萩大道井戸 吉野桃李(後編) | ぐい呑み考 by 篤丸

ぐい呑み考 by 篤丸

茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。

 開窯のコーディネーターとして必要な諸々のプロセスに携わるなかで、秀元はさらに、その後萩焼が備えることになる造形的な特徴、つまり美学的な方向性にも少なからぬ影響を与えてきたとも想定できる。おそらくかれが発見しただろう李兄弟は、数ある朝鮮の陶工たちのなかでも、日本の茶人たちが好む高麗物を最も得意とする者たちのひとりだった。あるいは、かれらが属していたのがその手のやきものを主に生産する窯場だったのかもしれない。だからこそかれらは、本場の井戸茶碗と見紛うばかりの茶碗を日本でも焼くことができた。そして、そんなかれらを発掘するためには、人材の居場所をみつけるだけでなく、その腕前を正確に見抜くことのできる眼力が必要だった。連れ帰る陶工は、だから、やきものを焼成できれば誰でもいいというわけではなく、本国の需要にフィットする一流の焼き物師でなければならない。茶の湯に関する知見と眼識を備えた秀元がこれを担ったからこそ、毛利は、後の世にわたって貴重な財産ともなる良質な窯場の基礎を築くことができた。
 
 秀元が萩の造形に関与したことについては、そこに織部好みの要素が導入されていることに明らかである。萩といえば、井戸形や後に京都から輸入される楽形以外に、割高台や御所丸、彫三島を写した伝世品が多い。これらもまた、井戸と同様に高麗茶碗の類に数えられるが、同じ高麗茶碗でもこれらの様式は織部の深い関与が指摘されている。割高台のいくつかの名品は織部が所持したといういわれとともに伝世しているし、御所丸の一部や彫三島は日本から半島に注文した御本茶碗で、そこに織部が深く関わっていただろうことはしばしば指摘されている。それが萩焼を代表する造形の一部となっているということは、織部本人が直接指導したか、あるいはそれを仲介する人物がいたかのいずれかだろう。これまで述べてきたように、萩窯の発生に深く関与してきたのがほかならぬ織部の弟子だった秀元だったことを鑑みれば、答えが後者であることはいうまでもない。かくのごとく、秀元は、窯場を開くコーディネーターだけでなく、その造形的な方向性を指揮するアートディレクターの役割をも果たしていた。
 
 毛利家は、その後、輝元が関ヶ原の戦いで西軍の総大将になったばかりに、その広大な領地を失って120万石の大大名から30万石へと減封の憂き目に合う。中国地方の八カ国を領有していた輝元に残されたのは、長門と周防の二カ国にすぎなかった。ここで気づくのは、この二カ国のうち半分近くは秀元が輝元から分けてもらった領地である。当然それも毛利の領地として没収されているから、輝元が改めて拝領したのがたまたま秀元の旧領と重なったというほうが正しい。その後輝元はその30万石から秀元に長門国の西域6万石を分け与えているから、このことだけみても、毛利家内での秀元の位置づけがわかろうというものだ。廃嫡されてからも、秀元は、一貫して輝元を支える重要な役割を果たした。そして、輝元は、広島に代わって自らの拠点とする地として、いくつか候補があがるなかから萩を選んだ。海に面しているとはいえ、領国の端に位置し山陽道から遠く離れている萩に築城したのは、あるいは、その地に秀元が築いた窯業の可能性を意識してのことではなかったか。といったら、あまりに秀元贔屓で、歴史を茶陶に引き寄せすぎだといわれるだろうか。
 
 桃李さんの井戸は進化を続けている。この方の井戸はこれまでブログでそれらしきものも含めて数点を紹介しているが、それぞれに魅力的な表情をみせながら、井戸という観点からすれば、どちらかといえば自由な創作の域を出るものではなかった。だが、今回のそれは、冒頭にも書いたように、真に迫るという意味で、萩の井戸に真正面から取り組んだことのまさに結実といっていい。ここにいたって、桃李井戸はひとつの頂に到達している。ギャラリーの御主人が薦めて下さった作があまりにいいので、いったんはそれに決めかけたが、ふと他の棚をみると、かすかに指跡の残る同手の作品がある。見込みにはとちん目もあって臨場感満点。ひっつきもあるがこれを傷とするか景色とするかは好み次第。すでに作品を包んで下さっていた御主人には申し訳なかったが、やっぱりこれにします、と取り換えを願い出た。それが写真の作品。店には他に伊賀の造形をなぞった花入が数点あって、これがすこぶるよかった。焼き締めの荒ぶる土肌と違って、萩の藁灰にコーティングされたそれらの作品はどれも上品で柔和な表情をみせていて、花入の相場がもう少し軟調だったらぜひほしかったところだ。作家の作品づくりが確実に秀元好みの萩の正統に近づいていることを、そんなところからも感じることができる。桃李さんは李敬の系譜にある坂窯で修行を積まれた。もし窯に精霊がいるとすれば、それは、こんなかたちで姿をみせる。(終わり)