閑話「杉本貞光の乱」① | ぐい呑み考 by 篤丸

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茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。


 いつもお世話になっている奈良のギャラリーの個展スケジュールに杉本貞光氏の名前をみつけた。「あれっ、杉本さんやるんですか?これまでと少し違う人選ですね。」と尋ねると、ギャラリーの御夫妻は「いやあ、私たちもびっくりしてましてね。どこまでお話していいのか、御本人がいらしてね、やることになったんです」とあまり要領の得ない返答。「うちのような小さな店でうまくいくのかどうか」とも。もちろん嬉しいにはちがいないが、それよりも不安や心配のほうが先行している様子だった。それはそうだろう。杉本氏といえば、茶陶の大家で、すでに名声も確立し、簡単には手が出ない高嶺の花といっていい。だから、これまでは、百貨店での個展や有力な古美術関係との仕事を活動の中心にされてきて、規模の小さなギャラリーでの個展はほぼなかった。なるほど、御主人夫妻の憂慮には同情を禁じ得ない。外商が相手にするような富裕層を抱える百貨店と、こだわりの客が集まるにはちがいないが大きな商売には繋がりにくいギャラリーを比較すれば、およそミスマッチであることは明らか。その常連である自身を想定しても、杉本氏の作品は、憧憬の対象ではあるが、だからといって簡単に手の届くところにあるとはとてもいえない。

 お茶をやっている嫁さんの影響でやきものに興味を持ち始めた時分、全国の産地のなかで最も近くにある信楽には、ふたりで再三訪れた。今から振り返れば、茶陶信楽など、大産地のやきもののなかでは、ほんのわずかを占めるにすぎないが、そんな常識もないふたりは、何軒も店を訪ねながら、何で蹲(うずくまる)や旅枕がないんだろう、と不思議に思っていたものだ。もう諦めかけていた頃、信楽駅のすぐ近くで、確か看板に茶陶と書いてあった小さな店をみつけた。そこには、まさにふたりが求めていたような信楽が並んでいた。焼き締めに灰がかかった花入や茶碗が所狭しと。しかも、値段も良心的で、そのおかげでふたりはその後も幾度となくその店を訪れることになるわけだが、そこに並べられていたもののなかで、ひときわ目を引く伊賀の花入があった。こりゃいいな、と思って値段をみると、他の品物に比べてよほど高い。それが杉本氏の作で、御主人によれば、信楽には、備前のように人間国宝になるような人材がいないから、地元の有志たちがレベル向上のために招いた人物の作だと教えられた。

 その情報が正しかったのかどうかわからないが、少なくとも二十年以上前から、信楽ではこの方が別格の存在で、したがって、その作品も高値であるのが当たり前との認識を受け入れていた。いいなあ、こんなんほしいなあ、と思ってもそれがかなわないときに、筆者がいつも実践する最善の方法がある。それは、その対象が伝世の名品と同格にあると思い込むことだ。いくらいいなあと思っても、「からたち」や「破袋」を買って所有できるとは思わない。杉本氏のあのとてつもなく魅力的な花入や水指も、だから、それと同じく、所詮所有の対象になり得ない。そう考えるのが賢明だと合理化したし、現に今でもそう思っている。もっとも、これまで何度も触れているように、値の張るやきものには元々懐疑的なので、この対処法が必要な作家は数えるほどしかいないのだが。

 そんな高みにいる杉本氏が、このところ、これまであまり縁のなかった小さなギャラリーで精力的に展示をなさっている。筆者の知る限りでは、この奈良のギャラリーを皮きりに、四日市、大阪と、それぞれ愛好家にはお馴染みのギャラリーで、半年あまりの間に立て続けに開かれた。これには何か異変の匂いがする。いったい、このベテラン作家のなかで何が起こっているのか。半世紀以上にもわたる作陶活動で多くの実績を重ね、その結果として大勢のファンもついて、個展をするにしても申し分ない条件に恵まれているはずなのに、御年もすでに八十を超えたこの大家に、わざわざ客層も異なる小規模なギャラリーで個展をする必要がどこにあるのか。奈良のギャラリーで最初に感じた引っかかりは、その後この動きが展開していくにつれて、さらに大きくなっていった。してみると、作家のこの奇妙な振る舞いの動機は何か、その影響はどこに波及していくのか、ぜひとも知りたくなった。何もおおげさにいうつもりはないが、予感できる異変の具合から判断すれば、これは、ひとつの事件だといっていい。(続く)