年寄りと長い間、暮らしていたせいか、数え年でいうことがある。しょっちゅう、数え年で答える。気分的には前からこの年齢だ。
数え年って、産まれたときは一歳。落語の「子ほめ」の下げで「どうみてもただ(ゼロ)にみえる」はこのため。(最近はこの下げ言わない。)
11月生まれだから、次の年の正月が来たら二歳。(数え年は誕生日は関係ない。正月が来たら一つ歳をとる。) だから、最近はああ、もうこんな歳になったかなあと思う。
最近は、近藤サトや吉川晃司みたいにアンチエイジングではなく、歳を抗ないのが流行りなのだとか。ずうっと、年相応やアンチエイジングでなく、年齢不詳の生き方を目指している。
「自分が生きたいように生きる」
若いときの夢を少しずつ軌道修正しながら、人を使うのではなく、人に使われるのでなく、人に合わすのではなく、人に合わしてもらうのもではなく。適当な距離を保ちながら、半分世捨人、半分世俗人な生き方。人は人なのだ。肉親でも親でも兄弟でも恋人でも。
それが今のポリシー。
若いときには思ってもみなかったことや考え方生き方がやっぱり出てくる。
今日から一つ歳をとりました。
誕生日おめでとう、今までよくやってきたね、自分。頑張れとは言わないよ、でも、これからも応援してるよ。自分。(^-^)