闘病記や病気で家族を亡くした手記を見かける。
自分には苦手だ・・・苦手より、むしろ嫌いだ、嫌悪する。できれば読みたくもないし、見たくもない。
十年前、母を癌で亡くした。発見したときには余命三ヶ月と言われた。
告知をするかどうかで、家族で幾晩も話し合ったし、母の看護をどうするかを真剣に話し合った・・・
結局、母への告知は結論が出ないまま、臨終を迎えたので、告知をしなかった。
看護についても、当時、極秘であるプロジェクトが進行していて、そこに自分が推薦された。
今思えば、他の誰かに代わってもらえたのだが、そのときは向こう様や推薦していただいた方へ迷惑がかかると思い、またプロジェクト自体が無くなるのを畏れた。悩んだ末にお受けした。
自分は母より仕事を選んだのだ。それがずっと負い目になっていた。
父を在宅で介護する理由は母を看護できなかったからだ。自分の親はできれば自分で介護したい。
母は余命三ヶ月と言われて、半年ほど余計に生きた。桜の季節を過ぎて、新緑の季節に亡くなった。
よほど苦しかったのか、辛かったのか、心理的に忘れたかったみたいで、母の亡くなる前後二ヶ月の記憶があまりない。
ただ桜の季節がその年、短かったことを母が残念がったこと、臨終のときに握った手が生暖かくて、力なく柔らかったこと、葬儀が済んで、一週間しか経たないうちに、付き合いのあったKが家族の心情を逆なでするような態度にでて、怒りで拳を握りしめて震えたこと。
それらが鮮明に覚えている。
母方の祖母は不慮の事故で亡くなった。祖母が亡くなってから母は毎日ほど祖母を思い出すと言っていた。自分もこの十年ほぼ、毎日母のことを思い出す。これは一生続くだろう。
ある人のブログを見て書きたかったこと。
もし見てたら、コメントはいらないけど、メールをください。
あなたが悩んでるのは僕がよくわかる。