先日言ってた唯一の家族旅行の写真。このあと遊覧船が悪天候でめちゃくちゃ揺れた。
1998年5月7日、その日、朝から病院からの電話でクルマで病院に向かった。
母の意識はもうなかった。握った手は握り返すことはなかった。力を入れて握ぎっても開いたままだった。
しばらくして心電図のブザーがなった。呆気なく母は亡くなった。余命半年が10か月まで延びたのは気丈な性格だった故か。
あの頃、東大阪に出向して1ヶ月で、同じ課にU野さんという定年間近の人がいた。
「親の死んだ日は昨日のように覚えているもんだよ」
とそう言ってくれた。まさにその通りで、24年経った今でも昨日のことのように覚えている。
母との最後のツーショットを撮りたかったのだが、最後まで痩せ衰えた写真は撮らせなかった。だから写真の母はいつも丸々太ったこぶたのようだ。
昨日、姉が珍しく命日前に墓に花を供えた旨の連絡が来た。
朝になったら墓参りに行くつもり。24年目の祥月命日。