吉岡里帆の学歴 | GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 17TH SEASON

GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 17TH SEASON

EVERDAY I HAVE THE BLUES AND A LITTLE BiT OF HAREBOiLED STYLE.

毎日がブルース、ちょこっとハードボイルド。

前の先生に書道を習っていた頃、S習教室は大先生のお弟子さん、S行先生の弟子(私も含まれる)、H芝高校(今のR館H芝高校じゃない、昔の経営母体だった頃のH芝高校)の書道部(OBも含む)とかいろいろ入り混じっていた。若い人でも50人くらいはいたかな。(少なくとも30人は出入りしていた。)


大先生のお弟子さんのMさんとほんのしばらく交際していた。(交際と言えるものかどうかはわからないけど) S行先生は明るいグループ交際は許したが、親密な交際は厳禁だった。二人が怪しいとS行先生が勘ぐり始めたので、どちらともなく疎遠になってしまった。


吉岡里帆が京都橘大学の書道コースを在籍していたことを知った。三年時に転学をしたらしい。ある程度の履修と成績によれば、転校みたいに大学は変えられるのだ。その橘がまだ女子大だったころ、Mさんは通っていた。吉岡里帆はMさんの後輩にあたる。日本の大学で書道を教えてるところは少ない。橘は数少ない大学の一つだ。


ところで吉岡里帆の書はうまいと言う人と下手と言う人に分かれる。私の考えでは書家は古典籍を研究する人と創作に重きにおく人に別れる。吉岡里帆はきっと、創作派だったのかなとは思う。



明らかに筆の選択を間違ったよな。と言うか、それしかなかったのをいきなり書かされた感じ。筆も自分自身も慣らしが終わってなかった。これは準備と急かしたスタッフが悪い。本番で書いたのかな。



先の書よりかはいくぶんまし。「風信帖」意識したのかな。なんで起筆に力を入れてないんだろうか。「風」の柔らかさを表現するために?

反りの柔らかさが彼女っぽくて好きだな。


Mさんとは年賀状の行き来はしていたが、母が亡くなったときの喪中の案内を境に連絡がなくなった。あの頃、赤ちゃんが生まれたと報告があった。きっと今はいいおばあちゃんになってるだろう。