こんな夜更けにバナナかよ | GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 18TH SEASON

GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 18TH SEASON

EVERDAY I HAVE THE BLUES AND A LITTLE BiT OF HAREBOiLED STYLE.

毎日がブルース、ちょこっとハードボイルド。



大学にいた頃、社会福祉のゼミとボランティアサークルとがごっちゃになっていた。ただ、その頃の自分は福祉の勉強からは離れていたし、前職の専門資格を取ってその仕事の就職を希望していたため福祉の科目は卒業に必要な単位しか取らなかった。

学生のなかには大泉洋が扮する鹿野と同じような病気の子も通っていて、絶えずボランティアの子が付いていた。ボランティアの子はノートをとったりテキストを開いたり、自分の履修以外に出席して大変だなあと思っていた。ボランティアに誘われたりはしたが、入室や移動の補助くらいは頼まれてしたことがあるが、自分から希望したり参加することはなかった。

前職をしているときも視覚障害の方と関わって、ボランティアの方ともたくさん知り合ったが自分からはやってみようと思わなかった。今もである。朗読はしてみようとは思うが音訳のボランティアはしてみようと考えていない。

きっと自分には奉仕の精神が欠如しているのだと思う。ボランティアは無償の奉仕で自発的行為である。強制されるものではない。とずうっと考えている。おそらくこれからもしないであろうと思う。

長い前段だったが、障害者福祉や障害児教育でいつも問題になるのは専門の施設や支援学校や支援教室の教育か、はたまた健常者と同じような生活か普通学級での教育かという問題である。もうは個々の事情と希望とケースバイケースである。どっちか白か黒かではなく、多くの選択肢があるべきかなあと思う。

一昔に前に比べれば街にたくさんの障害者を見かけるようになった。何らかの形で、ボランティアまではいかないまでも手を貸すことも多くなってきた。それが日常の光景になってきたような気がする。

「ボランティアをなめないで」
という高畑充希のセリフがあった。ボランティアと揉めたときを思い出した。

その件とか、障害者の性処理のはなしとかいろいろ書きたいが、きりがないのでこの辺りで。それらのはなしはまた後日。

肝心の星は★★★かな。