さて、私の父方は兄弟姉妹が多くて、兄弟の順番がよくわかっていない。それに加えて、曽祖父や祖父も篤志家で親戚で親が亡くなったもの、生活が苦しかったものを養子、養女にしたので、血の繋がらない(多少は繋がってはいるが・・・)親戚がたくさんいる。鎌倉もそうだし、名古屋・岐阜あたりのM野もそう。元はと言えばUMAのところもそう。親戚だけど関係性がよくわかっていない。
義理の大伯父とか、義理の伯父とか、親父との義理の従兄弟などもやたらと多い。私はもう祖母の実家のN村のS口までは把握ができてはいない。はなしには聞いているが知らない人も多い。N村の付合いはもう本家に任せている。S口も3代、4代前の親戚付合いなんかやってられるかだろうが、惣領はM野とS口はとやたら関係性を口にする。大事には思っているみたいだが。
だが戦後、食い詰めかけた祖母は長年築いていた親戚関係を切っていった。本家のT則伯父も、S子伯母もそうしていった。とくに伯母は閉鎖的な人だったのでより一層本家は孤立していった。生きるために必死だったからでもあろう。孤立していても「M野の本家」というプライドだけは強い。
鎌倉もKさんや名古屋のMさんらは育ててもらった恩義を生涯忘れていなかった。末子の息子の私にもなにかとよくしてくれた。
父の姉のC伯母の朝ドラのヒロインみたいな波乱万丈な人生を最初は書こうかと思ったが、それはまた別の機会に。