
T子叔母が亡くなった年齢は92歳。誰もが言う大往生だ。檀家寺のご住職も奥様もその死を悼んだ。
幸いなことにあまり寝込まずに済んだ。TOSHIちゃんはやいのやいのとは言ってたが自分やTOMOちゃんに比べればその介護は大したことはなかった。
母が亡くなってからT子叔母は私の母親代わりだった。叔母に話しても問題は解決はしなかったが、父や姉のように、はなから私の話を聞かないのではなく、とりあえず「へえ~そうけ」と最後まで話を聞いてくれた。本当の話し相手、相談相手だった。だからことあるごとに電話をした。
若い頃から、「わいな、これから歯医者行くねんわ」と歯医者通いをしてずうっと治療をしていたせいか、ほとんどが自分の歯で孫たちと一緒にステーキや焼肉を食べており、肺がんで半分切除しても元気な叔母であった。
骨揚げで見た叔母の頭蓋骨には綺麗に自分の歯が並んでいた。
そんな叔母を見ていて、元気の秘訣はやはり「自分の歯で肉を食べること」だと思っている。だからせっせと私は歯医者通い続けている。
保護者AことF野さんのお姑さんとT子叔母が何十年も友達だったせいか、F野さんには、叔母が入院をしたこと、叔母の家に行きたがっているF野さんのお姑さんになんとか止めてもらうようにと頼んだ。そしてR子さんから亡くなった連絡を聞いて姉よりすぐにF野さんには連絡をした。
私が通夜から帰って来てからF野さんにR子さんから連絡あり、死に顔を見に来て欲しいと連絡があったとか。
地域で愛されていた叔母の葬儀は家族葬、親族葬で人知れずの質素なものだった。今風と言えば今風のスタイルで、満中陰は今度は家族ですると言っている。それはそれで仕方ない。
そして、今度は自分は「自分の最期」のときを考えている。今の自分は人生の第三コーナーに差し掛かったか越えたのかまだわからない。