昔の沖縄の入れ墨、針突(ハジチ)について調べていたんですけど、もう少しシンプルにしたら今でも流行りそうだな~と思ってみてました。

本当は昔ながらのものを伝えるのが一番良いのかもしれないですが。

 

でも文化ってちょっとずつ流行と共に変化して取り入れられるほうが、長く伝えられるきがする。

 

着物や民族衣装、ドレスの着こなしに流行の流れがあるように、どんなものでもその時の時代に合わせることができればきっと続くんだろうな。

いまでも和装が普段の着こなしに取り入れられているような…。

 

ね。

今の業務の中に、社員やバイトへの応募の対応があります。

 

その中に結構多いのは

 

面接のバックレ

返信無し

 

採用どころか面接までたどり着くのも少ない…。

 

 

面接が嫌になったり、他で決まったりしたら普通「辞退します」って連絡しない?

応募して、相手から返信来たら普通返信返さない?

いっぱい応募してるのかもしれないけどさ、マナーじゃない?

 

ちなみに、サイトによってはバックレや音信不通でブラックリスト入りですのでお気を付けくださいね。

 

内定貰ってもさ、合わないって思ったらバックレないで連絡ちょうだいね。

これはさすがに常識的にさ、ちゃんと伝えようね。

 

って思いながら業務をこなしてます。

 

結構多いのよねぇ…

通勤中に見かける、ピアスをじゃらっと付けた人。

 

軟骨にピアス。

 

いいな~~って長年思ってるんだけど、なんとなく踏み切れないでいます。

 

でも、やりたいことって大体長い間やりたいな~って思い続けてることが多くて、

じゃあそれはいつやるんだ?となったら、もうそれがやるタイミングなのかな?って思います。

 

というのも、二十歳を超えるまで髪を染めたことがなかったんですけど、ずっとメッシュとかに憧れはあって、いつかやりたいな~って思ってたんですよね。

大人になったら、とか色々考えてたけど、いつかいつかってあと伸ばしにしてたら、一番楽しめる時を逃してしまうんじゃないか?と思って思い切って染めたんですよね。

 

自分が死ぬときに、やっておけば良かったな~と思うくらいなら、やっておきたいなあ。

 

軟骨にピアス。

政治だとか、宗教だとか、戦争だとか、そういう話になれば誰もが

「ちょっと避けたい」と思うんだろう。

 

意見の食い違いを恐れるのか、意見が対立する可能性があるだとか、

自分の考えを否定されたり、強要されたりするんじゃないかと思い保守的になって何となく気まずい感じになって遠慮する。

 

私もあんまり詳しくない…

お話し聞いても「うんうん(わかってない)」な状態になってしまう。

 

面倒だとか、思ってもいいんだけど。

 

知らんふりするんじゃなくて、遠巻きにでもいいから知るのが大事で。

誰かに話さなくてもいいけど、得た情報を自分の中で受け止めて、

興味がなければ何もしなくていい。

 

知ること自体が大事。

 

分からないことはあんまりいいことじゃない。

苦手な分野だけど…勉強とか嫌いだし。

 

知ってるんだけど、知っている方が世界は広く見えることも知っている。

 

自分が偏らないよう知るべきなんだろうな。

都心の方へ仕事に行くようになって、思うことがある。

 

スマホ見すぎて周り見えてないのでは…?

 

スマホ見ながら歩くとペースが落ちて後ろがつかえる。

後ろの状況を確認せずに急に止まる。

周りの状況を確認せずに急に進行方向を変えて人にぶつかる。

順路を守らずつっきってくる。

ヘルプマークやマタニティマークを付けた人がいても目に入らない。

 

スマホみることが必要な時もあるけどせめて周りみようよ…

 

スマホいじって止まる時は後ろに人がいないか確認する。

スマホいじりながら歩くなら端に寄ってから歩く。

進行方向を変えるなら周りに人がいないか確認する。

人の流れをよく確認してから見る。

混雑時は周りに気を配る!

