そもそも坂本龍馬は明治維新の立役者と言いながらも、多くの仕事、薩長同盟も船中八策も影に回っており、また大政奉還前に亡くなっていたので、世間に知られることはなかった。
維新後も坂本龍馬の存在は忘れさられていた。
坂本龍馬の名前が世に出たのは、日露戦争のときに皇后陛下の夢枕にたったことで、忘れ去られた明治維新の立役者のが再び日の目を見たということで。
坂本龍馬の妻、楢崎龍。父親が死に難渋しているところを坂本龍馬に出会い、伏見の船宿寺田屋を周旋してもらった。
有名な龍馬の危機を、入浴中に気づき、すっぱだかに知らせに行った話。
その時に負った龍馬の傷養生に同行したのが新婚旅行の始まりだとか。

龍馬の死後、一時期、土佐の坂本家や親戚筋の才谷家(坂本龍馬の偽名が才谷梅太郎だった)に身を寄せたが、龍馬の姉、乙女との折り合いが悪く、(真実は龍馬の兄権平と仲が悪かった)土佐を離れた。
その後、西村某と結婚し、ツルと変名する。12月15日が彼女の命日。
偶然、写真を見かけたので、ちょっと彼女について書いてみた。