ぐい呑み考 by 篤丸

ぐい呑み考 by 篤丸

茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。


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    クロード・ドビュッシーに『牧神の午後への前奏曲』という曲がある。ロマン派風の初期の作品から、全音音階を多用したその後の傑作群への扉を開いた作品とされるが、これは、ステファヌ・マラルメの『牧神の午後』という詩にインスピレーションを得て作曲された。上半身が人で下半身が山羊の姿をした牧神が、夢か現かわからぬなかで妖精を追い求める様子を、モノローグ形式で語る美しい詩篇だが、作曲家はこの曲についてこう述べている。「それ(『牧神の午後への前奏曲』)は(マラルメの)詩の最後の句を展開したものなのです「Couple, adieu; je vais voir l'ombre que tu devins.(ふたりの妖精たちよ、さらば。俺は影となったお前たちを見にいこう。)」」。これは、現実か幻想かわからない妖精に別れを告げた牧神が浸るだろう余韻を、ドビュッシーが音楽にしたということを意味している。マラルメの詩が残した余韻を音楽で「展開」することによって、作曲家はこれをまったく別の表現に昇華させた。双方とも、確かに、牧神の午後の官能的なまどろみを表現しているにはちがいないが、形象として現れた作品は同じではない。この関係性で、たとえば光悦の「乙御前」と哲さんのこの作品との関係を語ることはできないか。つまり、後者は前者のもつ余韻を「展開」しているのだ、と。

    哲さんが「試作品」と謙遜するように、この作品は、細かなところまで観察すれば、本歌と異なるところが多いかもしれない。銘の由来である口縁の形状がおたふく形でなかったり、山道が単純化されていたり、ニュウがなかったり、高台にあの独特なへこみがなかったり、数え挙げればきりがない。だが、パッと観るだけで、それは、光悦であり「乙御前」であることの是認を強いる。なぜか。だが、そう問う以前に逆の問いかけをするべきだ。たとえば、口縁の形をおたふく状にして、山道をなぞるようにつけ、何らかの手法でニュウを入れ、本歌と寸分違わぬ高台を再現すれば、立派な「乙御前」の写しができるだろうか。答えは否である。細部の表現が決まっているからといって、これを単になぞるだけではそのエッセンスをとらえたことにはならない。もちろん、細部の完成度がそこに近づくのを邪魔することはないとはいえ、大切なのは、むしろそれとは別のところにある。

    それが余韻を「展開」することではないか。ドビュッシーがマラルメの詩の余韻を展開してひとつの曲をつくりあげたように、写しに挑む者は、本歌の余韻をいかに理解し、それを自らの技法でどう展開するかを試される。いうまでもなく、ドビュッシーの音楽とマラルメの詩は自ずと別物である。だが、それらは作品の中心に同じ核のようなものをもっていて、それがまったく異質ともいえる作品に共通性を与えているのだ。そして、本歌のキャパシティが大きければ大きいほど、この余韻は一様ではなく、これを受けとめる感性によって、さらにはそれぞれのもつ技法によって、様々な位相を呈することになる。『牧神の午後』のそれはとても大きかったので、ドビュッシーのこの曲の他にも、エドゥアール・マネの挿し絵やヴァーツラフ・ニジンスキーのダンスをも生んだ。これらの「写し」たちも、本歌とは違う表現形式ながら、それと同じ核を備えている。それは、それぞれに異なる受けとめ方をした余韻をそれぞれの技法で展開したからにほかならない。「乙御前」のキャパシティもまた大きい。この名作は、これまでに様々な作家たちに様々な余韻を与えてきたし、今後も与え続けるだろう。今度の哲さんの作品の場合、高台周りの柔らかく張り詰めた緊張状態もさることながら、作品全体に塗り込められた赤がその余韻の決め手となった。作家は、その赤を光悦以上に赤くした。それは、光悦作品の「赤るさ」を再認識させるとともに、ついには、その先にある写し手自身の創造性をも証明する。つまり、余韻が展開されたとき、『牧神の午後への前奏曲』がそうだったように、写しは、本歌への従属から解き放たれて、ひとつの作品へと生成する。

    このぐい呑みを頂いたのが先に紹介した柳下さんの瓢徳利と時期が重なったので、このペアで久々に冷酒を呑んだ。お互いに映えることこのうえ無し!哲さんのぐい呑みの明るくて深い赤と柳下さんの伊賀の淡い緑の相性の何と良いこと!互いのひょうげたかたちもそれをさらに強調する。そのコンビネーションに気をよくして、日本酒独特の横に揺れる酔いに身を任せていたら、ふとドビュッシーが聴きたくなった。伊賀と光悦とドビュッシー。結びつきそうにないそれぞれの主役がささやかな晩酌の席でひとつになった。Ces amis sur ma table, je les veux perpetuer (我が卓上の友たちを、俺は永遠のものにしたい)!

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