ではそれは当たり前のことである。にもかかわらず、そこに琳派のイメージを抱くのは、織部の形式が琳派の表現に重なっているからではないかとも思ったりもする。つまり、織部のダイナミックな造形が、たとえば光悦の「舟橋蒔絵硯箱」の鉛のかけ橋や光悦の「紅白梅図屏風」の真ん中の水紋に通底するところがあって、黒と金の組み合わせは、その親和性を図らずも浮き彫りにしたということなのではなかろうか。ギャラリーの御主人によれば、この金彩は今回の展示に向けて何か新しい作品をという彼女の要望に応えてこしらえた作とのこと。いくら望まれても、一定の完成度で新作をつくるのは簡単ではない。西岡さんにあってそれが可能なのは、日頃からやきものだけでなく芸術表現のあらゆる方面にアンテナを張っているからだと推測するのは穿ちすぎだろうか。会期初日に在廊していたという作家は、御主人に「自分たち美濃は他の産地に比べて地味だからだあ。」と話していたという。いやいや、そんなことはない。やきものの形式に真摯に向き合っているという点で、かれらほど強度をもつ作家たちはいない。今回出展された他の作家の皆さんとともに、美濃のポテンシャルはこよなく高い。