
本日、母の十七回忌をいとなんだ。参列者は姉と自分だけ。親戚たちを呼ぶつもりは毛頭なく、来たらご馳走してやろうと思っていた甥たちも姉が来なくていいと言ったらしい。あの年頃なら、長々とお経を聞かされるより、遊びに行ったり、連休最後を煩わされずにゆっくりしたいと思うのは当然だ。それはそれでいい。
姉も読経が終わると、すぐに帰った。娘としての役割はそれで果たしたのだろう。
独り片付けをしながらこんなにもう月日が流れたのかと驚く反面、いまだに十分に看病してやれなかった心残りや悔いを引きずって今まで生きて来た自分という存在について考える。母が祖母に対して持っていた気持ちを自分も同じように、恐らくは一生引きずって生きていくんだろうとは思っている…
自分の代わりにその悔いや心残りを誰かが代わり悔いることはなく、親父が亡くなって介護や看護の対象が誰かに替わることはないし、もう介護や看護はしないと思う…
同時にこれからのことも考える。生き方、死に方、もろもろ…
母の法事は次は二十三回忌、6年後。自分がこの6年をどう生きて行くのだろうか…