 

 

昔、壁にかかっていたカレンダーに「ありがたい言葉」みたいなのが書いてあったのを覚えている。

 

毎月、ああ、確かにな~と思いながら眺めていたのに、大人になった今ではあんまり覚えていない…。

 

その中に今でも覚えていることがある。

 

「正しいことだとしても、それを押し付けることは正しいことではない」

 

元の言葉はどうだったか忘れちゃったんだけど、この意味だけはずっと覚えてる。

そして、それを心に刻んで生きてきたと思う…。

多分。

 

捉え方も色々あるだろうけど。

 

ひとつは、間違っていることを言っている人がいて、その間違いを正すことが悪い結果につながりかねないと判断した時、それについて正すことはしない。

 

ふたつめは、正しい事柄だと自分が〝思っていても〟その人がそれに対して嫌悪感を抱くのなら強要する必要なはい。

 

ひとつ目の例えで言うと、野鳥を観察していた時に通りかかった親子がいたとして、

親が子に「あの白いのはシラサギっていうんだよ」って教えたとする。

実際はシラサギは白いサギの総称で、別に正式な名前があってそれを子どもの前で「あれはコサギですよ」っていうのはちょっと違うかなって。

シラサギも間違ってはいないし、興味が出れば自分から調べるだろうし。

 

2つ目の例えで言うと、健康のための行動があるとして、それを自分が正しいと思って行動している。だとか、自然環境に良いと信じて、その行動を行っている。というものを、他の人の考えや他の意見や資料をよく考え見ずに他人に押し付けようとすること。

否定されたりしたときに、脅迫や暴力的に物事を強く言うこと、は正しくないなって。

 

 

正すこと、正しいことを知ることは大事なんだけど、周りを見ないのは正しくないよね。

 

何となく思い出したので呟いてみたり。

ものすごくどうでもいいけどキニナルこと

 

郵便番号…

 

仕事で、聞き取りした住所と郵便番号があってるか調べる作業があるんだけど。

 

ひとつの郵便番号で出てくる大量の町村名。

同じ郵便番号で出てくる〇〇と〇〇町の町があるかないか…。

 

きになる。

 

市区町村の区切りをしたいので…

市とか区とか地名に入れないでほしい…

 

と思う…

 

あと…ちゃんと自分の住所言えてるようで間違ってる人多いから…

せめて建物名教えて…

 

あけまして~~~

おめでとうございます~~~

 

ってことで。

 

浅草寺いってきたよ~

 

おみくじ。

普通。

 

良すぎることもなく。

 

人がたくさん。

さくっとお参りだけして帰ろうね~

 

本年もよろしくお願いいたします~~~!

 

新年早々ではありますが。

 

お墓まで持っていこうと思うことはいくつかあって、

中には本当にどうでもいいこともあるんですが…今回はその一つを墓に持ち込まずに書いてしまおうと思った次第です。

 

つい最近再会した方のことがあり、心の底でどろどろと沈んでいた思いを少し

ここに書き零してみようかなと思いました。

 

それは自分の出身地、沖縄のことについてです。

なんでこんな新年早々に暗そうな話を…?と思うかもしれませんが、

単純に残された時間があまりないからです。

私の時間ではなく、その再会した方の、文字通り残りの時間がないからです。

 

きっかけはもう何年も使用していないSNSをたまたま開いたら、そのアプリのメッセージツールに1件のメッセージが入っていました。

たまたま以前のバイト先で知り合って、ちょっと知ってるくらいの方だったのですが覚えてくださっていたようでした。

 

簡単に言ってしまうと、不治の病にかかり、半年もつかわからない状態であること。

その方は沖縄関連のイベントや沖縄の資料館を開いていて、ぜひ資料館に足を運んでほしいとのこと。

 

メッセージに気が付いたときにはすでに1か月たっていて、正直間に合わないかもしれないと思いつつ急いでメッセージを入れました。

結果連絡がとれて、資料館に足を運ぶことができました。

 

