無頼派としての種田山頭火、尾崎放哉人はなぜ、山頭火や放哉に魅了されるのだろうか?ひとえに一般社会から離れた世捨人の「滅びの美学」であると思う。普通人という人生を全う出来なかった両者、酒に身を持ち崩し、家業や会社、家庭まで捨て去り、一般社会、俗世間から離れ、いわば俳句を通して自分を見つめることに生涯を捧げた。彼らも言わば、「無頼派」であると言えよう。「どうしようもない自分が歩いてゐる」どうしようもない自分、それが彼ら、種田山頭火、尾崎放哉である。そして、どこか自分が彼らに向かっている。 尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)Amazon山頭火句集 (ちくま文庫)Amazon