あのときどこで何をしていたか? | GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 18TH SEASON

GUILEさんの毎日がBLUES、ちょこっとHARDBOILED 18TH SEASON

EVERDAY I HAVE THE BLUES AND A LITTLE BiT OF HAREBOiLED STYLE.

毎日がブルース、ちょこっとハードボイルド。

ここ数年、何人かとこんな話題について話を
している。

「あのとき何処で何をしていたか?」

1995.01.17、阪神淡路大震災
2011.03.11、東日本大震災

この日、あなたはどこで何をしていたか?

きっかけはアメリカのドキュメンタリー番組で「911、アメリカ同時多発テロのときにあなたはどこで何をしていたか?」という番組だった。

阪神淡路大震災は、あのとき自分のM原の家の自室で眠っていた。枕元のラジカセが足元まで飛んでしまった。這って居間まで行った。
M原から堺東までクルマで30分で行ける道が3時間かかった。仕事は休みだったが用事で堺東まで出かける用事があったのだ。

チームOは職場の親睦旅行で帰れなくなったのも覚えてる。

T美は大津にいたそうだ。妊娠3ヶ月、お腹にYちゃんがいた。地震を知らず前の旦那に起こされたとのこと、茨木の実家に連絡つけようにもつけることができなかった。Yちゃんはその年の7月に産まれた。

桃谷から西宮まで自分の母親を助けるために自転車で出かけた人がいた。母親を自転車の後ろに乗せて桃谷まで帰ったそうだ。

ポートアイランドから孤立して、プレジャーボートで弁天町まで送ってもらって脱出した人もいた。

震災から24年経ったのかと思う。あの頃は父も母もいた。家族と話をすることはもうない。でも、あの時のことを話し合うことはこれからも誰かと続けていきたいと思う。

あの時、何が必要で、何が不要だったか?
皿にラップを貼ってご飯を料理を盛ると、ラップを捨てるだけで洗わなくて済むとか。ゴミ袋の三方開けてポンチョを作って新聞をお腹に巻いて暖をとった話とか。

そんな災害のときも知恵も教えてもらえてもらえる。