また、この日がやってきた。
関西に住んでいると、なにかしら、福知山線脱線事故、日航機墜落、そして阪神淡路大震災の被害者や、その知り合いにでくわす。
そして、自分のアイデンティティーをさぐるように、あのとき、何をしていたか、あれからどうだったか。尋ねられるし、語ることが多い。
自分は直接には被害にあってはいない。あの時、自室で眠っていた。突然の揺れで、頭に置いてあったラジカセがぶっ飛び、足もとまでとんだ。あまりの揺れに這って起き出した。
M原から、堺まで普段ならクルマで30分の道のりが2時間かかったのを覚えている。ラジオから、亡くなった川村龍一さんがしきりに「うわさや人から伝聞に迷わされないで、ラジオの公共電波に耳を傾けて」と語りかけていた…
「ライフライン」と言う言葉が使われ始めたのはこの時からだと思う。災害ボランティアや義援金が日常的に目にするようになったのもこの時からのはず。
震災前にあんなに毎週通っていた神戸に行かなくなってしまった。行くと、不謹慎な気がして…やっと、最近、神戸に行くのにわだかまりがなくなったかな。
あの時、自分は何をしていたか、あれからどうだったか、何があって、何が不足し、何が必要で、何が役立ち、何が不要だったかを雑談でもいいから語っていこう。
これから、震災を知らずに生まれ育った子どもたちのために、おとうさん、おかあさん、じいちゃん、ばあちゃん、おっちゃん、おばちゃんが、あんなこと言ってたなあと、子どもたちが災害に直面したとき、きっと役立つはずだから…
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