その方が伝えたい想いというのは、

「昔、日本人が沖縄にしてしまったことを知ってしまった。知ってしまったからには何かしないといけない、伝えないといけないと思った。40年間それを続けてきた」ということでした。

それこそが、実は私の墓まで持っていこうと思っていた気持ちのひとつでした。

 

私が学生のころ、修学旅行で沖縄にいくからなのか割と沖縄のことを授業でやっていました。

なので、戦時中にどんなことがあったのかを知って、学生ながら心の中に憤怒の想いが溢れたことは今でも覚えています。

他の同級生は何を思ったでしょう。つまらない歴史だったでしょうか。

 

でも、私には違いました。

その土地にいないのに、血がそう思わせたのでしょうか。

ただ、感情移入がしやすくて、気持ちが高ぶっただけなのでしょうか。

 

勝手に日本土地と宣言し、

戦時中には味方のはずの沖縄の人を殺し、

文化は奪われて、

戦後には差別で追いやり、

土地の外でガヤガヤあーだこーだと口を出す。

なのに、海がきれいだとか、人は穏やかで優しいとか、住みたいだとか、色々持ち上げてなんて勝手なんだ、と。

 

今が平和ならいいとか、明るくいけばいい、とかそんなことはそりゃそうなのだ。

過去のことをズルズル解決しないことを引きずって前に進まずにいるのは愚か者だ。

 

ただ、知ってると知らないじゃ雲泥の差なのではないかと思うんですよね。

だからといって、何かやるべきだ!とか、もっと寄り添え!とかそういうことが言いたいんじゃなくて、過去は消してなくならなくて、その過去の上に今があって、悲しい思いをしてきたから楽しい今がある。

 

ただ、それだけ知ってほしいと思っていました。
 

じゃあ、なんでその気持ちを今この瞬間まで言わなかったのかというと、育った場所が島ではないということ。

矛先を向ける相手はもういないということ。

私が誰かにどうこう言えることではないな。と思ったということです。

何か言ったところできっと言い返されてしまっておしまい。そんな気がしました。

何か言うには私にはまだ知識が足りなさすぎるのです。

 

私はその当時を経験していません。

今まで住んでいた土地で出会った方たちはいい人ばかり…とは言い切れませんが、少なくとも私と今付き合いのある方はいい人ばかりです。

矛先はその友たちに向けるべきでは絶対にありません。

良くなかったのは当時の環境と状況かと思っています。

 

でも、お話を聞いて

こうやって思ってくれる人がいるんだ…!と内心ものすごく感動したというか、傷薬を心に塗ってもらったような気持ちになりました。

 

何かを知って、心が沸き立った時、ずっと忘れずに言い続けてくれる人はどれだけいるでしょう。

流行り病の事、戦争の事、大きなことだとしても身近でことが起こらなければいつの間にか当たり前になってしまう。

 

40年。

どれだけ長い間想い、語り続けてくれたのでしょう。

それなのに、私は何をしているんだろうか。とさえ思えるほど。

 

残された時間でできるだけ資料館に足を運んでほしい、というその想いを受けて

ここで少し取り上げさせていただきたいと思います。

 

資料館と一言でいっても、堅苦しいものがあるばかりではなく、

漫画とか置物とか、気軽に読めるものもあります。

端から端まで見る必要はありません。

ただちょっと、お話をしに来るだけでも大丈夫。

 

中々足を運びづらいご時世ではありますが、少し、ほんの少しだけ命のお時間をいただけるのならばこの想いに触れてほしいと思います。

 

この資料館、まだまだ成長中でございます。

 

 

    
資料館のブログ

 

 

ローカルラジオでラジオ出演もされているようです。

 

 

 

 

カバー画像はこちらからお借りしました。

ばんない堂

 

沖縄行きてぇ~~~~

あけましておめでとうございます。

 

相変わらず普段はTwitterに籠っておりますが、なにか零したくなった際は

こちらに気持ちを書き下ろしにくるつもりでいます。

 

 

あまり更新のないブログではございますが、誰かの気に留まったのなら幸いです。

 

本年もよろしくお願いいたします。