AIについて自分の考えをまとめるだけ
2年前に、こんなタイトルでブログをアップしようかと考えたことがあったのですが、一通り書ききった後、投稿はせずに下書きにしまっておりました。
当時は一般の方でもAIでイラスト生成できるようになって、急激に進化を遂げていた頃だったと記憶しています。
なぜ最後まで書いて投稿をしなかったかというと、まだ様々な意見の波があるなかで自分の考えをその波に放り出すということに怖さを感じたからです。
では、なぜ今ブログにしようと思ったのか。
あれから2年、AIもずいぶん進化をして、付き合い方も変わってきました。
それに伴い私も改めて考えたことや、当時から変わらずにいる気持ちもあります。
今日は当時何を書こうとしたのかを振り返りながら、今現在の考えも織り交ぜて 改めて書きたいと思います。
当時は初めて生成AIが使えるとなった時、どういう仕組みなのかさっぱりわからなかったし、そんな者からすれば出来上がってくる生成物の様子は摩訶不思議で未来的であり、心惹かれる人が多いのも納得できましたし、私もその一人でした。
全然上手くできなくて、自分がイメージしたものと違う雰囲気で出てくると「思っていた雰囲気はこういう捉え方もできるのか」と違う一面を見て新しい発見ができているような気分が楽しかったのを覚えています。
最初はなんか凄いやつ!ってことで話題が持ちきりだったと思います。
けれどそれはつかの間の間で、AIへの評価はすぐに一転しました。
詳しく言えば、仕組みを知った上で評価内容が変わったという感じでしょうか。
何が問題になったのかというと、著作権や学習データの扱いです。
AIが画像を生成する仕組みには、多くの作品が学習データとして利用されてきました。そのため、「自分の作品が知らないうちに学習に使われているのではないか」という不安を抱くクリエイターが多くいました。
さらに、短時間で高品質なイラストが生成できるようになったことで、「仕事が奪われるのではないか」という危機感も広がりました。
こうした不安や怒りが生まれたこと自体は、ごく自然なことだと私は思っています。
ただ、私が当時から思っていたこと。
それは、AIを使用する人に「AI使うやつは~」云々の罵倒を浴びせてもいいのかといったらそうではないということ。
SNSではこのような、AIを使う人そのものを否定するような言葉も見かけるようになりました。
私もその時点で生成AIを利用していたし、今も目的によっては利用している。
なので、気持ちがわかるというのもあるが、その罵倒は私にも刺さるのだ。
かといって、だからその罵倒はどうなんだろうか。
そこに感じているのは、AIそのものというより”AIを使った人まで人格否定される空気”。
この空気感は当時からずっとあって、いまだにあちこちで見かけます。
そして使用する背景や作品に対して「いいな」と思った完成まで否定されている空気感。この部分に私は疑問を感じ続けています。
例えば趣味で小説や詩を書いたときに、世界観などのイメージがしやすいようにイラストを入れたい。でもイラストは描けない。本を出すわけでもない。
そんなときに生成AIを利用していたら「AI使ってるから見ない」になってしまい、文章まで評価されなくなってしまう。
例えば、地域の出し物などで急遽広告を出す時に、お金もない、時間もない、人手もないという場合、どうしても使わないといけない場面があるかもしれない。
「AI広告」だっただけで、そのイベントそのものに価値がなくなるわけではないと思います。
そして、作品が作られた背景も見ず、「AIだから」という理由だけで作品や、それを「いいな」と感じた人まで否定されてしまう空気に、私は違和感を覚え続けています。
作品への評価とその作品を見て何かを感じた人の感性は、分けて考えるべきではないかと思います。
SNSでは「いいね」と思ったことを共有するだけでも、「自分の考え」や「価値観の表明」として受け取られることがあります。
SNSは仕組みこそ変わってはいませんが。「ただ呟くだけ」だった場所から「投稿したものは発信」という場所になっています。そこにこの作品は良いと投稿したら、作品だけでなく、自分を否定されるかもしれない。
好きなものを友達に共有したい。
なのに怖くてできない。
もちろん、全部擁護することはしません。
頼んでもないAI添削などでマウントをとってくる人や、明らかに個人のイラストに似せて生成する人、明らかに元の絵がわかるようなもの、フェイク画像や動画で人をだましたりする人。
そもそもその辺はモラルの問題で、AIよりも使用者の方に問題があると思います。
そして、クリエイターが活躍しているこの世間が、未だに創作物への価値観があっていないのも問題点だと思っています。
そもそも生成AIというのは、絵師さんが頑張って描いたイラストとは違う土俵にいると思っています。
なのでコンクールなどに応募するのは違いますよね。
手描きには手描きだけの技術がある。
アナログやデジタルのように色んな部門があるように、生成AIは生成AIの部門でプロンプトも含めて評価されるのが適切だと思います。
AIは手描きとは違う表現方法だからこそ、AIを使用していることが分かるように表示されている方が、見る側も誤解せず、お互いにとって誠実だと思っています。
最近は「何を作ったか」だけでなく、「どう作ったか」が以前より重視される時代になったようにも感じています。
私はAIを肯定したいわけでも否定したいわけでもありません。
問題には目をそらさずに、ちゃんと考えるべき。
法律の問題もまだまだフワフワしていますし、生成AIで生成した作品が誰かの作品に酷似してしまい、著作権を侵害してしまう危険性があることも忘れてはいけません。
AIを使っているから賛成派。
使っていないから反対派。
そんなふうに人まで白黒つけるのではなく、人や作品を「AI」という一言だけで判断するのではなく、一つひとつ見て考えられるようになれたらいいなと思っています。
この生成AIについては、この先もずっと議論されていくと思います。
私自身も、これから考え方が変わる可能性があります。
ただ、今回のAIの件に限らず、人や作品をひとつのラベルだけで判断しないこと。
その背景や使い方を知った上で、一つひとつ向き合って考えられる人でありたいと思っています。
なお、今回書いたことは、現時点での私自身の考えをまとめたものです。
先ほど書いた通り、AIについては、これからも技術や環境の変化によって、考え方が変わる部分もあると思います。
このブログは誰かの考えを否定したり、議論をしたりするためのものではなく、「私は今こう感じています」という記録として残しておきたいと思いました。
ただ、もし同じように「好き」と思った気持ちまで否定されたように感じて悩んでいる人がいたら、私のように考えている人もいるよ、と伝わればいいなと思います。